153 アンデッドの紳士
「私はリッチ。名をウォルターと申します」
ほとんど動かないまぶた。削げ落ちた鼻。枯れ木のように細い手足。それらが不気味な雰囲気を漂わせているが、ウォルターと名乗ったリッチから、攻撃的なものは感じない。
「ご安心下さい。私の力ではあなた方と戦っても数秒で殺られます。あなた方と言うより、今私の背後に回った魔力。それだけでも到底敵いません」
――コイツ……霊体化のムサシとリアンを感じ取ったのか。
今までそれを見抜かれたのは二度だけ。一度目はチェスカーバレン学院の院長、リシュテイン。二度目はパーリッドでヘスとともに入った店の老婆。そして、今回。三者とも正確に見抜けてはいないが、並みの魔術師でないのは間違いない。
「よろしければお茶でもどうですか? こんなナリですので話し相手がいなのですよ」
――どうするか、セバスチャン。
――確かに敵意はないようです。情報収集と言う観点から話しをしてみるのも良いかも知れません。いざとなればムサシとリアンが即、動きます。彼の言うとおり普通に戦えば負けるとは思えませんし。
――そうか……エリネアの守りは強く固めてくれ。
――畏まりました。
「わかった。少し付き合おう」
「えっ! ユージ……」
「大丈夫だ。セバスチャンが全てを見ておく」
裕二は驚くエリネアに小声で囁く。
霊体化のタルパはエリネアにも見えないが、あの強力な面子がいつも周りにいる事は理解している。警戒は解かないが、向こうが話したいと言うなら、それを聞いてみるのも良いだろう。
「わかりました」
「では、私の屋敷に参りましょう」
無防備に背中を見せるウォルター。それに続く裕二とエリネア。
しばらく何の変哲もない森を進むとウォルターが立ち止まる。そこへ手をかざすと、立派な屋敷が現れた。結界で見えなくさせていたらしい。お茶でも、と言った時点である程度予測はしていたので、二人に驚きはない。
「中へどうぞ」
裕二とエリネアが中へ入ると、三人の侍女らしき者が両手を腹部にあて、頭を下げている。いずれも若く美人だが、顔は青白い。彼女たちもアンデッドなのだろう。
「彼女たちは若くして亡くなった者たち。家族に了解を得てアンデッドにしました」
「家族に?」
「ええ、彼女たちは若くして亡くなったので両親が大変悲しみましてね。そこで私がアンデッドとしてなら蘇らせる事が出来る。しかし、あなた方が亡くなったら彼女たちは私に仕えてもらう。と言う話しをして契約をしたのです」
「それで了解を得たのか」
「ええ、禁忌には触れますが、私自身が禁忌なのでそこはまあ……こき使ったり戦闘をさせてはいません。あくまでも雑事のみを任せています」
侍女たちもそれを聞き静かに頷いている。彼女たちの両親は既に遠い昔に亡くなっていると言う。それが彼女たちにとって良いのか悪いのか、他人が決めるのは簡単ではない。それが本当なら、彼女たちは、本来なら立ち会えるはずのない、両親の最後を看取る事も出来ただろう。それを単純にアンデッドだから悪、と決めつけて良いはずがない。
「何とか飲み込んでいただけているようで助かります。こちらが応接室になります」
多少古ぼけた調度品が並ぶ部屋。しかし、清掃は行き届いているので、それが逆にアンティークな雰囲気を醸し出す。
二人はベルベット風のソファーに腰を落ち着ける。すると先程の侍女がティーセットを運んできた。
――テン、頼む。
裕二に指示されたテンは、霊体化のまま茶葉やポットの中身を確認する。
――茶葉は多少古いみたいだけど、問題はないね。保存はしっかりしてたんじゃないかな。飲んでも大丈夫。
注がれた茶を前にして、裕二がエリネアへ軽く頷く。と同時に二人がカップへ口をつけた。
「ところでアンタは、他の村からモンスター扱いされてるみたいなんだが」
「ええ、存じております。ですが、私は自分に危害を加えられなければ、他者を傷つける事はまず、ありません。ですが、こんな見た目なので化け物扱いは仕方ないのでしょう。仲良くしたいと思っても逃げられてしまいます」
