141 絶鬼
「そろそろ出発するぞ」
そう言いながらテリーが腕を振る。すると、谷に置かれた家が瞬時に消える。
裕二はそれについて聞きたいのだが、出発前のドタバタでは、それも難しい。
――まあ、後でいっか。
テリーは続けて口を開く。
「シャドウ」
すると、テリーの影が伸び上がり、馬の形になって現れた。
「な、なんじゃこりゃー!」
「シャドウだ」
驚く裕二にあっさり答えるテリー。その横でエリネアが、自分の指に嵌めた乳白色の指輪を天にかざす。
「大地の精霊と風の精霊よ。疾風を以って馳せ参じよ。召喚、スレイプニル!」
すると、指輪が輝き、地面に魔法陣が現れ、そこから八本足の白く大きな馬が召喚される。テリーのシャドウよりも登場の仕方は派手だ。
「な、なんじゃこりゃー!」
「スレイプニルよ」
こちらもまたあっさり答える。しかし、エリネアは少し説明もしてくれた。
「この指輪はトラヴィスの家宝。クリシュナード様より賜ったスレイプニルの召喚指輪なの」
「ほえー、そんなのあるのかよ。さすが王族」
苦笑するエリネア。そして、感心している裕二にテリーが声をかける。
「常に七体も精霊を出せるユージの方が異常だとわかってるか?」
「そ、そう言えばそうなの……か?」
「いいからさっさと出せ」
「わかった。白虎」
するといつも通り白虎が現れる。
シャドウとスレイプニルと白虎。このままでも何とか全員乗れるのだが、七人が移動するにはもう少し余裕がほしい。
「ユージ。リアンを出せ」
「リアン? リアン出ろ」
裕二は訳もわからず言われるままにリアンを呼び出す。
「あ、そっか。リアンの足はキャタピラなんだった」
一度も使った事のないリアンのキャタピラ。それはもちろん移動する為の物だ。しかし、良く考えてみると、リアンが移動している場面はあまり見た事がない。
「前かがみにさせたら何人か乗れるだろ」
「おお、確かに。しかも強いし。良し、リアン前かがみだ」
移動なので強さは関係ないが、裕二の命令でリアンは前かがみになる。すると、鎧が一緒に変形し、背中の部分に座りやすいよう背もたれが四つ作られた。
「リアン……お前、四人乗りだったのか」
「ニャアアア! これ乗りたいニャ! カッコ良すぎニャ!」
バチルが裕二を引っ張りリアンを指差す。
と言う訳で少し偏るが、リアンにはバチル、セーラ、バンが。スレイプニルにはエリネアとメリル。シャドウにはテリー。白虎には裕二が乗る事になった。ついでに白虎の頭の上には、チビドラとアリーが乗っている。
そして、谷の向こう側へと走り出す。
「ニャッハッハッハ。者ども、行くのニャ! 皆殺しニャー!」
バチルがリアンの上で勇ましく立ち上がり、谷の向こうへビシッと指を刺す。その下にいるリアンは、モーターのような音を立ててキャタピラを高速で回す。
「バチル殿。危ないので座って下され」
「ニャッハッハッハ!」
それをバンに注意される。だが、バチルは全然聞いていない。
「しかし、セーラ様。お三方とも私が今までに見てきた魔術師とは次元が違いますな。彼らこそ、ほんの一握りしかいない超一流の領域なのでしょう」
「ええ……そうですね」
感心するバンにセーラは下を向き素っ気なく答える。その様子をバンは不審に思った。
「どうされました?」
「え! いや、何でもありません」
――昨日の夢……ただの夢だったのかしら。何か受け取ったような……丸い……何か。
「うおっ! リアン意外とはえー。つーか安定しすぎだろ。足がサスペンションみたいになってるし。負けるな白虎!」
「ガルッ!!」
何故かリアンに謎の対抗意識を燃やす、裕二と白虎。その隣にはスレイプニルに乗るエリネアとメリルがいる。
「あの馬鹿、はしゃぎ過ぎですニャ。後でぶっ飛ばしとくですニャ」
「え、ええ。そうね」
バチルは厳しい姉が見ている事を知らない。
モンスターの全くいなくなった谷を走り抜けるのは、非常に心地よく爽快な気分だ。その先には谷の終わり。急勾配の坂道が見えてくる。そこを登ればやがて高地となって行くだろう。
「ニャは! ニャは! 登るのニャ! そして、もっぺん下からやり直すのニャアアア!」
「バチル殿。座って下され」
バチルは坂を何度も行ったり来たりしたいようだが、当然そんな事はしない。
そして、全員がそこを登りきると、その先には木々のまばらな広大な草原が広がっており、その遙か先には幾つかの山が連なっているのが見える。
「この辺りにはゼッキがいる。遠くの奴は無視するからな」
テリーが全体に大声で知らせた。しかし、ゼッキと言うモンスターを知る者は、ここにはひとりもいない。
「テリー! ゼッキって何だ?」
「いたら教えてやるよ」
裕二の質問を受け流すテリー。山に向かって真っ直ぐ進んでいるが、その目は辺りを警戒している。
「今日は山のふもとには辿り着きたい。順調なら日が落ちる前には着くだろう」
と言う事は、翌日、あの山脈を越える事になるのだろう。しかし、この辺りは思ったより平和な雰囲気だ。テリーの言うゼッキとやらが出てきたら、またそれも変わるのかも知れない。
「なあ、テリー。さっきのって土魔法と収納魔法が使えて家だけ用意しとけば出来るのか」
