第二五話 悪党どもが少なすぎる (後編)
あえていえば、うはうはだった。
小物、大物問わず、魔人と化した俺には誰もが等しく子ねずみだ。
「がはは、がはははは!」
手元には、家族四人が数年ほど暮らせる程度の金額が貯まっている。
もはやアナスタシアから小遣いを受け取り、ヒモのように惨めに暮らしていくこともない。
だが……。
「もっとだ、もっと。もっと欲しいのだ!」
俺は欲にとりつかれていた。
男子高校生に持たせる金なんて、アナスタシアからの小遣いで充分だったのだ。
たかだかガキの理性ストッパーが、そこまで高性能であるわけがない。
掲示板をにらみ続ける日々がつづき、俺は新進気鋭の賞金稼ぎとして名前が売れていった。
そして、今日も掲示板の前まで来ていた。周囲には、同類らしきものが数名いる。
彼らはモヒカンだったり、とげとげのアーマーだったりと、実に世紀末な恰好をしていた。
「おお、学ランだ」
「よ、学ラン。若いのにスゲーじゃねーか」
「毎日、よく稼いでるな学ラン」
と、着ている服から〔学ラン〕とあだ名されるようになったこの俺である。
「うぃす。今日も稼ぐつもりっすよ」
「若いなー」
「気合い入ってるねー」
見た目はやくざよりもよっぽど怖いお兄さんたちにも慣れてしまった。
すべては欲望にとりこまれたおかげである。この世の沙汰とて金次第なのだ。
パワー・イズ・マネー。いつの時代、どの世界でも金こそがもっとも強い。
「今日は……っと」
すでに新しい手配書はなかった。
地上のねずみはすべて燻され、猫たちのおもちゃになっていた。
すくなくとも、見える範囲の汚れはすっかりキレイになってしまった。
(よかったじゃないか。街が平和になって。けっこう稼いだじゃねぇか)
止めどきだ、と理性ではわかっていた。
数年はアナスタシアのようにニートをしてもいいぐらいの金が手に入った。
しかし、本能は叫んだ。
――これからが本番じゃないか。
地下にこもる鼠を燻り、表に出てきたところを捕らえる。
俺は面白くなってしまっていたのだ。金を儲けること自体が。
無敵のデバッグ・モードで弱者をいたぶる神視点が。
ゲームでもしているような気分だった。ちょっとのスリルと実際に手に入る金の魔力にとりつかれていた。
――いままでのはチュートリアル。これからがメイン・ステージさ。
強いアルコールだ。勝利の美酒以上のうまい酒だった。
どこかで撃鉄を押し下げる指が見えた。いつのまにか手にはシングル・アクションのリヴォルヴァーが握られていた。
照準と銃口の先には、逃げ惑う喜劇のねずみ。踊れよ、踊れ。ねずみたち。
指先が動いた。破裂音が脳のなかを跳ねまわる。
リヴォルヴァーは寒そうに白い息を吐いていた。
オン・ユア・マーク、ゲット・セット、レディ・ゴー。
俺のからだは走り出していた。
「ダメですねぇ、アレは」
「ですぴょん」
「だにゃー」
「廃人だわん」
四人は同意見だった。彼女たちの視線の先には俺がいた。
ポケットに収まりきらない貨幣に埋もれながら、気持ちわるい笑みを隠そうともしない男だ。
順調な仕事をしているようだった。しかし、それはアナスタシアには計算外のことだった。
彼女は人間形態で右往左往する千糸快三が見たかったのだろう。狩人にしたてあげるつもりはなかった。
「ごそごそ」
「ぼしょぼしょ」
「ぐにゃぐにゃ」
「ぺこぺこ」
彼女たちは密談をしていた。躰を寄せ合い、かたまり、ひとつのチームとしてまとまっていた。
俺は無残にも金に埋もれ、四人がなにを話しているかなど、まるで見えず聞こえなかった。
足下のしたには羽毛布団が敷いてあった。誰だって浚える。回転力の落ちたコマよりも安定してない。
「では、そういうことでぇ」
「あいにゃいにゃー」
「わんわんさー」
「マム、ぴょん、マム」
「ぐひ、ぐひひひひ。俺の金ぇ……」
気持ちわるい男の横、少女たちはがっちりと握手を交わした。
話がまとまった。彼女たちの密談は作戦となり、決行されることになる。
なにも知らない哀れな男は、いつも通りに掲示板の前までやってきていた。
掲示板の手配書は一枚を残して無くなっていた。必然、それを目に焼き付ける。
哀れな狩猟中毒者はそれを凝視した。そこにはこう書いてあった。
――学ランの千糸快三。
賞金は、四人家族が一年は暮らせる程度のものだ。
