第〇六話 水もしたたるいいドラゴン (後編)
島は、ぽつりと浮かんでいる孤島のようで、その他には海しか見えない。
ここが手前だとすれば、島の奥のほうにはちいさな森があり、その木々は樹齢何百、何千年なのかもわからないほどに背が高く、そのなかになにがあるのかまったくわからない。しかしずいぶんと成長しているので、そのなかで独自の生態系が営まれていることは想像にかたくない。
それ以外はほとんどなにもないといってよく、人工的な建造物はまず見当たらなかった。
計ってみなければわからないが、島の全長は一〇キロメートルもないのではないだろうか。
それほどにちいさく不便な土地で、こんな辺鄙なところまでこなければいけないというのなら、ワープ・ポータルはたしかにありがたいことだった。
「そのバケモノというのは、どこらへんに居るんだ」
「そうですねぇ。だいたい二キロぐらい先ですか」
そういってアナスタシアが指を差す方向にはちいさな森林があった。
そのなかにバケモノは巣をつくっているのだという。
「じゃあいくか」
「ちょっと待ってください」
「なんだ?」
「えーと……一分ぐらいですかねぇ」
そういってピンク色の髪をどこからか取りだしたリボンでまとめてから、アナスタシアはその森を睨みつけた。
どこか厳粛な雰囲気を感じるほどに、いまの彼女は真剣味を帯びている。
それほどにバケモノとやらは危険なあいてなのだろうか。
「いいですか。いまから魔法を一発撃ちこみます」
「ここからか?」
「はい。それは多分、無効化されます。森はあいて側のテリトリィなので、おびき寄せますよぅ」
「そういうことならわかった」
その様子を邪魔することはできず、見守るしかない。
その内に、アナスタシア・サーキスは信じられないほどの声量で世界に訴えた。
「術式展開〔FOX1〕、立体積層型構築魔法展開〔アンチ・マテリアル・ライフル〕!」
「はぁ!?」
フォックス・ワン。アンチ・マテリアル・ライフル。あいつはそういった。
フォックス・ワンとはどういうことだ。完全に航空軍事用語じゃねえか。つかいかたはむちゃくちゃだけど。
おまけにアンチ・マテリアル・ライフルだ? 純度一〇〇パーセントの兵器だ。
そのてきとうなヴォイス・コマンドで、しかし空中には幾何学模様の魔法陣が無数に積み重なったものがつくりあげられていく。
折り紙を織りこみように、あやとりを複雑にしていくように、絡み合う魔法陣が俺には理解できない意味をもって、ひどく緻密にカタチを成していった。
「ロール・アウト。射線クリア」
ピンク色の魔法砲がなにかしらの反応をしめすのだが、ちっとも理解できない。
俺にはただことを見守ることしかない。そしてアナスタシアが宣言してから、一分が経過しようとしていた。
「Tallyho! ターゲット・インサイト、砕け散れぇ!!」
その声で、魔法〔アンチ・マテリアル・カノン〕は発射されるのだった。
ものすごい音がして、ピンク色の魔法弾が森へ飛ぶ。
しかし超音速の弾丸は、森へたどり着くその前に忽然と消えてしまうのだった。
「わかりましたかぁ、快三さん」
「わかるか。どういうことだよ。あの弾丸が綺麗さっぱり消えちまったけど」
「そういうことなのです。強い弱いに関わらず、放出系魔法はあのように完全無効化されてしまうのですよぅ」
「なんだそりゃ。俺の〔閃光〕もお前のアレも、ぜんぜん効かないってことかよ」
「はい。魔法の資質は髪色に顕れます。わたしは火力と破壊の〔炎〕、そして生命と防護を司る〔光〕が強く出ているので、その中間〔ピンク〕の髪色なんですよぅ。そしてあいては、相性最悪な知性と支配の極致〔水〕。そういうことで炎はまったくもって使えないのですよぅ。……ということで、あとはお願いしましたよぅ、快三さん!」
「はぁ!? なんだそりゃ、ふたりがかりで倒すんじゃなかったのかよ!」
「上空から援護はしますよぅ。それと快三さんは〔炎〕の極致。相性は絶望的なのですよぅ。がんばってくださいねぇ!」
