第二九話 荒れ狂う深緑 (後編)
日が天辺からすこし傾いたあたりで、俺たちは森へつくことができた。
そこからエーダが知るかぎりの抜け穴をつかい、以前よりもよほどはやくエルフの住処まで行けた。
密集した木々の隙間から覗く空から覗く色は赤だ。日が落ち、空は燃えていた。もうすぐ暗闇が穴だらけのカーテンをかけ、子守歌を歌う時間になるだろう。
老エルフをはじめ、だいたいのエルフたちは俺のことを好意的に受け止めてくれ、森に滞在することを許してくれた。
しかし、一部のエルフたちはそうもいかなかった。一〇〇パーセント受け入れられるはずはないと踏んでいたから、予想通りではある。
彼らはおおむねにして若く、血気盛んで、そして自分自身がエルフということに誇りを感じていた。人間を見下し、おのれを過信している。世界に対して斜に構え、わかったようなふりをしては無知を剣にして振りかざす。
自身の内にこもり、認めてもらえないことを社会や他人のせいにして、おのれを特別視する。
彼らは大病を患っているといえた。病名はジュニア・ハイスクール・シンドローム――中二症候群である。
俺は彼らの反抗心を、むず痒いような気持ちもありながら、広い目で見ることができた。
ある日、ふと鏡を見た瞬間、たたきわって死にたくなる日がくるだろう。そのときが彼らの病状が完治した証拠である。
その日が来るまで、決して彼らに痛いたしさを教えることなく、見守るつもりである。
「ごめんね、快三。どうしてあいつたちは、君につっかかるんだろう」
「たいしたことじゃないよ。エーダが心配するほどじゃない」
「そうかなあ。でも、いざとなったら言ってね。あたしがびしっと言うから」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
俺は笑ってエーダの心配を受け流した。
事件が起こったのは、翌日だ。
その日、エーダは所用で森から出かけていて、俺はひとりで魔法を構築していた。
そうしていると、取り囲むようにして、幾人かのエルフたちを感じることができた。
彼らは誰もが剣呑な表情をしていて、どうもおだやかではない。
「おまえ、俺たちより強いのか?」男の若エルフが、俺につっかかってきた。
「……さあ。なんともいえないな」
「弱いんだろう。アイツに魔法を教えてもらっている程度の存在だ。小鬼が出たら、うさぎのように逃げ出すのだろう」
「そうかもしれないねぇ」
ふふん、と若エルフは鼻で笑った。この程度か、と俺を見下す目がギラついていた。
その傍ら、もうひとりの若いエルフがあらわれた。こんどは少女だった。
「どれぐらい弱いの、アンタ。ひょっとして、街でオチコボレたから追い出されてきたの?」
「そうね。ボコボコにされて逃げ出してきたってのは当たってるよ」
「まるでモグラね。地下にでも籠もって、日の目を見ずに生きればいいのよ」
「そうできたらいいのにねぇ」
彼らの仲間があつまってきて、俺を見下すのにあたまをたっぷりと使い、一生懸命にアレやコレの罵声を浴びせかける。
社会で揉まれていないせいだろう。彼らの語彙はすくなく、四人目になるころには聞き飽きるほどだった。
腹立たしくはないが、うっとうしい。これならまだ猫にジャレつかれるほうがマシだった。
おおよそ三五回ほどおなじ文句を聞いたころだろう。彼らはまだ飽きもせず、おなじようなことをおなじような口からおなじような言いかたでおなじようにペラペラと喋る。
アナスタシアなら、「バカ」という言葉を遠回しに五〇の文句にしてくるところを、彼らはせいぜい三つか四つだ。腹が立つというよりは、むしろ哀れですらある。
しかし、いずれ悟りの境地に達しよう、と思ったのは幻想だった。実際には、耳元で数十匹の羽虫が飛び交うがごとき不快感を覚えるだけだ。
右腕に作りたての魔法を呼びだした。森が燃えないように熱量は最小限、衝撃だけを撃ち出す魔法〔エア・ガン〕である。
狙いをさだめる必要もなく、手当たり次第にぶっ飛ばした。
「あと一〇〇個は辞書で文句をしらべてからこい!」
「あぎゃー」「いぎゃー」「うぎゃー」「えぎゃー」「おぎゃー」
ばんばん、と西部劇の早撃ちのように、あとからあとから出てくるやつらを始末した。
彼らは散った。一部、魔法を制御失敗し、コゲたものもいた。
ほとんど威力を載せない最低限の魔法でも、空気の大砲をぶっ飛ばした程度の威力はあるようだ。
見せしめにするつもりはなかったが、コレで表だって俺にちょっかいを出してこなくなったことは、彼らにとっても俺にとっても幸福なことだった。
やはり魔法には慣れ親しんでいるからか、気絶するようなまねはせず、這々の体でどこかへ去っていった。
追いかける必要はないだろう。眺めながら、嘆息をひとつこぼした。
「人間だろうがエルフだろうが、ああいうやつはいるもんだな」
騒ぎを嗅ぎつけたらしいエーダが、小走りでこちらにやってきた。多少、もうしわけなさそうな顔をしている。
