はじめての武具店
〈ラビットラット〉が砕け散ったのを見届けた後、一息ついた。そして<木の大盾>を下げようとする。腕を突き出したまま体が動かない。
「え、え?」
突然のことに頭が混乱し、どうにか動かそうと四苦八苦する。数瞬後、思い通りに体を動かせるようになった。
どういうことだ? と問いつめようとガンツさんを見る。彼は信じられないものでも見たかのように目を見開き、俺を凝視していた。
「ガンツさん?」
「……お前、なんで<ラビットラット>の突進を受け止められた?」
呆然としていたガンツさんは、俺の声に我に帰るとそう質問する。
「えっと、【筋力上昇】に振っただけですよ」
「【筋力上昇】って確か……って、お前【パッシヴスキル】に振ったのか!?」
確かに【筋力上昇】は【パッシヴスキル】スキルだけど、そんなに驚くことか?
そう疑問に思っていると、ガンツさんは深いため息を吐いた。
「あのな、このゲームのプレイヤーの身体能力は現実の身体能力に依存するんだよ。飽くまでも【パッシヴスキル】は身体的補助でしかない。身体的補助といっても、【パッシヴスキル】に数ポイント振った程度じゃ、現実の身体能力となんら変わらないんだ。だったら<アーツ>が使える【アクティブスキル】に振った方がいい。数ポイント振った程度じゃ<ラビットラット>の突進を受け止められたりはしないしな。普通は受け止めきれずに吹き飛ばされる筈なんだが、お前、どのくらい【筋力上昇】に振った?」
「…………30です」
一瞬答えるかどうか迷ったが、ここで誤魔化すのもどうかと思い正直に答えた。それを聞いたガンツさんは頭に手を当て、嘆いたように、しかしどこか納得したような表情を浮かべた。
「なるほどな。数ポイントではなんら変わらないとしても、数十ポイント程度振れば変化がある、ってことか。くそっ、それにもっと早く気づいていれば……ここまで育てたキャラを捨てるのは痛い。どの道やり直すことはできないか」
「あの、<ラビットラット>ってそんなに強いんですか?」
独りでに呟いているガンツさんに、気になることを聞いてみる。ガンツさんは俯かせていた顔を上げて俺の目を見つめた。
「ああ、強い。ほぼ全てのプレイヤーがこの<ラビットラット>に死に戻りさせられると言っても過言じゃない」
その言葉を聞いて、今度は俺が驚く番だった。俺にとって<ラビットラット>は序盤の敵に相応しい強さだったのだが、<ラビットラット>に死に戻りする理由がわからない。
「<ラビットラット>は見かけ通りとても素早く、一撃離脱を主体とした攻撃を仕掛けてくる。しかも、素早いだけじゃなく、攻撃力も高い。ほとんどプレイヤーはその素早い動きに翻弄されて<アーツ>を使うことができず、<アーツ>を使うことができたとしてもミスるんだよ。そして翻弄されて続けているあいだに攻撃をくらって死に戻り、ってことだ。<ラビットラット>はパーティを組めば倒せる敵なんだが、最初からパーティ組もうとは思わないだろ? だからその度にソロじゃ勝てないからパーティを組めと言ってきたんだがなぁ」
これまでプレイヤー達に言ってきたことが間違っていたことに気づいたのか、ガンツさんは歯痒そうな表情を浮かべた。
「お前ともう少し早く会いたかったよ。そうすれば間違っていたことにもっと早く気づいただろうしな」
そんなことを呟いて、ガンツさんは空を仰ぐ。
「……ところで、アーツを使った後、謎の硬直に陥ったのですが、あれはなんですか?」
そんなガンツさんに声をかけ辛かったのだが、少し迷った結果聞くことにした。
「んお? 言ってなかったか?」
「言ってないですよ」
どうやら言い忘れていたようで、がっくりと肩を落とした。
「悪りぃ悪りぃ。それじゃあレクチャーその5だな。アーツを使った後は、必ず硬直に陥る。このことを俺たちはアーツ硬直と呼んでいる。アーツ硬直は、使ったアーツの威力が高ければ高いほど長くなる。そして、硬直した瞬間に別のアーツを使うことでキャンセルできるんだ。まあ、その分アーツ硬直は長くなるけどな」
なるほど。【大盾】LV5でも扱える《シールドバッシュ》でさえあの威力。アーツ硬直が無くてアーツをSPの許す限り使うことができたならば、敵を簡単に倒すことができてヌルゲーになるということか。
「さて、そろそろ行くか」
頭を振って嫌な思考を追い出したガンツさんは、門へと。
俺も一息付いて慌ててガンツさんの後をついて行った。
街について直ぐにガンツさんにある建物へ案内された。
「おう! ニャンコいるか?」
その建物は大通りに面したところで、『ニャンコの武具屋♪』という看板がかけられてあった。
その名前に気圧された俺とは違い、ガンツさんは慣れた様子で武具屋の中に入っていく。
慌てて俺も続いて中に入った。
「おお」
中に入った瞬間、感嘆の声が漏れた。
壁や棚に立て掛けられた様々な武具。オーソドックスな剣に始まり、マイナーな鎖鎌。軽鎧から重鎧まで、幅広く飾られていた。素人目に見ても、それらの質が高いことが伺える。
「なんにゃうるさいにゃぁ。誰かと思ったらお前かにゃ」
武具などを品定めしていると、奥から透き通るような声が聞こえた。そちらを見ると、奥から気怠げに目をこすりながらこちらに向かってくる女性がいた。
その女性のある部分を見て俺は思わず大声を上げる。
「猫耳!?」
そう、女性の頭には猫耳が生えていたのだ!!