そういってピンク色のアクマは、どこからか取りだした箒で宙を舞う。
ざぁ、と風の吹く音がして、頭上高くそのすがたは消えていった。
さわやかな風と波の音が、しずかに響いている。俺はひとりになったのだ。
「な、なにぃ――ッ!?」
見捨てられた。
思えば、腹を一杯にさせて満ち足りた気分にさせられたところから、すでに仕組まれていたのだ。
一瞬でも隙をつくるべきではなかった。すこしでもガードを緩ませるためのものだったのだ。
そして愚か者へ仕置きをしようと、その奥深くから主はやってきた。まさしく青色のかたまりだ。
デカい。視界のほぼすべてを埋め尽くすほどの巨体は透明なスキンで覆われていて、どこか像がぼやけているのだが、それでもわかる。
突きでた鼻、牙の並ぶ口、生えた角、タングステンをもたやすく切り裂くだろう爪、鋼鉄をもへし折るだろう尻尾、どうすれば傷つけられるのかすらわからないなめらかな鱗、伸ばせば一キロメートルもありそうな翼など、数えれば強い部分しか見当たらない。
「ド……ドラゴン、です、か」
どこからどうみてもドラゴンなのだった。
水のマグス・ハートを持つ存在で、俺が宿すマグス・ハートと同程度の存在で、魔法使い・アナスタシアが逃げ出すほどの存在だ。
イケる。俺ならイケる。むしろヤれる。
自己暗示をかけようとするのだが、いや無理だ。と、こころがその思いこみを信じてくれない。
「はわ、はわわわわ……」
震える俺に、上空からピンク色の光が舞い降りた。
「防御力向上の魔法です。さ、ファイトですよぅ」
「やかましいわい!」
どこかの空にいるクソったれピンクを睨みつけようとした瞬間、世界がスライドしていく。
「おぶっ!」
水の竜が、その爪で俺を切り裂こうと殴りつけたのだ。
圧倒的な体重差の前に、背後の岩へ叩きつけられるまで、水平に飛び続ける。
「がふっ!」
かなり痛いがそれほど痛くはない。矛盾しているけどもたしかな感覚だ。
素の防御力が高いことに加えて、いまいましいが防御力向上の魔法が効いているのだろう。
だがちっとも勝てる気がしなかった。でも、やらなきゃ一生バケモノのすがたでいなきゃならない。
どっちにしろ、このままどうにかしなきゃ殺されるのだ。あのファッキン・ピンクのせいで。
それだけは我慢ならなかった。やはりあいつは、一度くらい殺しておくべきなのだ。
「うおおおぉぉぉっ!!」
立ちあがり、胸部から全身へ流れる熱量を解放する。
怒りを集中させて右脚へ。岩を足場に俺は跳ぶ。
灼熱が解放されてブースターのように躰を推しだした瞬間、違和感に包まれた。
「なんだ、制御できない?」
「ダメですよぅ。水の力は知性と支配。体外へ放出する魔力は、ぜんぶ無効化かコントロールされるって言ったじゃないですかぁ」
「コントロールは言ってねぇよ!」
躰はジグザグに進んでいき、地に叩きつけられて削りとるように這いずりまわされる。
放熱をすぐにやめたのだがそれでもう、おそろしさが身に染みた。
腕から熱線を放つ〔閃光〕も、足から噴射して推進力を得る〔加速〕も、どっちも使えない。
ヤバい。たしかに炎と水は最悪の相性だ。マジで勝てる気がしねぇ。
それでもドラゴンは手を休めてくれない。地に落とした俺を目がけ、ゆっくりと近づいてくる。
――勝てるのか?
それでも勝たなきゃ死ぬんだ。やるしかない。
手を突いて、膝を立て、無様に立ち上がる。
一回も攻撃していないのにすでにボロボロだった。
そこへまたピンク色の光が降りそそいだ。
その瞬間、躰の痛みが和らいでいく。
「回復魔法をかけましたよぅ。安心して特攻してくださいねぇ」
「このアクマがぁ! 死んでもこき使って倒させようっていうんか!」
「やですよぅ。そんなこと一言もいってないじゃないですかぁ」
「だったらお前も降りてきていっしょに戦えやボケぇ!」
「そんなことしたら痛いじゃないですかぁ」
「死ね! 死に腐れ!」
俺には、もはや悲壮な決意すら許されない。
勝つまでトライアル・アンド・エラーをさせられる人形なのだった。




