第〇九話 接続されたままの女 (前編)
「あら、食材がもうありませんねぇ」
食糧保存箱をごそごそとやりながら、アナスタシアが言う。
俺がこの世界に来てから、はや三日である。
もともとたいした貯蔵量じゃなかったところへ俺が来て、消費量は単純計算でも二倍になった。
そのせいか、もう空っぽらしかった。
「獲ってくるか?」
「野生のなんて、しっかり血抜きとかできなきゃ食べられませんよぅ」
「お嬢様かよ」
「まっ、生まれはそうなりますねぇ」
やたらと、ない胸を張って自慢げにアナスタシアは言う。サーキス。サーキスねぇ。
お偉いさんとか貴族とかなら、無駄に長いミドル・ネームだとかファミリィ・ネームだとかがあると思っていたんだが。
この世界じゃそうでもないのかもしれない。
もしくは――この可能性のほうがまったくもって高いが――真っ赤な嘘であるか。
黙っていればかわいいものを。
十メートルぐらい離れて観察するには問題ない造形をしているだけに、神様というものが居れば、まったくおかしなソフト・ウェアを組みこんだものだ。
ん? ああ、そうか。
「……だから放流されたんだな。かわいそうに」
「失礼ですねぇ。人を川上りする魚みたいに」
「え、しないの?」
「しませんよぅ! ……心底おどろいたみたいなジェスチャーしないでください。表情がなくてわかりませんからぁ」
「そりゃ失敬」
ついつい忘れそうになるが、俺はバケモノ状態がデフォルトなのだった。
頭部はドラゴンの顔を模したようなものになっていて、たしかに表情なんぞわからない。
おまけに鼻から口までにかけてはロックのようなものなのか、つるりとした曲線状のプレートで覆われていた。
それを解除しないと食事もできないのだから、なかなか不便なものである。
「っていうことは、だ」
「はい。買いだしに行きますよぅ」
「つまり、人の街まで行くってコトだよな」
「そうなりますねぇ」
「俺、この世界で人間に出会うのおまえ以外ではじめてなんだけど、どういうのが多いんだ?」
そうなのだ。実のところこの三日間は、エンジンを二基搭載してしまったせいか、アナスタシア曰く第二段階の弊害か、俺の体調がかなりわるくなっていた。
そのせいで、不愉快なことに大高原の大きな屋敷であらせられるアナスタシアの洋館に引きこもっていたのだ。
医者と患者のような関係で、一日に何度も調子を見られたりしたこと以外は、不便なかったのだがさすがに飽きた。
まだ日本にもどれない以上、俺はこの世界で暮らしていかなければいけない。そのためにもいろいろと知る必要があった。
「んー。そうですねぇ。もっとも繁栄しているのは、そちら側の人間みたいなプレーンが多いですねぇ」
「プレーンねぇ。アップル・フレーヴァとか、ストロベリィ・テイストとかあんの?」
「はいはい、それはおいしそうですねぇ」
ちょっとしたギャグを軽く流されるほど、ツラいことはすくないのではないだろうか。
「そっちの世界の人はたいてい驚くのですがぁ、長命種や巨人種なんかが存在しますねぇ」
「ほー。エルフやティタンみたいなものか」
「コレクト! あとはまあ特筆すべきことでもないですが、バケモノとの交配種ぐらいですかねぇ」
「いや、そりゃたいしたことだろ!」
「やはり驚きますかぁ。そちらの世界にも、なにやら同種以外へ性欲を解き放つ変態はいると聞きましたよぅ。似たようなものでしょう」
「……ごく一部、そういう特殊なのはいるな」
「それとおなじです。まだ生産性があるぶん、こちらの世界の変態のほうがマシでしょう」
そう言われてみれば、たしかにそうかもしれない。
海外のニュースかなんかでは、ソファだとか金網だとか、無機物にですら欲望をぶつける奴もいるようで。
そう考えてみれば、画面のなかの恋人へ愛を語るのと似たようなものだろうか。
一種の変態であるという事実はかわらないし。
「人間についてはわかった。じゃ、これからいくところについて教えてくれ」
「うーん、面倒ですねぇ。行きがてらはなしましょう」
「しょうがねぇな、わかったよ」
そう言って、わずかに残っていたカチカチのフランスパンみたいなものを放ってから、アナスタシアは外出の準備をするためか、二階の自室へと上がっていった。