俺の声がうるさかったのだろう。女性は猫耳を忙しなくピコピコと動かす。俺は、その猫耳に目が釘付けになっていた。
「なんにゃ、珍しいこともあるもんだにゃぁ。ガンツが初心者を拾ってくるなんてにゃ」
「そう珍しいことでもねぇだろ?度々連れてきてただろうに」
「これで三人目にゃ。どこが度々なのかにゃ?」
「うぐっ」
「だいたいお前が連れてくる人は変人が多過ぎるのにゃ。なんなのにゃ。拾ってきたのはお前なのに、結局最後まで面倒みるのは私なのにゃ。なんなのにゃほんとに」
「ぬぐっ」
「聞いているのかにゃ?だいたいお前はにゃ─────」
「ああえっと、あの、そこまでしていただけると私としても助かるのですが……」
俺が猫耳に夢中になっている間に随分と話が進んでいたようだ。取り敢えず、これ以上猫耳女性を暴走させると収拾がつかなくなりそうだったので割り込んだ。
「ああ、すまんにゃ。ちょっとヒートアップしたにゃ」
俺が割り込むと、猫耳女性はバツが悪そうに頰を掻いた。
「それにしても、今回は普通そうな初心者を拾ってきたのかにゃ。さっき猫耳がどうとか言っていたけどにゃ」
その言葉にギクッとする。
実は俺は、大の猫耳好きなのだ。ついでに言うと尻尾も大好きだ。
「ああ、こいつは司といってな。礼儀もあるし、マナーもある。飲み込みも早いし、期待の新人だ」
「そうなのかにゃ。なら安心したにゃ」
そんな俺の心境を他所に、ガンツさんが俺を紹介する。猫耳女性はホッと胸を撫で下ろしながら俺の前に立った。
「私はニャンコというのにゃ。よろしくにゃ」
「司と言います。こちらこそよろしくお願いします」
猫耳女性──ニャンコさんに握手を求められたので、差し出された手を握る。
すると、ニャンコさんは俺の手をニギニギと柔らかい手で握り始めた。
「ふむふむ、なかなかいい手をしているにゃ。事務仕事でパソコンを打っているかにゃ?」
「なぜわかったのですか?」
「ふふんっ、職人の勘にゃ」
そう言ってニャンコは胸を張る。あまりない胸を。いや、手のひらサイズくらいはあるか。これはこれでまた……。
「ジトー」
「ハッ」
邪なことを考えていると、ニャンコさんからジト目で見られた。
「まあいいにゃ。それで、ガンツ。用事はなんにゃ?」
「ああ。こいつに、これで【大盾】を作って欲しくてな」
そう言ったガンツさんは、テーブルに何かを勢いよく置いた。それを見たニャンコさんの目がこれ以上ないくらいに見開かれる。
「これは……」
「ああ。神鉄だ」
「お前がこれほどまでするやつなのかにゃ……」
「こいつは伸びる。俺のこのガンツというキャラを賭けてもいい。いずれこいつは俺らを超え、攻略組として活動するようになるだろう」
「お前にそこまで言わせるのかにゃ………わかったにゃ。お前に免じて金は取らないでいてやるにゃ」
「いいのか?」
「なんくるないにゃ。先行投資にゃ」
「助かる」
「任せるにゃ。それじゃ早速作業に取り掛かるからにゃ、私は鍛治場に引っ込むとするにゃ」
「頼んだ」
俺は、目の前で繰り広げられる会話に、声すら出せなくなっていた。神鉄がどれほどのレア度を誇るのかわからないが、相当なものなのだろう。なにがガンツさんをそこまで駆り立てるのだろう。ただの初心者でしかない俺に、なんでそこまでするのだろう。わからなかった。のしかかる期待。なんとしてでもトップに立たなければならないという重圧。 それらが俺を雁字搦めにする。
「安心しろ。これは俺が勝手にやることだ。お前は、お前のペースでこのゲームを楽しめばいい」
ガンツさんはそんな俺に気がついたのか、そう声を掛けた。
「ぁ、は、い」
しかし、喉からは掠れた声しか出ない。
「おいおい、大丈夫か?今日はもう落ちたほうがいいんじゃないか?」
前にも、こんなことがあった。あれは入社当時の頃、新入社員として働いていた俺は、急に重役を押し付けられた。その時にも、同じように体が強張り続けたことがある。しかし、そんなとき、佐藤課長が声をかけてくれた。『深呼吸をしろ』と。
大きく息を吸い、吸った息を吐き出す。
それだけで強張っていた体が解れ、声が出るようになる。
「いえ、大丈夫です」
俺は、ガンツさんの目を真っ直ぐに見つめ、そう言い切った。