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帰還そして決意

世界が徐々にだが崩れていく。毒々しい色をした空がガラスのように罅が入り、耐え切れなくなった一部が落ちてくる。大地に刻まれた裂け目からどこまでも色のない虚無が覗いている。エル・ヴェルスが作り出した異世界が壊れ始めている。


原因は目の前のエル・ヴェルス。空間を維持し続ける力も失い、己のカタチを保つだけで精一杯の様子だ。かつての異形は今や見る影もない。悍ましい魔力に包まれていた、その内側の姿はまるで人間のように脆弱で、触れるだけで崩れてしまうのではないかと思うほど弱々しい、痩せこけた少女だった。


「エゴ……コンティラム。コンフリガムオメンッ!」


ぶつぶつとまるで何かに憑かれたようにその言葉を繰り返す。少女の最大敵である僕を見据えて、もう歩く力すら残っていないはずなのに、一歩ずつ近づいてくる。


「我は壊す。全て壊すか。壊すだけしか能がないのか、お前は?」


少女は何も反応しない。夢遊病患者のようにぶつぶつと譫言を繰り返す。


「どうせなら最後まで化け物の姿でいてほしかったよ」


チカラを発動。右手に奇跡が集う。光り輝くロランのチカラが集い、形を成す。ロランは虫でも払うように無造作に腕を振るう。少女の首から上が弾け、砕け散る。


「姿かたちは似ていても化け物は化け物か」


頭部を失ったはずの胴体は本来なら機能停止をするはずなのだが、機能障害を起こさず、ロランに掴みかかってきた。少年の首を締め上げる。その痩せこけた細腕からは想像できないほどの強さで。


指先が食い込む。敗れた皮膚から血が滲む。己の持てるすべてのチカラでロランを殺しにかかる。まるでロランの存在を否定するかのように。けれども全盛期とは程遠い、戦いで消耗したとはいえロランにとっては何ら問題にならない程度のものだった。


奇跡が集った右腕が少女の胸を貫いた。腕を通した感触から人間にあるはずの臓器は皆無だとわかる。やはり化け物は化け物だ。


だらりと少女の腕が力無く垂れる。貫かれた部分を起点に消滅していく。


「これで終わりだ」


諸悪の根源を断ったのだ。もうこの世界にエル・ヴェルスという異形は二度と現れない。今までとは違って完全に終わった。そして勇者としての役目も終わった。


「さて……僕はどうやって帰ればいいのだろうか」


この異世界と繋がっていたはずの超空間通路は消え失せている。全てはエル・ヴェルスのチカラで維持されていたのだから、維持者が消えれば維持物も消えることは至極当然だ。


崩壊する世界は加速度を上げていく。どうすることもできない少年はただ大の字に地面に倒れ込み、目をつぶった。元々覚悟は決まっていたんだ。この世界にロランとして呼ばれた時も、この異世界に足を踏み入れたときも、エル・ヴェルスを殺したときも。


けれども決意とは裏腹に走馬灯の如く僕の脳裏を駆け巡る思い出の数々。生き抜くためとはいえ色々と酷いことをしてきた。数々の想いを利用した。それでもこの五年間は幸せだった。ヒトを好きになり、愛されることを知り、報われないことを知った。


「でも最後に一目……会いたかったな」


思い起こされる愛しいヒト。例えそこにいなくても、そのヒトの感触も匂いも声も全て思い出せた。


世界から音が消えた。


「あ~あ……死にたくないな」


でもどうしようもないことだ。次元を渡る術を持たぬ少年にはこのまま崩壊の流れに身を委ねる以外何もできない。


世界から光が消える。


世界から……僕が消えた。


何もかも、音も光も感触も黒く塗り潰される。そして思考も虚無に染まった。




「超空間通路が閉じた。ロラン、遣り遂げたのだな」


つい数瞬まで存在していた超空間通路の名残である時空の歪を眺め、軍服を身に纏う少女は呟いた。どこか満足げに、満ち足りたように。


「全世界に告げろ。我々人類は勝利したと」


超空間通路から這い出てくるヴェルスたちをこれ以上人間界に蔓延ませないために結成された連合軍に向けて高らかに少女は勝鬨を上げた。勝利したのだ。我々は生き延びたのだ。忌むべき天敵を、我ら人類の捕食者を根絶したのだと。そして雄叫びが上がる。数十万もの人間が生み出した声は物理的な衝撃を持って少女に襲い掛かった。身体を突き抜ける咆哮、堪らず少女も咆えた。