フェイス・ロックを解除して噛みついてみたものの、石をかじっているような食感だ。
スープにでもつっこんでふやかすか、火で炙ってやわらかくしないと食えたモノではない。
どうしようか、と腕を組んで考えてから、どっちもできることを思いだした。
引きこもっているあいだ、暇だからふたつのマグス・ハートでなにができるか遊んでいた時に、なんとか火力を調整することを覚えたのだ。
ホンのわずかだけ胸のマグス・ハートを灼熱色に輝かせ、手のひらをコンロのようにし、それで炙る。
すこし焦げたがまあまあ、うまくいった。噛みついてみれば石から若木ぐらいにはやわらかくなっていた。
結局のところ、俺は水でふやかしてから食べた。水びたしのパンがうまいかどうかは、試してみればわかることだ。
「お待たせしましたぁ」
そういって階段を軽やかに降りてきたアナスタシアは、よそいき用の服に着替えていた。
いつものセーラー服ではなく、丈夫そうなカーキ色のアウターと同色のチノ・パンツに、サファリ・ハットをかぶって革のリュック・サックを背負っている。やたらに重装備だが、ちょっと買いだしに行くという雰囲気ではない。
「お待たせって、そんな遠くまでいくのか?」
「いいえ。いちばん近くの国ですけど」
「国ぃ? ……そういや、この屋敷って人里からどれぐらい離れてるんだよ」
「そうですねぇ。ざっと百キロメートルぐらいですか」
「遠すぎるわ! どんだけ人嫌いなんだよ。……っていうか、いつもみたいにびゅーんとワープしないのか?」
「あの魔法はけっこう疲れるんですよぅ。それに、この世界を見てまわるのもわるくないでしょう?」
「あー、そんなはなししてたっけ。ま、いいや。で、百キロだっけ。片道三日ぐらいの旅か?」
「まさか。一泊二日ですよぅ」
「えぇ、どうやって?」
「どうやってって、わたしは飛んで。快三さんは走ってですけどぉ」
「ああ、そうか。けっこう速く走れるんだっけ」
いまだに人間であったころの感覚が抜けきらない。いや、完全になくなってても困るんだけど。
たしか、ドラゴンとたたかったときはどのぐらいのスピードをだしてたっけ。
持久力に問題がなければ、たしかに一日どころか半日でいけるか。
「オーケイ。なら行くか」
「人里の十キロぐらい手前になったら、きちんと人間状態に変身してくださいねぇ。わたしは別に、バケモノ状態で街にインして退治されそうになったところを、むざんに滅ぼすってのも素敵だと思いますけどぉ」
「しねぇよ。そうすると、道中は完全にバケモノ状態ってことになるよな。変装とかしないでだいじょうぶかよ」
「いいんじゃないですかぁ。バケモノがうろついていること自体は、いつものことですからぁ」
「すんげぇ物騒じゃねぇか!」
「そういうのもおいおい説明するってことでぇ」
アナスタシアが玄関に立てかけてあった箒を手にとり、ドアを開けた。
それに着いていって外へでると、窓から差しこんでいた日とおなじなのに、直接浴びるだけで数割増しであかるく感じる。
いまから走らなければいけないので、躰をほぐしていると、目的地を聞くのを忘れていたことに気づく。
「で、これから行く国の名前はなんていうんだよ」
「あら、言ってませんでしたっけ。〔ふわふわもこもこ王国〕ですよぅ」
「――はぁ?」
耳がおかしくなったんだろうか。
いま、とてつもなくメルヘンティックな名前を聞いた気がする。
「ワン・モア・プリーズ」
「だから、ふわふわもこもこ王国ですってばぁ。……おかしいですね、翻訳魔法の調子がわるいんでしょうかぁ」
「ふわふわもこもこ王国……」
「なんだぁ、ちゃんと聞こえているじゃないですかぁ。もう、やですよぅ」
「いや、ちょっとまて。なんだその名前ふざけてんのか。それと翻訳魔法ってのはなんだよ」
「……んにゅー、息をするのもめんどくせぇ。ま、飛びがてらってことでぇ」
そういうと、箒に横座り――跨がらなかったことに、すこしばかり幻想を砕かれた思いだ――して、ピンク色の髪をなびかせて、原動機付き自転車よりも速く、北東へ向かってすっ飛んでいった。
ほぅ。日に髪がキラキラと反射して、なかなかきれいなもんじゃないか。
……いや、のんきに眺めてる場合じゃねぇよ。見失ったら完全なる迷子だ。
「ちょっ。おい、待てよ!」
俺は、全速力で走りだした。