ウォルターはやや自嘲気味にそう答える。しかし、相手はアンデッド。通常は生者の血肉を食らうとか、憎むとか言われている。あくまでも一般論では、裕二たちの敵でなければ不自然とも言える。その辺はどうなのだろうか。
「私はある事情があり、自らアンデッドとなったのです。その目的は人と対立する事ではありません。とは言え、この体になって最初の百年は、飢えと乾きとの戦いでしたが」
彼が現在、人と対立せずに済むのは、アンデッドとしての本能的な部分の抑制。それを百年かけて克服したからだと言う。
侍女たちの方は、リッチとなったウォルターがその力を発揮して作ったので、比較的そう言う部分は少なかった。高位アンデッドの魔法とウォルターの経験。そして、条件の良い死体で作成されたので、餓えや乾きなどの苦労はウォルターと比べるとほとんどなかったらしい。とは言え、それでも全くと言う訳ではなく、落ち着くのに数週間は要した。そうならなければ、家族には引き渡せない。
ウォルターも侍女たちも、そう言う苦労の末に、人とは対立しない状態を保っていられるのだ。だが、そうなるとアンデッドとしての完璧さは保つ事が出来ない。本能を抑制するには、その対価も必要になる。
「そのお陰で、本来なら不死のはずの肉体も数百年程しかもたず、この体は徐々に崩壊へと向かっているのです。強い打撃攻撃を受けたらひとたまりもありません」
ウォルターはアンデッドになる事が目的ではなく、目的達成の為の長寿を手に入れたかった。過酷な生き方ではあるが、彼にとってはそれでも良いのだ。
「私はかつて罪を犯しましてね。その償いをしたかったのです。ですが、それに気づいた時、私の体は既に年老いていた。償う為の時間がなかったのです」
「なるほど、アンデッドになってでも、その罪を精算したかった……」
「はい……」
それが本当なら、余程の思いがあったのだろう。年老いた老人が自らに大魔法を使いアンデッドとなった。その後、百年もの間、飢えと乾きに苦しむ。それをしてでも成し遂げたい事があった。生半可な苦労ではなかったのではないか。
「その目的って?」
「私は昔、とあるお方に仕えておりました。とても素晴らしい方でした。ですが、私はその方を裏切ってしまったのです」
その仕えた人物に対する罪滅ぼし。それをウォルターはずっと続けてきた。その詳細について、彼は語らないが、声色からは強い後悔の念を感じる。
まだ、裕二たちを騙している可能性もない訳ではないが、タルパたちから強い警戒は感じず、裕二自身にもそれは感じない。
と、そこで裕二がひとつ質問をした。
「ウォルターって名前は本物なのか?」
「いえ、偽名です。なので私もあなた方のお名前はお聞きしません」
こちらの事を探られないのは都合が良い。だがそれは、ウォルターがこちらの事をある程度知っている。推測出来ている。と言った事も考えられる。
裕二たちの見た目にも大きなヒントがあるだろう。この森の住人には見えない。にも関わらず、裕二たちは何もない南西から来た。そこまではウォルターにもわかっているはずだ。
「ところでお二方はどこへ向かわれるのですか? 方角からするとエルファスになりますが」
「まあ、ちょっとした旅でね。エルフの友人がいるんだ」
「左様ですか。ですが、エルフの里は排他的な部分もありますので、お気をつけ下さい」
「そうなのか?」
「ええ、問答無用で攻撃されたりはしませんが、警戒はされるでしょう。ですが、ご友人がおられるなら問題ないかも知れません」
行き先を言ってしまうのは多少不安が残るが、ウォルターは裕二たちがこちらへくる気配を察知していた。その方角から考えてエルファスへ向かうと判断したのだろう。隠してもあまり意味がない。
「彼らは魔人を警戒しているのですよ」
「魔人……」
「ええ、エルファスにはまだ、魔人戦争を戦ったカフィス様がご存命ですから」
「その辺りに魔人がいるかも知れないのか?」
「エルファスは魔人にとっても攻撃対象になります。とは言え、ペルメニアより優先順位はかなり下がりますが、監視はあるかも知れませんね」
