第02話
前の夫を結婚して僅か一年も経たないうちに事故で失って、何もかもがどうでも良くなったあの頃……
お腹にあの人の子供がいることがわかって生きることを選択したあの時、こんな事を考える余裕なんて無かった。
ただこの子の為にと生きることを選択し、とにかくがむしゃらに働き続けた私に変化が訪れたのは、それから五年後……
空き家だった隣の家に、とある親子が引っ越してきて少ししてからの事。
いつも幼稚園にしょんぼりと通っていた娘が、最近嬉しそうに行くようになった。
気になって話を聞いてみると、どうやら仲の良い友達ができたらしい。
よくよく聞けば、いつもちょっかいをだしては虐めていた男の子からかばってくれたのが切っ掛けのようだ。
どうやらその虐めていた男の子のせいで、暁美に友達が出来なかったらしい。
なんてことだろう…… しょんぼりしていたのは、ただ私と居られないのが寂しいだけと思っていた。
そんな事になっていたなんて……
いつしか働くことばかりに必死になっていて、そんな事にさえ気付かずにいた自分が情けないのと同時に、そのかばってくれた男の子にお礼を言うべきよね、と思った。
「あーちゃん、お母さんもその男の子にありがとうって言いたいから、その男の子をうちに連れて来られる?」
「うん。隣にいるよー」
「え? 隣?」
「隣の男の子だよ」
そう言って暁美は隣の家のほうを指さした。
「え? その男の子、お隣の子なの?」
「うん」
隣の家に誰か入ったのは知っていたけれど、そこに暁美と同年代の子がいるなんて事も知らなかった。
私って……
日曜日…… お隣の家を訪ねると、渋めの男性が出てこられた。
格好いい人ね。あの人とはタイプは違うけれど、さぞやモテる人だろう…… 奥さんも大変でしょうね。
「どちら様ですか?」
声も渋い…… ってそんな事を思ってる場合じゃ無くて。
「すみません、お休みの所を。私、隣に住んでおります大﨑と言います」
「あ、お隣の? すみませんね。こちらからご挨拶に伺うべきなのに。 僕、先日越してきました伊藤と言います。これからよろしくお願いします」
「いえいえ。私も中々家に居ないもので…… こちらこそよろしくお願いしますね。それで今日、お伺いしましたのは―――― あーちゃん、おいで」
近くで待っていた暁美に声をかけると、たたたっと走り寄ってきた。
「この子が、こちらの息子さんに幼稚園で助けていただきまして…… そのお礼にと。失礼ですが、お父さんでいらっしゃいますか?」
「そうですが…… 正樹がおたくの娘さんを助けたんですか? ちょっとすみませんね。おーい、正樹ー」
なーにー?
お父さんが奥に声をかけると、少し高めの可愛い声が聞こえた。
「ちょっとこっちにこーい。正樹にお客さんだぞー」
わかったー
たたたっと玄関に走り出てきた男の子。
うわっ、美少年。 これは将来すごい美形になる予感。
「お父さん、どうしたの?」
「ああ。正樹、お前、こちらのお嬢さんを助けたんだって?」
「んー? ああ、暁美ちゃんかー どうしたの?」
正樹君って言うのね、この子。
その正樹君が暁美を見てにっこりと笑って問いかけた。
「正樹君って言うのね。初めまして。暁美のお母さんです。よろしくね」
「…………きれー」
「ん?」
「なっ、なんでもないよ。こっ、こんにちわっ、暁美ちゃんのお母さん」
正樹君が真っ赤な顔をして首を振り、慌てて元気な挨拶をくれた。
「はい、こんにちわ。それでね、うちの暁美が正樹君に助けて貰ったって聞いておばさん嬉しくなって正樹君にお礼を言いに来たの」
「そうなんだ。でも、僕何もしてないよ?」
「あーちゃん、そうなの?」
そう言って暁美を見る。
「違うよ。正樹君助けてくれたんだよ。ヨシオ君に叩かれそうになったのにやっつけてくれたんだよ」
疑われたと思ったのか、暁美が必死に訴える。
「正樹、まさかお前、喧嘩したのか? なのに黙ってたな?」
正樹君のお父さんがキッと正樹君を睨む。
「あ…… えっと……」
正樹君が涙目になって後ずさる。
これは駄目。
「あ、あの伊藤さん? そうやって正樹君を叱らないであげて下さい。正樹君、おいで」
そして正樹君を抱きしめてあげた。
「正樹君はうちの暁美が叩かれそうなのを黙って見てられなかったんだよね」
正樹君は腕の中でコクリと頷いた。
「うん。格好いいぞ男の子。おばさんそういう子は大好きよ」
そう言うと、正樹君が顔を見上げて顔を真っ赤にした。
「でも、喧嘩したらお父さんには言わないと駄目よ? じゃないとお父さんが困っちゃうの。もし正樹君に何かあったらお父さんが泣いちゃうよ?」
その言葉に泣きそうになる正樹君。
ああ、素直で良い子だな、この子。
「お父さんに黙っててご免なさいって謝ろうね、正樹君」
「うん。 お父さん黙っててご免なさい」
「……ふぅ。うん、今度からはちゃんと言うんだぞ?」
「うんっ!」
「ありがとうございます、大﨑さん。僕じゃ怒るだけでした」
「駄目ですよ、伊藤さん」
「あ、はい。すみませんでした」
「そうじゃないです。正樹君を褒めてあげて下さい。うちの子を助けてくれたんですから」
「あ…… そうですね。正樹」
「うん」
「女の子を守ってあげたんだな、正樹。格好いいぞ。よく頑張った」
「……う……う…………うわーん」
「ああ、頑張った。頑張ったな正樹……」
そして、お父さんに褒められた正樹君が、お父さんにしがみついて泣き出した。
よく頑張ったね、正樹君。
今にして思えば、彼が私に執着するようになったのはこれが切っ掛けだったのかも。
それから暁美と正樹君が仲良くなり、幼稚園に一緒に通うようになってから互いの家の交流が少しずつ増えてきた。
そして、運動会のお昼休み時、家族でご飯を食べているお友達の光景を羨ましそうに眺めていた子供二人を見かねて、一緒のシートでご飯を食べて以来、イベント事は協同で行う仲になったのです。