第〇四話 もう人間じゃない (後編)
屋敷の探索が終わってしまったので、俺はアナスタシアを放置していたゲスト・ルームまでもどる。
すでに彼女は目覚めていて、じぶんですべての拘束具を外したところであった。
魔法使いと言うより、手品師のたぐいだ。
しかし、それぐらいのことはやってのけると思っていたので、精神的動揺はない。
「よう、クソビッチ。いいお目覚めかよ」
「失礼な。わたしはまだ乙女ですよぅ」
言葉にキレがない。どうやらチアノーゼ気味だったのはほんとうのことらしい。
よく見れば顔色が青い。まだ弱っているいまがチャンスだろうか。
「聞きたいことが山ほどある。覚悟はいいだろうな?」
「……ふむぅ。しかたありません。悪の大魔王に捕まってしまったカワイソウなわたし。ああ、まだ無垢な躰をむさぼり尽くされるのですね!」
首を引っこぬいてよかったのなら、どれほど楽でいいことか。
俺は無視して言葉を続ける。
「まずひとつめ。俺の躰はもとにもどるのか」
「現時点では無理ですねぇ。移植の結果、快三さんはマグス・ハートを取りこんで、融合したかたちとして再構成されたのですよぅ。ぱこっと外せるわけじゃあるまいしぃ」
「やったのは誰だよ!」
そんなこともわからないんですか?
と言いたげなその明晰な頭脳に、うめぼしを食らわしてやった。
「いだだだだぁ! な、中身がでるぅ……!」
そう言われて、ぱっと手をはなした。
たしかに軽く壁をぶちこわすようなちからでぐりぐりとやったら、脳がバターになりかねない。
気をつける必要があった。代替物が見つかるまでのあいだは。
「ひいぃぃ……死ぬかと思いましたぁ。で、でもですね。もとのすがたになることは可能なのですよぅ」
「ホントか? どうやってだよ」
「いま快三さんは、マグス・ハートから供給されるエネルギィの負荷に耐えて運用できるようにするため、そのすがたになっているわけですぅ」
「ジェネレータの出力に適応しようとフレームが変形したってことだな」
「はい。ここで問題なのが、すでに融合した結果、形状はいまのすがたがデフォルトだということですよぅ」
「フレームを変形前にもどしたら、いつ負荷で壊れるかわからないってことか?」
「そうなりますねぇ。だいたい、限度は十二時間というところでしょうかぁ」
バケモノ状態が通常になってしまった俺は、人間のすがたになるために〔変身〕しなければいけないというわけだ。
しかもその限度は一回につき十二時間が限度、安全面を考慮すれば、十時間に抑えておきたいところだろう。
それはとても人里で暮らせる状態ではない。
だが希望は見つかった。
マグス・ハートの出力に耐えられるよう人間状態の方を強化できれば、問題は消える。
「その、人間のすがたにもどる方法ってのは、どうすりゃいいんだ」
「かんたんですよぅ。マグス・ハートのエネルギィ――熱が、全身を循環しているのはわかりますかぁ?」
「んー……ああ。躰のなかにパワーは感じる」
「そのラインとマグス・ハートの接続を切ることで、躰の変異はもどります」
そのとおりにやってみると、俺の躰は手足の先のほうから人間状態へもどっていった。
学ランが破れていないことは幸いだった。下手すれば、全裸で放りだされることになる。
ひさしぶりの肌色だった。もはや二度と見られないと思っていたすがただ。
「おお、もどった」
「ただ強力なエネルギィは、人間の快三さんにとって毒なのですよぅ」
「バケモノにならないと、すこしずつ蝕まれるってことか」
「はい。人間の状態で朝から夕方まですごしたら、浄化には一日以上かかるでしょうねぇ」
と、いっているあいだにも、胸のあたりにじんわりとした熱がこもるのが感じられた。
おそらく、これがマグス・ハートなのだろう。放熱できない分、溜まっているのだ。
多分、熱はどんどん上がっていくにちがいない。
こんな状態では、十二時間どころかその半分も我慢できるとは思えなかった。
俺は早々に〔変身〕を解いて、バケモノのすがたにもどることにした。
手順は逆で、マグス・ハートと全身を走っていた赤いラインを結びつけるイメージだ。
