第二六話 あなたをしつけます (前編)
おろかな男は追いつめられていた。
あらゆる距離を瞬間的にゼロにしてくるうさぎの移動力は、侮りがたいものがある。
特殊効果のある靄や雲を出してくる瘴烟犬の四号もうっとうしい。さらに鬱陶しいのは、虐殺猫――二号の攻撃力だ。
見た目に反した重攻撃系で、躱せなかった場合、ハンマーで殴られたような衝撃が襲いかかる。
うさぎと犬で足止めし、猫が殴る。そのコンビネーションは、じっくりと年月をかけて練り上げられたモノだ。
いくらか戦闘経験があるといっても、ほとんど素人に過ぎない俺に、対策の練られた作戦でこられると、どうしようもない。
おまけに、だ。
「右腕、バトル・ライフル。左腕、サブマシン・ガン。術式装填、攻撃開始」
アナスタシアの両腕に大小の複数枚構造でつくられた魔法陣が接続された。
ピンク色の輝きはいよいよ増して、危険な雰囲気をまき散らす。
右腕から三点バーストの大威力射撃魔法、左腕から行動を阻害するフルオート射撃魔法が吐き出された。
デタラメにバラ撒いているように見えて、前衛を行くうさぎと猫には一発も当たっていない。
だというのに、俺のほうへ向かってピンク色の銃撃は殺到した。
SMGは放っておいてもいいのだが、躰が反応し、防御行動を取らずにはいられない。
その防御をバトル・ライフルが正確にはじき飛ばし、うさぎの一撃が装甲を削り取っていく。
猫に一撃を加えられる寸前でどうにか窮地を脱するのが限界だ。
憎たらしいことにアナスタシア・サーキスは、後方支援としてきわめて優秀な魔法使いだった。
「だからってぇ!」
ただでなぶり殺しにされたくはない。
俺はあたまに水色の冠をはめた。天使の輪のように、幾何学模様の魔法陣が額のあたりから一周する。
脳力強化魔法〔楽園の果実・未完成〕である。
鋭く回転しはじめた魔法陣が、俺にこの状況をどうするべきか考える余地をくれる。
加速した思考は、いますぐ逃げ出すべきだという提案をしはじめたが、そうできるのならとっくにしている。
考えを絞り、方向性を持たせる。逃げ出すためには、どういう状況をつくるべきか。
まず攻略すべきは、前衛のふたりではなく後衛のふたりだ。攻撃の起点を考えれば当然だった。
となれば、するべきはまず、アナスタシアの銃撃対策だ。
「〔魔女ころし〕の二、〔ウォーター・ボトル〕!」
アナスタシアが〔FOX1〕というキィ・ワードに魔法を圧縮するように、俺はそのワードに術式を圧縮した。
途端、躰のラインが赤から青に塗り替えられた。すべてを支配する大海の竜の色だ。
あらゆるものを等しく呑み込む大海嘯、それを収めるための器。
ピンク色の銃撃が躰に浸透していく。星の魔力を集束したその射撃魔法は、ひどくクリアだ。
呪物のバケモノが吐いた汚染のブレスとは比べようもない。天国と地獄、それほどの違いがある。
濾過する必要もないほどの魔法は、俺の青いラインをわずかに発光させ、マグス・ハートに蓄えられた。
「それは知ってるんですよぅ。わんこ!」
「わん。……〝天に暗雲、地に紛紜。腐れよ天地、憎悪の果てに〟〔黒病雲〕!」
犬四号の周囲より、黒紫色の魔法陣が広がった。そこから、煮詰めた墨色のような黒い煙が立ちのぼる。
瘴烟犬が吐き出した黒い雲は、あっという間に数十メートルにも拡散した。
俺はそれも取り込もうと意識を向けたが、それは叶わなかった。
黒病雲は、広がったと思った瞬間、地面に沈み消えてしまったからだ。即効性の毒だった。
直後、俺の周囲数十メートルを溶かしていた。土が向き出しになっていた地面は毒沼に変わり、底がないかのように俺の躰が沈み込む。
あたりにあるものをつかんで抜けだそうにも、手の届く範囲はすべてが毒沼だ。
毒はいい。しかし、沼はよくない。
「まずっ……」
