第一章_07
くんくん。
「……う?」
やたら重い頭を必死に持ち上げながら、鼻腔をくすぐるいい匂いに思わず口の中が湿り気を帯び始める。
「起きたですか?」
「じゅる……。うん? あぁ、紅葉か」
「何でよだれが溢れてるです!?」
半分しか開いていない目がだんだんと光に慣れてくると、目の前に制服に白衣を着た幼女が立っていた。その制服は藍先輩のものとは違い、中等部のものだった。とはいってもたいした違いはなく、襟についているピンが中等部を示しているだけなのだが。
「腹減った」
「紅葉を見て欲情したわけではないのですね? ちょっと残念なのです」
なぜかがっかりと肩を落としているのは、下谷紅葉。ハント部に所属する、というか所属予定の中等部生。中等部生は高等部の部活に所属できないのが決まりとなっており、藍先輩がスカウトしたものの、正式な部員とはなっていない。白衣を着ていることから判るとおり(?)何かと天才的な少女。……見た目はただの小学生なんだけど。
「誰が小学生なのです?」
「あれ、もしかして口から出てた?」
頬を膨らませてそっぽを向くと、ツインテールもあわせて揺れる。こういう行動とかが小学生っぽいんだよな。
「また失礼なこと考えているです!」
「なぜ判った!」
今度は口に出していないのに!
「あ、やっぱり思ってたのですね!」
「引っ掛けられた」
俺が寝ている間に腕を上げたな、この小学生。
「そういえば今何時?」
「ちょうどお昼を過ぎたくらいなのです」
というと意識を失ってから数時間。いや、大げさに言ってるけどただの寝落ちだった。
「それで紅葉は何しにきたの?」
「お昼ご飯を食べに! じゃなかったのです。依頼されてたツールができたので持ってきたのです」
張れる胸もない胸を張って、自慢げに答える。
「なるほどね。先輩たちは?」
「藍さんはキッチン、駿さんはいったん家に帰ったのです」
「そっか。じゃあ俺も一回帰ろうかな」
「あ、ゆーさく。起き……ぶほっ!」
俺は帰るために立ち上がると、声が聞こえたのか藍先輩が顔を出す。しかし先輩の言葉は最後まで続かず、咳き込みとともに引っ込んでしまう。……ていうか笑いを堪えてた?
「紅葉」
「何です?」
そういえば紅葉もおかしい。さっきから会話をしているのにまったく目が合うことがない。俺は紅葉の前に回りこんで顔を覗き込む。
「……ぷひゃひゃ!」
やはり紅葉も堪えきれずに笑い出し、先輩の後に続いてキッチンへと退避する。
くそ、何かがおかしい。
俺は考えを巡らせようとして視点を彷徨わす。すると、特に思考することなく(というか止まった)、答えが見つかる。
「うはは、誰の顔だよ。って俺の顔だよ!」
鏡に映った衝撃的な顔(いや笑撃的と表そう)がこっちを見ていた。
くそ、誰の仕業だ!
「ってあの野郎しか思い浮かばん!」
俺の脳内には爽やかな笑顔を浮かべる駿平先輩の顔で満たされる。
「うぎーーー!!」
俺は怒りに任せて洗面所で顔を洗う。しかしまったく落ちない。
「しかも油性!」
「ゆーさく、これを使うといいよ!」
そういって藍先輩は顔を出さずに手だけ伸ばして化粧落しを渡してくる。俺は無言で受け取り必死に顔を洗う。
一〇分後、落ちきれず若干顔を薄黒くしながら、俺は全力疾走で部屋に帰った。みんなの恨み(全俺)を胸に抱えて。