すると、いともたやすく俺の手足は異形へと変わり、胸の奥に感じていた熱が全身を伝って循環していく。
懐かしの肌色は、見る影もない。
「こんなの無理だ。人間状態でいられるわけがない」
「ふむふむ。そうなのですかぁ。いや、なかなかいいデータがとれました。感謝ですよぅ」
にこにこと笑うその顔面に拳を突きたてなかった俺の理性は、高く評価されるべきだ。
いやしくも、超人的なパワーを手にしてしまったがゆえに。
もっとも、殴ったところで完全に防がれるのだろうが。
「融合しちまって、もとにもどせないってのはわかった。だったらつぎだ。完全に人間状態で、二十四時間以上すごせるようになるには、どうしたらいい」
「ううん……そうですねぇ。人間状態を鍛えるっていうのは、長期的なプランでスピードのある解決にはなりませんから、バランスをとればいいんだと思いますよぅ」
「バランス?」
「お肉を食べたら野菜を食べようというのといっしょで、快三さんに移植したマグス・ハートは、感じているとおり〔炎〕のちからを放出しているのですよぅ」
「待て。それじゃあなにか、〔炎〕のちからを中和するようなものを、さらに移植しろってのか?」
「そうなりますねぇ」
風呂が熱かったから、水を入れてぬるめるというのはわかるはなしだ。
俺だってそうする。だが、この場合はちょっとちがう。
「俺の躰はどうなる。エンジンをふたつも積んで、フレームが耐えられるって保証はあるのかよ」
「あ。気づいちゃいましたかぁ。たしかにマグス・ハートの移植自体、快三さんが初の成功例なわけです。しかしですよぅ、このまま炎のちからを押さえこむ方法を考えるよりは、可能性が高いと思うんですがねぇ?」
「完全にお前が実験したいだけじゃねぇか!」
「でも、ほんとうのことでもありますよぅ」
「ぬぅ……」
すこしのあいだ、考えこまなければならなかった。
人間状態の俺がちょちょいとパワー・アップするという可能性は低い。
アナスタシア曰く、魔法は天性の才能によるものだという。
もともと魔法があるような世界の住人じゃないから、俺にその才能がある可能性は低い。
あったとしても一朝一夕で身につけるわけにはいかないだろう。使いこなせるまでにどれだけかかるか。
考えれば考えるほど、アナスタシアの提案したマグス・ハートを追加してバランスをとるという方法は、わるくないように思えてくる。
それはおそらく罠だ。にやにやと笑うピンク色のアクマが口にする甘いささやきだということはわかっている。
しかし、そのささやきに乗らなければ可能性は低いというのも、くやしいことに事実だと思えた。
「やってやるさ。そのマグス・ハートとやらはあるのか?」
「おお。サンクス・モルモット!」
「殴り殺す!」
その言いぐさに、必死にたしなめていた本能は暴れ出した。
理性を振り切って放たれた右のストレートは、やはり予想したとおりに魔法陣で防がれる。
反応がはやい。この躰が放つパンチは、およそプロ・ボクサー以上だというのに。
そして、いつのまにか顔色がよくなっていたアナスタシアの眼がキラリと光る。
「にゅふふー。胴体がスウィートなんですよぅ!」
一瞬、キラめくような鋭いボディ・ブロゥが俺の腹を打った。
背中まで突き抜けるようなその威力のせいで、その場にうずくまることしかできない。
地下室の崩落すらものともしなかったというのに、たかがボディ・ブロゥ一発が死ぬほど重かった。
「げほっ。テメェ……なんだこりゃ」
「近接格闘用魔法〔透徹打〕――衝撃に対する抵抗を、紙のようにうすぅーくするんです」
アナスタシアが親指と人差し指の隙間をわずかにつくり、それを片目でのぞきこむようなジェスチャーをする。
それはいわゆる武術の奥義のひとつ、裏当てのようなモノにちがいない。
そんなものを食らったら、いくら防御力が高くても無意味だ。
プラスティックの容器に入ったプリンをシェイクして、ぐちゃぐちゃにするようなものなのだから。
「いつか、ぶっつぶす……」
「気絶させた時に、殺さなかったのが運のツキでしたねぇ」
今度は逆に、俺が気絶するのだった。