「後の事は委細任せる」

「……本当によろしいのですか? 私としてはあなたを行かせたくない」


長年連れ添ってきた従者である、少女よりも一回りも年上の女性は悲痛に満ちた声音で少女を止める。それだけ少女がこれから行うことは危険なことだ。誰も我が子同然に育ててきた娘を死地に赴かせたくはない。けれども少女の決意は変わらなかった。


「今しかないんだ。この死の螺旋を断ち切るには」

「でもあなたが行く必要はないわ。次にアレらが現れるのは百年後。私たちは生きてはいないのよ」

「ニモカ、もう何度も話し合って決めたことだ。我らエルドリード大願のためだ」


そう何も他人の為に死地に赴くのではない。全ては己のため、己の夢、野望の為に行くのだ。


「ボクがこの世に生れ堕ちたのは此の為だ。ボクの存在理由を果たさせてくれ、お母さん」

「どうして……どうしてあなたが」

「ボクは人間じゃない。それだけで十分な理由だ。皆がボクをこう言っているだろ。女神だ、神の落とし子だと。なに、安心してくれ。少し神様とやらに会いに行くだけだ。死ぬつもりは毛頭ない」


泣きじゃくるニモカに背を向け、少女は歩き出す。


「さて、約束を果たしに行こうか」


美しい銀髪を靡かせ、黄金色の隻眼を爛々と輝かせながら一人超空間通路の名残へ手を伸ばした。



誰かの声が聞こえる。かつては虚無しかなかった空間に変化が現れた。本当に些細な変化だ。囁くような微かな音としか捉えられない、さざ波のような声。まるで水面に小石を投じたように些細なもの。けれども黒い画用紙に白の絵の具で書き込む様に虚無を切り払う。少年の覚醒を促すには十分な変化だった。


何十年もの眠りから覚めたような感覚だ。外界の刺激が強く感じる。日の光をこんなにも眩しく、そして素晴らしく思うにはいつ以来だろうか。


「僕は……虚無に飲まれて……」


だが現実は違う。戻ってきたのだと感覚が訴えてくる。鼻孔を擽る匂いも肌を撫でる空気も全て僕に馴染みあるものだった。


病的な潔癖さが露になる真っ白なシーツ。不快感を感じる消毒液の匂い。人工的な光を放つ蛍光灯。そう……元いた世界に帰ってきた。右腕に刺さる点滴の針を引き抜く。ちくりとした痛みが現実だと訴えかける。


僕は今まで眠っていて、あの五年間は夢幻だったのではないだろうか。そう思いたくなるほど、現実感のない日常だった。これでもう命を奪うこともなく、殺される不安を抱えることもない。もう二度と非日常を味わうこともない。残された人生を平凡に過ごすのだろう。もう二度とあの生活には戻れない。


「最後に一目、貴女に会いたかったなぁ……」


止め処なくあふれ出す涙を拭おうとして違和感に気付いた。本来ないはずのものがそこにあった。左手薬指に見覚えのある指輪、光を浴びて存在を際立たせている。


「これは……」


見間違えるはずがなかった。あのヒトが本当に大事にしていた指輪だ。だが何故それが今ここに存在している。決して干渉することなどできない虚無の中にいたはずなのに。


「ああ、そういうことか。アイツの仕業か」


こんな無茶苦茶な芸当ができる奴は一人しか思い浮かばなかった。自身と同じ化け物であるセレネ・ルエル・エルドリードの仕業だろう。けれども何故奴が危険を承知でこんな真似をしたのか想像できなかった。奴とは非常事態において同盟を結んでいたが、敵国のはずだ。情で動くような生温い性格ではない、傲慢冷酷なあの女が何故……


不意に指輪から魔力が漏れ出した。とても懐かしく、胸を締め上げる感情に襲われる。まぎれもないあのヒトの声が囁きかけてくる。


『今、こうして指輪が貴方に届き、私の声を聞いているということは、もう貴方は私のもとから消えてしまったのですね。このような結果は解り切っていたことでしたが……』


そう。初めから決まっていた結末だ。それがあの世界とロランとの契約だ。


『離別が決定されている者同士が愛を育む。何て愚かな真似でしょうね。でも後悔なんてしていません。貴方を諦めるつもりは毛頭ありません』


諦めるつもりはない。世界を渡る術が絶対あるはずだ。現に渡れたんだ。だから絶対に諦めない。


『もっと貴方に声を届かせたいです。でももう残された時間もわずか。だから最後に私の想いを告げます。私は貴方が大好きです。例え貴方が……』


ぶつりと声が途切れた。時間切れのようだ。指輪に込められていた魔力も消え失せ、もうただの指輪でしかない。だがそれでも十分だった。これからの目標も決まった。


「僕も大好きだ。だから絶対に、貴女のもとに戻る」


例え何百年かかろうとも諦めない。

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