別に彼女がわるいわけではない。というか、すこしかんがえれば手を出した俺がわるい。
他人の家に乗り込んでいって、そいつらが気にいらねぇと暴力をぶちかますなんて、なにそいつ、あたまオカシイんじゃないの。
というわけで謝られる筋ではない。むしろ、謝るべきは俺だ。のちのち、謝罪行脚とかしておこう。
「ごめんね。彼らも悪気があって……うん、あるんだけど、そんなにわるい子たちじゃないんだけど」
「ああ、わかってる。ちょっとやりすぎたよ。あとで謝りにいこうと思うんだけど、住所とか教えてもらえる?」
「うん、わかった。えーと……」
「ちょい待ち。〔楽園の果実・第二版〕つかって記憶するから」
そうでもしなければならないほどの人数がいた。あいにくと、素の記憶力にはあまり自信がないほうだ。
地下一〇階の魔術師を倒して護符をぶんどってくるゲームでは、地下一階を目隠しで踏破できても、ゲーム以外だとあたまはろくに働いてくれない。
きっと、興味のあることにしか反応しないのだろう。なんとも半端な脳を持って生まれたモノだ。
「うん、わかった。でも、あたしがついていったほうが早いんじゃない?」
「それでもいいんだけど、つき合わせるのは姉に諭されたようで恰好わるいだろう」
「ふふふ、恰好つけだ。男の子っぽい。わかった、ひとりでいっておいで」
その言いかたが、すでに姉らしい。俺はふてくされた弟のように頷いた。
しばらくして、日が暮れた。
こねくりまわしていた魔法陣の構成をあきらめると、さっそく、記憶したかぎりのエルフたちの家を回ることにした。
もうそろそろ、彼らも自分の家に帰っているころだろうと思ったのだ。
俺は手のなかに熱量と光量を調節した火の魔法を使い、ライト代わりにする。
善は急げ、だ。
まず、もっとも家の近いところから行くことにした。
彼らは俺が家まで訊ねていくと、誰も彼もが、まず引きつった笑みを浮かべた。そして、わるいモノでも見たかのように震えながら、気丈に振る舞うのだ。幽霊をプラズマだと断定する大学教授のように、自分は毅然としているぞ、という風に。
「ま、まあ、その、あやまりにきたところは、み、認めてやらなくもないぞ。しゅ、殊勝じゃないか。こんどからは、そ、そういう態度で接すれば、かわいがってやるよ」
「ああ、頼む。ほんとうにわるかった」
俺はあたまを深々と下げた。
彼らはまるで毛皮を剥がれた猫のようだったが、その猫の毛皮を自分でかぶり直しているようだ。
どちらかというと慄然として見える、とは言わなかった。それなりに反省はしているつもりだった。
彼らの気が済むまでそうしていると、気をよくしてくれた。
「こんど、魔法を教えてやるよ」
とまで言ってくれるようなエルフもいた。
基本的には、善良の種族なのだ。やはり、俺という異物が入りこんだからの拒絶反応だったのだろう。
残すはひとりとなった。最後の家は、すこし遠かった。エルフの住処の端にあり、〔ふわふわもこもこ王国〕とはちょうど、正反対に位置している。すこしばかり面倒だ。
ライトの光量をたっぷりとりながら、彼の家を探した。目を凝らし、木の上に設置された鳥の巣のようなのがエルフの家だと気づくには、ずいぶんと時間が必要だった。この怒りを彼にぶつけないために、なんども深呼吸してから彼の家に向かった。
彼も時間が経って落ち着いたようで、じつに快く許してくれた。
俺のこころも、輝く星空のように晴れ晴れとしていた。気になっていたことを済ますというのは、実に気持ちよい。
こういう風に、いろいろなものがぱぱっと片付いてくれないだろうか。
――そんなことを思っていた矢先のことである。
ふと、なにものかの息づかいを感じた。
アナスタシアの追っ手だろうか、という考えが過ぎったが、もしもあいつの手のものだったら、気づかせるような真似はとらないだろう。それは除外できる。
つぎに、いま謝ってきたエルフたちが差し向けた刺客だろうか、とも思ったが、彼らはやるとした自分の手でやるタイプだろう。それも除外できた。
では、なにものか?
野生のケモノだったら、鍋にでもしてやろう。そう思っていた。
俺は、ナニモノかの気配がしたほうに振り返った。そこにはなにもなかった。暗闇だけがあった。
……もっと正確に言うと、星のまたたきすら遮るような、巨大ななにかが立ちふさがっていた。
見上げた先には、小山ほどもあろう背丈の巨大なトカゲのすがたがあった。
ビリビリと外骨格が震えていた。麻痺していた感覚が、すこしずつはっきりしてくる。
たっぷり、二呼吸ほど、俺はその巨大トカゲと視線を交わしていた。
「フー・アー・ユー?」
返答は、頭上から稲妻のごとく落ちる右爪だった。
「ド、ドラゴンじゃー!?」
逢いたくないと思って逃亡してきた先に、最高純度マグス・ハートの持ち主がいた。
やだ、これって運命……?
そんな運命、願い下げだった。俺はまったくついていなかった。
アナスタシアの手のひらでもてあそばれるかのように、生存確率一割というあいてと出会ってしまったのだから。