106 瘴気の意思
セーラにとって瘴気とは、土地に溜まり場を穢すもの。自分の役割はそれを浄化し、土地を元の正常な状態に戻す。それが巫女であるセーラの役割だ。
土地の浄化をするには、誰がどこでどれくらい死んだのか。その情報を元に瘴気溜まりの場所を推測する。
セーラの場合は瘴気を感じとれるので細かな場所の判断も出来るが、通常は情報だけを元に浄化の場所を決定する。
場所が決まったら周囲に結界を張り、組み立て式の祭壇をその場に置く。祭壇には供物を捧げその後、浄化の儀式が始まる。
ヴィシェルヘイムと言う強力なモンスターがいる場所でそれを行うのは大変な作業だ。当然、巫女ひとりで行える事ではないので、バンのような聖堂騎士団の役割も重要になってくる。
「私の場合は意識すると土地に黒いモヤのような物が見えます。浄化を終えるとそれが霧散してゆくのです」
セーラがそう語る。
クリシュナードにより作られた浄化の儀式。それを受け継ぐセーラ。その儀式により霧散したのなら、それが瘴気と言える。
「ですが……ある時、その黒いモヤと同じものの塊を見たのです。それはまるで意思があるかのように動いていました」
セーラが言うには、人間の頭ほどの大きさで丸くボール状の黒いモヤ。それは土地にある瘴気よりも濃く何かの意志によって動いているように見えたと言う。
「何かの意志……」
「ええ、私がそう確信したのは、その瘴気をモンスターが追いかけていたからです」
「モンスターが追いかけてた!?」
「はい。追いかけていた、と言うのは正しくないかも知れません。追いかけさせられていた。と言う方が正しいように思います」
瘴気の塊が何かの意志で動く。それはモンスターを追いかけさせていた。
「それはつまり……誘導か?」
「そうだと思います。その日はその瘴気が向かった先で死亡報告がありました」
つまり、それはモンスターを人間へと誘導している。そのように考えられる。
「いつでも見える訳ではありません。ですがそれが見えた時。その先には高名な冒険者や実力のある兵士がいる場合が多いのです。もしかしたら今回のゼッカー様も……」
「誰かがそれを意図してる。そう言う事なのか!?」
「かもしれませんが、そこまでは……」
裕二にとっては初めて聞く話し。しかし、良く考えるとそれは裕二だけなのか。それともシェルラック全体がそれを知らないのか。そこには大きな違いがある。
「他の人はそれを知ってるんですか?」
「そ、それは……」
「お待ち下さいユージ殿」
セーラの言葉を遮り口を挟むバン。
「セーラ様の名誉の為に申し上げておきますが、セーラ様はこの件を公表しようとなさっていました。ですが、それを強硬に反対したのはこの私。バン・クルートートなのです」
セーラだけに見える瘴気の塊。それは意志があるかのように動き、モンスターを人間に誘導する。しかもそれは狙いすましたかのように戦力の高い者を選ぶ。
誰かの意志がそこにあるとしか思えない。
「もしそこに何者かの意思が介在するなら、唯一それが見えるセーラ様はどうなるか」
つまり、それを操っている者がいるなら、セーラの存在を疎ましく思うだろう。次にその瘴気の塊が狙うのはセーラになるかも知れない。
「なるほど」
「私たちはその瘴気の塊を誘導瘴気と名付けました。正直、私たちだけでは抱えきれない秘密です。もし、ユージ様にも誘導瘴気が見えたなら……」
「ユージ殿は、私のソウイングワイヤーを初見で打ち破れる程の強力な魔術師でもある。そして、バスカートに巣食った微弱な瘴気さえ感じとった。ユージ殿なら我々の知らない知識、或いは対策を講じる事が出来るのではないか。そう考え、相談に参ったのです」
セーラの身を案じるなら、これは公表出来ない。しかし、いつまでもそのままで良い問題でもない。何か対策を考える必要はありそうだ。だが、それにはまだ情報が圧倒的に足りていない。
「おそらく、それをやっているのは魔人ではないか。我々はそう考えている」
「魔人か……確かに瘴気を操つるとなるとそうなるな。いや……ステンドットは……」
アンドラークで戦ったステンドット子爵。彼は人間であるにもかかわらず、魔人から矢尻と指輪を受け取りその技を行使した。誘導瘴気を操るのも魔人の手下になった人間、とも考えられる。
「他に何かないですか?」
「うむ、巫女も我々も冒険者も等しくモンスターから攻撃を受ける立場。ヴィシェルヘイムのモンスターにその区別はない。通常、攻撃されれば死ぬか生きるか、そのどちらかだ。しかし、それ以外のケース。行方不明者も少なからず存在する。その行方不明者が一番多いのが巫女になる」
行方不明者と一口に言っても、人知れず森の奥で殺され、そのまま見つけられない者もいるだろう。だが、巫女の場合はこれとは違う。
戦力の全くない巫女。それを守る聖堂騎士団。通常ならその聖堂騎士団が打ち破られなければ巫女に被害はない。
だが、戦闘中に背後から静かに忍びより、ホワイトデビルのようなモンスターに巫女が攫われてしまう場合がある。