「ああ、お前なら難しくないはずだ。家は幾つかあるから、後でひとつやろうか?」
「ま、マジか! しかし、ただでもらうのもなあ……」
「別に俺は構わんが……なら貸しにでもしとくか?」
「そうだな。それで頼む」
それを聞いていたエリネアも笑いながら口を挟む。
「ユージ。テリオスは天下にその名を轟かす、ジェントラー家なのよ。家の一軒くらい大した事ないんだから、もらっておきなさい」
「ハッハッハ、その通りだ。それでも構わないぞ、ユージ」
「う……まあ、とりあえず借りとく」
学院時代なら、こんな気軽にエリネアが話しに加わる事はなかっただろう。随分変わったものだ、と裕二は感じていた。
「でもなあユージ。収納魔法ってのは本来、亜空間魔法と言うんだ。お前ならもっと便利に使えるはずだぞ」
「亜空間魔法? 初めて聞くな」
「まあ、それは後で教えて……やるよ」
言葉尻を濁すテリー。直後、その表情が変わり、進行方向に鋭い視線を向ける。そこでバチルが口を開く。
「あれなんニャ?」
「あれがゼッキだ。全員止まれ」
その場で全員停止すると、前方から何かがこちらへ近づいてくるのが見える。まだ、米粒ほどにしか見えないが、進行方向なので逃げる訳にもいかない。
「先に説明しておく」
ゼッキとは、体長四メートル程の二足歩行のモンスターだ。
緑色の体毛に覆われ熊のような体つきをしており、背中には大きな翼がある。
頭には二本の角があり、凶悪な目つきと大きな口から鋭い牙を覗かせる。
飛行能力はキマイラよりはマシな程度で、低空を頻繁に飛び回る。
「心臓を剣でひと刺しすれば倒せるが、アイツは長い体毛と分厚い筋肉により防御力も高く、胸から刺せばその筋肉を動かし、背中から刺せば翼を動かして剣の軌道をずらしてしまうので厄介なんだ」
攻撃には長い爪と牙を使う。が、それだけなら普通だ。
ゼッキの面倒な攻撃は、その大きな口から十メートル以上伸びる舌にある。それをカエルのように使い獲物を絡め取る。オマケにその舌に触れると強い電撃が走る。
「捕まると瞬時に食われるぞ」
そして、こんな場所にいるのだから、ケツァルコアトルとも対等に戦えるので決して弱くはない。ゼッキには人を溶かすブレスの攻撃があまり効かないのだ。
「まあ、それでもケツァルコアトルにはなかなか勝てはしないがな。おかげで谷へはまず来ない。だが、気配の察知能力が高く、何でも食らいつく。隠れた魔人も見つけて食ってくれる」
「マジかよ! いい奴じゃねえか」
「だから、本当はあまり倒したくはないんだよ」
ゼッキがいるから魔人もあまりここへは近づかない。凶悪なモンスターではあるが、この先が守られている一因にもなっているのだ。
「それと、良く覚えておけ。ゼッキは元からここに棲むモンスターだ。魔人に召喚されたのではない」
「ああ、それが何だ?」
「魔人が使役するのはほとんどが召喚されたモンスターだ。奴らは扱いやすいものを選ぶ。元からこの世界にいるモンスターは奴らにとって扱いにくい。ゼッキは使役されても目の前にいる魔人を食うだろうな」
使役出来ない訳ではないが、モンスターにより扱いやすさがあるのだ。召喚されたモンスターは予め、それも考慮されている、と言う事になる。
「あ、そっか。扱いやすければ、ゼッキが谷やヴィシェルヘイムにいるはずだよな」
「そう言うことだ。ひとつ勉強になったろ」
しかし、そうなるとゼッキを倒すのはかなり厄介になるのだろう。テリーなら倒せるのだろうが、いったいどう倒すのか。
「普通に倒すと面倒だが、実は簡単に倒せる」
「ほう。どうやってだ?」
「まあ、見とけ」
説明を終えた頃、ゼッキも間近に迫る。テリーは手に何かを取り出し、そのままゼッキに向かって歩き出す。
ゼッキの舌の射程距離は約十メートル。テリーはそこで立ち止まると、予想通り舌での攻撃を仕掛けてきた。しかし、それだけ距離があるなら、テリーが捕まるはずがない。ヒラリと簡単に避けながらゼッキの舌を軽く触る。
そして、その舌が戻るとゼッキからボフッと音がして口から煙を吐き、そのまま倒れた。
「な、簡単だろ」
「おー、さすがテリー。どうやったんだ?」
「おそらく、体内で爆発する魔石か何かを使ったのではないですかな」
バンはテリーの攻撃を見て、そう思ったようだ。しかし、テリーの答えは――
「半分正解だが、それだけでは倒せない。ゼッキは異物と判断すると即座に吐き出す。正解はこれだ」
と、バンに茶色い玉を投げてよこす。受け取って良く見ると、表面はザラついており粉を固めたものに見える。
「これは何ですか。魔石ではないようですが……」
「砂糖だ。それの塊の中に魔石がある。奴らは甘い物が好きなんだ」
「なるほど。そこに気づかないと、そのやり方を考えても諦めてしまいますな」
「魔人は砂糖なんか使わないからな」
簡単に倒されたゼッキだったが、魔人もそのひと工夫を知らなければ食われてしまうのだろう。凶悪なモンスターではあるが、有益な部分もある。それがこの場所のような境界を作っているのだ。
「さて、出発したいところだが……ここで立ち止まれたのは運が良かったか」
テリーは進路とは別の方向を見ている。