賞金稼ぎが賞金首になっていた。あまりにも当然のことかもしれない。
いつのまにか俺の周囲は、複数の人影に囲まれていた。いずれもいつか見た男たちだった。
「よう、兄ちゃん」
「今日は稼がせてもらうぜ」
「恨むなら、あんたに賞金を賭けた奴を恨みな」
モヒカンやトゲの着いたアーマーというものが、コミカルな雰囲気から威圧的なモノに変わった。
彼らはねずみ狩りを命じられた猫で、俺は逃げ惑うべきねずみだった。
誰が賞金を賭けたのか、金に酔っていたあたまでは推測することすらむずかしかった。
ただ、逃げるしかない。それだけはどうにかわかった。
街の外まで――いや、人目の着かないところまでいけば、俺にも勝機はある。
記憶にあるかぎりのルートを必死で思い出しながら、猫の集団から逃げ惑う。
なんども背中や躰の端を恐怖と凶器が掠めていった。灼熱感があった。刃傷による発熱だ。
脚は今までにないほどに加速した。
いくつもの通りを東西南北に折れ曲がり、街の外へ出ることに成功した。
その途端、俺は砂埃を上げながら地面をすべった。勢いで振り返り、噛みつこうとしていた猫たちを睨みつける。
「窮鼠、なんとやらってな!」
マグス・オルタとなった俺は、目と口を限界まで開いた猫たちをすこし強めに気絶させた。
躰にはまだ傷の灼熱感があったが、しかし、これでようやく気持ちを落ち着かせられる。
そう思っていた。
どこからか気配を感じた。
生半可なものではない――殺意に近いはっきりとした攻撃的な雰囲気。
背後からやってきたそれを、俺は振り返りざま、右腕と左腕を交差して防御する。
ざくん、という切り傷に近い痛みが右腕に走った。そこに鋭い斬撃が放たれていた。
ドラゴンの防御力を貫ける存在というのは、それほど多くあるまい。
地面に降り立つのは、躰の末端にふわふわとした毛皮を纏うかわいらしい少女だ。
必然、竜鱗を砕くほどのちからの持ち主は彼女に限定される。
「……うさぎ一号?」
「はいですぴょん」
ふだんの彼女がつねに浮かべている温和な表情はなく、つり上がった眉と引き締められた相貌から、その攻撃がおのれの意思でやったものだということがわかった。
彼女の背後から、猫二号、犬四号、そして、ピンク色の髪をなびかせる魔女がやってきていた。
「なんの真似だ」
「それはこちらの台詞わん」
「見ちゃいられないので、もういいかな、と思いましてぇ」
「どういうことだよ」
「わかっていることを聞くことほど、愚かしいことはありませんよぅ」
にこり、とアナスタシアは微笑んだ。犬四号はちらりとも笑わなかった。猫二号は虫でも見るかのようだった。
四対八つの瞳が俺を射貫いていた。それらはどれもが氷のように冷たく、砂漠よりも乾いていた。
それとともに、金に浮かれていた俺の脳髄がようやく動き出した。
俺はいま、見捨てられようとしている。いや、そんな生やさしくない。
排除されようとしていた。臭いものには蓋をするのではなく、根本から断つ主義らしい。
ロング・ショットでは喜劇的なねずみも、近くで見れば悲劇的だ。
コミカルに踊り狂ったねずみはもういらないのだった。彼女たちは踊らないねずみが欲しかったに違いない。
「やめてくれ……って言っても、無駄なんだろうな」
「最低限の知能が残っていてくれて、ありがたいですねぇ。もうちょっと早く気づいていてくれれば、こういうことにはならなかったんですがぁ」
白々しくも、残念そうにアナスタシアは指を鳴らした。
その瞬間、獣のちからを引き継いだマグス・オルタたちの気配が明確に変わった。
少女めいた可愛らしげのあったところはもうどこにもなく、彼女たちは獲物を狙う狩猟者だった。
うさぎが跳ねた。強靱な脚力が、ふたりのあいだを瞬間的に絶無にする。
移動がそのまま攻撃に繋がった蹴りを防御しようと、腕を交差させようとして飛び退った。
空気を切り裂く音とも呼べない音を聞いた。うさぎの脚には、鋭い刃がついていた。
マグス・ハート――首狩りうさぎ。その刃の鋭さはドラゴンの鱗をも切り裂く。
うしろに控えるのは、虐殺猫と、瘴烟犬に、最悪の魔女。
次元蝕があるから逃げ出すことはむずかしいだろう。
金に浮かれていたあたまは、冬の雨に打たれたように冷え切っていた。
哀れな男は、もはや動かしようのない事実を前に、金などゴミに過ぎないことを悟った。