「通常なら戦力の低い者も攻撃される。決着はその場でつく。攫われるのは巫女だけなのだ」
そして、今までに攫われた巫女たちの遺体は発見されていない。生きているのか死んでいるのかわからない状態だ。
「そこに誘導瘴気が関係してるのかはわからん。だが、巫女だけを狙い攫う、と言うのは何かしらの意思を感じる」
何者かの意思を感じる。そこは誘導瘴気と共通するところだ。
巫女を攫い強者を狙って倒す。死が日常のヴィシェルヘイムなら、あまり目立つ事ではない。だが、それは目立たないからこそ、やりやすいとも言える。それに気づけたのは、誘導瘴気が見えるセーラがいたからなのかも知れない。
今はまだハッキリと何者かがそれをやっている、とは言えない状況だ。おそらく魔人が絡んでいる。そう仮定するしかない。
「他に何か思い当たる事はありますか? 例えば怪しい人物とか」
裕二はそう質問する。しかし、裕二はその質問の裏で考えている事があった。
もし、裕二がその質問をされたら思い当たる人物。それは――
――シャクソン・マクアルパイン。
ほとんど根拠はない。だが、裕二が気になったのはバチルの言葉。「違うニャ……奴の気配は壊れているニャ」
その言葉がずっと気になっていた。
そして、今回死んだゼッカーはそのシャクソンの部隊だと聞いている。
だからと言って、シャクソンと誘導瘴気を結びつける証拠は何ひとつない。
「うむ……」
バンもセーラもなかなかその質問には答えにくいようだ。内密の話しとは言え、個人名を出すのは憚られるのだろう。
「勘ですけど、シャクソンとか」
しかし、裕二はあっさり口に出す。一度気になったらそれを黙っているのも難しい。
バンとセーラはその発言に顔を見合わせる。そして、口を開いたのはバンの方だ。
「ユージ殿。発言には気をつけなされよ。マクアルパインは強大ですぞ」
「は、はい……」
バンは少し苦笑いをしながら言葉を続ける。
「我々もそれは考えた事があります。なのでセーラ様が誘導瘴気を目撃した日。彼の行動を洗った事が何度かあります」
「ほう。結果は?」
「我々とはかなり離れた現場にいたり、非番だったりで、全く不審な点はありませんでした」
「そうなのか……」
確かに根性の悪そうな人物ではある。だからと言って魔人と結びつける事は出来ない。それに、これが本人の耳に入ったらえらい事になりそうだ。
「とりあえず、見れるかどうかはともかく。自分もその誘導瘴気を目撃したいですね。明日から行動をともにしてみますか?」
裕二たちは少数分隊として、ある程度自由に行動が出来る。ビスターには聖堂騎士団から要請があった、と言えば何とかなるだろう。多少勘ぐられてもビスターなら何も言わないはずだし、バチルはそんな事全く気にしない。
「そうしてくれると助かる。是非お願いしたい」
「じゃあ決まりで」
「よろしくお願いします、ユージ様」
そう言うと三人は僅かに笑いあった。バンの笑顔はちょっと怖かったが、それでも、今までの重苦しい話しから開放された気分だ。
「それとユージ様。私にもあの魔法を教えていただく事は出来ますか?」
「あの魔法?」
それはバスカートを救った魔法の事だ。
あの場でセーラはバスカートの為に祈っていた。だが、それで救えない事もわかっていた。それでもセーラにはそれしか出来なかったのだ。
しかし、あの場で試行錯誤しながら瘴気を感知し、その対策を講じた裕二に感銘を受けた。
自分もあの瘴気を感知出来れば。あの魔法が使えたなら。これから助けられる命をひとりでも増やせるかも知れない。
セーラは魔術師ではないが、巫女としての魔力はある。どうにかあの魔法だけでも覚えたい。セーラはそう考えた。
「でもセーラさんて、瘴気を浄化出来るんでしょ?」
「はい。ですが、あれは儀式。その準備をしている間に時は過ぎてしまいます。魔法のように即座には使えないので治療は無理でしょう」
ミズルガルバイパーの毒がまわり始めてから約三十分。その間に現場に行き、準備をしてたら到底間に合わない。
とは言え、裕二にとっても未完成の魔法。それを素人に教えるのは難しい。
「うーん。ちょっと考えてみますよ」
「お願いします」
もしそれが出来たなら、ミズルガルバイパーだけでなくメディッサバイパーの治療も出来るかも知れない。他にも毒を持つモンスターはいる。応用出来る可能性もある。
「ユージ様は良いお方ですね。私は始めからそうじゃないかと思ってました」
そう言ってセーラはニッコリと微笑む。巫女と言う立場があるからか、表向きはキリッとしているが、今のセーラは年相応の無邪気な笑顔だ。
――うっ! かわいい。
――裕二、リサとエリネアに言っちゃうよ。
――ミャアアア。
――リサはともかく何でエリネア。
――目指せハーレム!
――ミャアアア!
――目指さねえよ。
と、アリーとチビドラの突っ込みが入ったところで、バンとセーラは裕二の部屋を後にした。