「逃がしません。沼の底までたたき込みます」
躰のラインを赤にもどし、〔加速〕による推力で抜け出そうとした。そのあたまをピンク色の銃撃がたたいた。
川を挟んで対岸の空き缶でも石をあてて倒すように、遠慮なく。
両腕をバトル・ライフルに換装し、抜け出させまいと三点バーストを正確に当ててくる。
衝撃で俺の躰はずぶずぶと沈んでいった。
このままじゃほんとうに水没しかねない。
水色の冠が激しく回転した。そのひらめきに全財産を賭ける。
赤いラインが灼熱色を帯び、きわめて単純な魔法陣を構築した。
「吹っ飛べ、〔点火〕!」
花火でも打ちあげたかのような轟音が周囲を満たした。否、花火は打ち上がる。
周囲数十メートルにも渡った毒沼を蒸発させるほどの炎が噴き上がっていた。
上空は黒い霧で覆われていた。さすがにそこから飛び込んでくるうさぎたちの姿はない。
はじめて与えられたチャンスだ。
大きなクレーターの底を蹴り、俺は地表へと飛び出る。右腕にはすでに魔法陣を構築済みだ。
「受け取りな、〔放火〕ァ!」
点火の密度を数倍にしたような魔法陣が赤く光った。そこから、紅蓮の吐息が吐き出される。
地上を薙ぎ払う火炎の尾が、黒い霧ごとあたりを焼き尽くそうと燃え上がる。
赤々と弾ける炎は小規模の水蒸気爆発をところどころ起こしながら、あたりを火の海にしていった。
さすがにいくらかのダメージは与えられただろう。そう思ったのも束の間、すべてが焼けるなか、風がそよぐのを感じた。
涼風のごとき風の流れに気を取られたかと思えば、海が割れていた。その先、モーゼさながら海の底に小さな姿がある。
猫二号である。彼女は右腕を振り下ろした姿で固まっていた。
この現象を起こしたのが、そこの幼女であることは疑いようがない。
なにをやったのかはわからないが、しかし、炎の海を断ち切るだけのちからがあることはわかった。
「伊達にマグス・オルタの先輩じゃねぇってことか!」
海底を渡って、うさぎはひた走る。亀に余裕を見せつけないほど一心に。
最高速に乗って、うさぎは飛んだ。フィギュア・スケーターのように速すぎて見えないほどのスピンしながら、俺に近づいてくる。
途端、そのスピンから長いものが飛び出た。脚だ。いや、ブレードだ。
スピードと回転力が乗ったブレードは、ドラゴンの装甲を貫き、胴に真一文字の傷を刻む。
「っがぁ……!」
前向きで飛んだのだから、きっと、アクセル・ジャンプだ。うしろ向きは種類が多すぎてよくわからない。
しかし、うさぎの技は鋭すぎて経験者だったとしか思えない。フィギュア・スケーターにそんな脚力を与えちゃいけない。
まだ、近くにいるうさぎへ向けて最速で放てる〔熱線〕を撃つ。
うさぎの毛皮がちりちりと揺らめく。熱に煽られたのだ。その姿がぶれた。
丸焼けにはならなかった。すばやく躰をずらし、熱線の軌道から外れたのだ。集束しすぎる熱線の欠点が出ていた。
「首狩り歯・四葉」
両手、両足から一本ずつ、鋭い刃が飛び出した。まだ燃え残る紅蓮の光を反射して、赤く揺らめき光っていた。
うさぎの目が鋭く狭まり、強い意志を感じさせた。背後には、アナスタシア、猫、犬が迫ってきている。
俺は足掻いた。
「まて。は、話せばわかる!」
「間際にその台詞を吐いた人で、助かった人はいませんぴょん」
両手のブレードがテイク・バックしたかと思った瞬間、俺の躰を貫いた。
「があああぁぁぁっ!」
激痛に苛まれる心配はそれほど長くいらなかった。案外早くやってきた猫に、あたまへ強烈な一撃をたたき込まれたのだ。
あまりの衝撃に、意識がくらんでいく。靄のかかった視界のなか、おもしろくもなさそうにしているアナスタシアの顔だけが印象に残った。
すぐに気絶できたことだけが幸いだった。
闇にいるあいだのことは、なにもしらない。