「その監視の目的は……」
「普通に考えれば、大魔術師クリシュナード様との接触でしょう。とは言え、クリシュナード様はいつ現れるのかわかりませんが」
エルファスに近づく者は魔人の監視対象になる。かつてクリシュナードに仕えたエルフの王、カフィス。その両者が接触するのは、魔人でなくとも容易に想像出来る。本物のクリシュナードである裕二が不用意に近づくのはマズイ事になる。
「エルファスに向かわれるのなら、そちらを警戒した方が良いですね。あなた方程の魔力なら攻撃対象になりかねません。何か策はお持ちで?」
「いや、ないな」
「では、魔人の目を誤魔化す護符を差し上げましょう」
「護符?」
裕二がそう聞くと、ウォルターは軽く手を叩き侍女を呼んだ。
「このお二方に護符を」
そしてしばらくすると、侍女がトレイに乗せられた二枚の護符を運んできた。
「エルファスの結界に入れば必要ありません。監視出来るのは外側だけのはずです。効果時間は監視の強度により決まります。護符が黒ずんでしまったら使えません」
そう言いながらウォルターは護符を裕二とエリネアに渡す。
「いいのか? こんな事してもらって」
「ええ。私のつまらない話しを聞いてくれたお礼です。久しぶりに人と話しが出来て、とても有意義な時間を過ごせました。普段は逃げられてしまいますからね」
二人はそれを受け取り、その後もしばらく様々な話しをした。そして、二時間程が経ち、セバスチャンから外が暗くなる前に話しを切り上げるよう言われた。
「屋敷の外までお送り致します」
敵かと思っていたアンデッド。だが、彼は意外にも紳士的で、見た目にさえ慣れてしまえば、聡明な老紳士と話しているのと何ら変わりはなかった。
「どうもありがとう。まさか、護符をもらえるとは思わなかった」
「いえいえ。お二方が無事に旅を続けられるよう、お祈り申し上げます」
裕二は手を差し出し握手を求める。枯れ枝のような冷たい手が、僅かに暖かくなるのを感じた。最初はかなり警戒していたエリネアも、毒気を抜かれた様子だ。彼の人となりは非常に誠実であった、と言うしかない。
もちろん、今の裕二の立場で全てを信用して良いわけではないが、彼を否定出来る要素が何もなかったのも事実。
「では、お気をつけて」
裕二とエリネアはウォルターに手を振りながら歩く。その姿が見えなくなり、僅かな気配さえ感じなくなると白虎に乗り込む。
「セバスチャン。護符はどうだ?」
「ええ、魔人の文字が使われております。魔食いの指輪と似てますね」
「なるほど……」
魔食いの指輪はかつて、クリシュナードの使徒の誰かが作ったとされている。その作者は未だわからないが、魔人が作るはずのない物なのは確かだ。ウォルターから受け取った護符はそれと似ている、とセバスチャンは言う。
「悪意は全く感じなかったけど……信用して良いのかしら」
エリネアの立場としては、完全な信用と言うのはなかなか難しい。裕二を守る為には、些細な事も見逃してはならないのだから。
例えば、ウォルター自身は本心で話しているとしても、それが知らないうちに魔人に利用されていないとは言い切れない。とは言え、あれだけ自我を保った高位の魔術師でしかもリッチ。そうやすやすと魔人に利用はされないだろう。
「まあ、大丈夫だろ。そう言った要素は感じなかった。それに……」
「それに?」
「うーん、何て言うか、握手した時にわかった気がする」
その時感じた彼の手の暖かさ。そこに何か親愛のようなものを裕二は感じた。
「でも、何者なんだろうな。かつては人間だったんだろ? 高位の魔術師だったのも間違いないし」
「そうね。もしかして歴史書に名が載る程の人物かもしれないわ。でもアンデッドとなると……死霊魔術を研究してた人なんていたかしら?」
「本人が自分の存在を禁忌って言ってたからな。おおっぴらに研究してないだろ」
二人はそんな話しをしながら、エルファスへと向かう。そして、屋敷の方では、ウォルターがいつまでもそこに佇んでいた。
「確信……には至りませんでしたが……」