103 魔法を阻害するもの
ヴィシェルヘイムのモンスターを倒しながら目標地点の休憩所にたどり着く裕二、バチル、ビスターの三人。
強固な石壁に囲まれたその場所は、殺風景ながらもいくつかの部屋に別れており、その中のひとつの部屋に人だかりが出来ている。
裕二たちはビスターを先頭にその場へと向かう。
「どうしたんですか?」
ビスターがその辺りにいる冒険者に訊ねた。
「ああ、どうやらミズルガルバイパーが現れたらしい。ひとり犠牲者が出たみたいだ」
「ミズルガルバイパー!」
以前、ステンドットがツェトランド家を騙す為に用いたモンスターの名。それがミズルガルバイパーだ。
その当時、ヘスから詳しく聞いた話しでは、ミズルガルバイパーは森の奥に潜みなかなか姿を見せないと聞いている。
ここヴィシェルヘイムでも珍しい部類に入るモンスターで出現率はかなり低い。
そして、その毒に冒されると三十分程で死に至り、治療方法は確立されていない。現段階ではまともな治療法がないとされており、致死率はほぼ百パーセントだ。しかし、ほぼ、と言うからには僅かだが助かった事例もある。その理由は今もってわからない。なので治療法はない、と言うのが一般的な認識だ。
「死ぬなバスカート!」
ベッドに横たわり、意識を失いながらも苦しげな表情を浮かべているのがバスカートと呼ばれた年若い男。その周りには仲間らしき者が必死に呼びかけている。
それとは対照的に、静かにバスカートに手をかざす数人の者は治癒魔術師だろう。
そして、もうひとり目につくのが、バスカートの隣で目をつむり、祈りを捧げる若く美しい女性。薄紫色の髪を肩で切り揃えた可愛らしい少女だ。
「ユージ殿。彼女が巫女のセーラ様です」
ビスターが裕二に耳打ちする。その飾り気のない質素な白い旅装束に身を包んだ女性がクリシュナード正教会の巫女。セーラ・ロウェルだと言う。
凛とした表情で両手を組み祈りを捧げるセーラ。歳は裕二と同じくらいだろうか。端正な顔立ちながらもその表情にはまだあどけなさが残る。
裕二がその周りをよく見ると、昨日戦ったバン・クルートートもいる。バンもこちらに気づき裕二と目が合うと軽く頷いた。
「バスカート。痛み止めだ」
そう言ってコップに入った薬を運んできたのは、こちらも昨日会ったラグドナール・ハルフォードだった。バスカートはラグドナールの隊の一人なのだろう。
その表情は昨日と全く違い沈痛な面持ちだ。
「ミズルガルバイパーは滅多に姿を現さないモンスターです。こんな場所で毒に冒されるとマトモに治療が出来ないまま死んでしまう。なので治療法の確立が難しいのです」
ビスターがそう説明する。
滅多に現れないと言う事は、その治療に使えそうなミズルガルバイパーの素材も手に入れにくい。様々な治療法を試そうとしてもその前に死んでしまう。街へ戻って設備の整った場所に行くことさえ出来ない。それが致死率ほぼ百パーセントになる理由だ。
現在、治療として行われているのは複数の魔術師による治癒魔法。だが、それも効いてる気配はない。気休めでもやるしかないのだろう。
肝臓や血液を使った治療薬の精製は、それに使う薬草の配合等がわからない。なので使ったとしても、もしかしたら効くかも知れない。と言う程度でしかない。実際はほとんど意味がない。
裕二はかつてメディッサバイパーの毒に冒されたドワーフ、そしてツェトランド伯爵を治した事がある。その経験から何か出来ないかと考える。
――テン、彼の容体はどんな感じだ。
――ちょっと待ってね。今診てみる。
霊体化のテンがバスカートに近づき、その体に手をかざす。しばらくするとテンは裕二の元へ戻ってきた。
――ダメだね。メディッサバイパーと同じ。毒自体が魔法を阻害してるよ。今更血液を絞り出しても間に合わない。
――同じか……いや、待てよ。
テンの言葉にふと疑問を抱く裕二。何か違和感を感じたようだ。
――魔法を阻害してるって何だ? 前にもそう言ってたな。それがなければ治療出来るって事か?
――うーん、たぶん……としか。
魔法を阻害するのであれば、それは毒の部分ではなくそれ以外の所に問題があるのではないか。テンの言葉はそうともとれる。
――魔法を阻害するもの。それは同じ魔法、もしくは魔力的な何か。
例えば使役の札を使うと、札に書かれた術式が魔法を構築する。しかし、そこに使われる魔力は術者自身のものだ。
そう考えると、バスカートの体内で魔法を阻害するものもバスカート自身の魔力を使っている可能性がある。
――つまりバスカートの魔力がなくなれば……いや、それでは毒ではなく魔力枯渇の影響で死ぬかも知れない。
裕二はとりあえずバスカートの魔力がどうなってるのか、それを目を細めて視認してみる。
――かなり少ない。枯れかけの泉みたいだな。魔術師ではないのだろう。
裕二は集中してバスカートの魔力を読み取ると徐々にそれが鮮明になってくる。体のアチコチで魔力が滞っている印象を受ける。
裕二は更に集中する。すると何か別の物を感じ始めた。
――この感覚……何だ? 俺はこれを知っている。何だったか……
どこかでこれを感じた事がある。もっと更に凝縮したものだ。
――確かそれは……そうだ! エンバードだ! あそこにいた魔人。そこから感じた禍々しさ。それと良く似ている。つまり……
エンバードだけではない。ヘスとともに向かったメイザー坑道跡。そこでも感じた事がある。それは魔人から発するもの。裕二はその禍々しさの正体が瘴気なのではないかと考えた事がある。
――バスカートの体の中、いや毒の中だ。そこには僅かだが瘴気が流れている。それが魔法を阻害しているのではないか?
つまり魔法を阻害しているのは魔力ではなく瘴気をエネルギーにしている。裕二はそう考えた。となるとその瘴気がなくなれば魔法は阻害されない。瘴気がなくなる事で魔力枯渇のような症状も起きないはずだ。
しかし、それをどうやるのか。
――もしかして魔食いの指輪があったら……いや、あれはヘスに返したし……そう言えば、セバスチャン。
裕二はセバスチャンを呼び出す。
――ヘスの持ってた魔食いの指輪に書かれた術式。あれあるか?
――はい。紙に控えて異次元ポケットに保管してあります。
裕二はそれを内ポケットから出す振りをして取り出した。
それは指輪に彫り込まれたものだったので魔石に内包された術式まではわからない。なので術式の全てではないだろう。
しかし、指輪には魔人の文字が刻まれている。裕二は直感的にこれが重要なのではないかと考えた。
「自分も治療に参加して良いですか?」
裕二はその紙を持ってバスカートに近づく。周りの者は見慣れない新参の裕二を訝しげに見ている。だが、そこにはラグドナールもいる。彼はそこで初めて裕二の存在に気づいたようだ。
「ユージ! 頼む。治癒魔法が使えるなら是非やってくれ」
周りが裕二に注目する。その中には一心に祈りを捧げていたセーラの姿もある。彼女もそこで裕二に気がついたらしく、不思議そうな目で裕二に注目した。
その時、一瞬だけ裕二と目が合った。
「治癒魔術師の方ですか。私からもお願いします」
「はい、やってみます」
ラグドナールとセーラ。この二人の承認があるなら誰も文句は言えない。それに他の魔術師もそんなに長時間魔法を使える訳ではない。交代しながらやるのだ。人数が多くて困る事は何もない。
裕二を訝しんでいた目も減ってくる。
裕二は紙に書かれた魔人の文字に手をかざす。そして、もう片方の手をバスカートにかざす。
「何だあれは……」
紙の事を言ってるのだろう。その様な声が漏れ聞こえるが裕二はそれを無視する。
これは裕二が新たな魔法を覚える時に使うやり方だ。術式を丸暗記、もしくは手をかざして自身の魔力に貼り付ける。コピペのようなイメージだ。
この場合、内容の理解は関係ない。設計図通りに組み立てれば作れてしまう電気工作のようなものだ。
そもそも魔人の文字は読めないのだからそうするしかないのだが。
今回はその文字が裕二の魔力を通りバスカートの瘴気に到達するよう強くイメージする。その為には裕二の魔力とバスカートの魔力が繋がってなくてはならない。
裕二にとっては初めての事。手探り状態だ。
――バスカートの魔力。そこから瘴気へ。そこへ直接魔人の文字を到達させる。
残り時間はあまりないはず。だが、裕二は落ち着いて魔力を探る。しばらくそれを続けると何となく感触がある。繋がったような気がする。
――これか?
その直後に何かが壊れたような感覚があった。裕二はそれが魔法を阻害していたものと確信する。だが、それが出来たのは一部だ。
裕二は引き続き別の場所でそれを行う。そして、数分が経過する。
「なあ、何か魔法が効いてる感じしないか?」
「俺もそう思ってた。さっきまでとは何か違う」
裕二とともに治癒魔法をかけていた者が、そう言い出した。周りの者は半信半疑だ。だが、その中のひとりがある事に気づく。
「おい、もう三十分以上経ってるぞ」
「なに? もしかして……」
その一言で周りの雰囲気が変わる。
裕二が加わった事でそうなった。最初訝しく見ていた者。裕二をあてにしていなかった者もそう思い始めた。
裕二は魔法を阻害していた瘴気を少しずつ破壊してゆく。それにつれ他の魔術師も治癒が効いていると確信する者が増える。それは目に見えてわかってきた。バスカートの顔色が良くなってきたのだ。
「治る! 治せるぞ!」
「バスカート! もう少しだ」
その頃に、裕二はほとんど全ての瘴気を破壊したと感じた。だが、これで終わりではない。
――テン、次は治癒しながら魔力の回復だ。
――わかった。
時間は既に二時間近く経過している。通常なら三十分ほどで死んでしまうはず。だが、バスカートはまだ生きている。
頬には赤みがさし、荒かった呼吸も徐々に収まってきた。
「うっ……」
「バスカート!」
そして、彼は意識を取り戻した。
――ここまでくればもう大丈夫。
――そうだな。テン、おつかれ。
バスカートの目が開かれると周りの者が沸き立った。ずっとそばにいたバスカートの仲間も目を潤ませて喜んでいる。
「さすがに疲れたな。俺たちも別室で休もう……ってお前寝てたのかよ」
「うニャ……終わったニャ?」
やる事はやったのだから、もうここにいる必要はない。裕二たちはバスカートが注目されてるうちにさっさと別室へ退散した。
しかし、そこにはバスカートではなく退散する裕二の背中に注目する者がひとりだけいた。
「あのお方は……何者なのでしょう」
「彼はユージと言います。先日シェルラックに来たばかりですが、相当な腕の持ち主です」
「クルートート卿はあの方をご存知なのですか?」
「ええ、昨日勝負して負けましたので」
「えっ! あの方はクルートート卿に勝ったのですか!?」
「はい。ですがその話しは後ほど。セーラ様もお疲れになったでしょう。とりあえず私達も別室へ移動します」
セーラ・ロウェル。彼女はしばらく裕二の立ち去った先を見ていた。