第二一話 森の歌いまは絶え (前編)
「まーたエルフ娘のところにいくんですかぁ?」
見えなくてもわかるほどに、嫌みったらしい笑みを貼り付けたであろうアナスタシアの声が背後から聞こえた。
実際に振り返ってみれば予想通りの、否、それ以上の酷薄ですらある笑顔の仮面が張りついていた。ガラス材質なのか、いかにも堅い表情だ。
真昼の大火事件で俺がエーダから魔法を教わっていることを知ってからというもの、かれこれ三日はからかわれている。
しかし、決してエーダに逢おうとのぞき見にきたりはしなかった。
アナスタシア・サーキスは、エルフと関わることを避けていた。
次元蝕でもつかってエルフの秘宝でも盗んで逃げているのだろうか、とも思ったのだが、そうじゃないらしかった。
単純にエルフという種族が疎ましいのか、あるいは嫌いなだけかもしれない。
からかうように、俺はニヤリと口角を上げる。
「妬いてんのか?」
「ハァ?」ガラスの仮面は笑みから侮蔑に一変した。「……ああ、快三さんの脳が焼き切れたという話ですかぁ」
「そんなわけねェだろ。冗談も理解しないようになるとは老化かよ。魔女っていうのはやっぱり長生きなのかい、ばあさんや」
「快三さんの精神が赤ん坊だとしたら、うるわしき美少女のわたしでも、かなりのお姉さんな精神年齢ってことになりますねぇ」
「俺から見れば、しわの深いばあさんということは変わらないわけか」
「わたしから見て、快三さんがおむつに排泄物を漏らす存在ということが真実的ならば、そうなりますねぇ」
ギチリギチリ、と口汚い言葉がおたがいから飛び出す。罵詈雑言というほどひどくないが、まわりくどいだけにねっちりとしつこい。
最近、こういうやりとりのある会話のほうがおもしろいと思ってしまうのは、あまりいい影響じゃなかった。
性格のいいエーダとの会話はスムーズでやりやすいが、物足りなさを感じさせた。どうやらカオス・フレームが傾いているらしい。
「ま、あと三、四日ほど辛抱しろってことだ。立派な魔法使いになってくるからよ」
「なれるものならなってほしいですねぇ。期待はしてますよぅ」
「はいはい。応援アリガトウ。いってきます」
「いってらっしゃいませ。せいぜい、エルフに食われないことを祈ってますよぅ」
「食うかよ」
それは別の意味で?
とはさすがに言えなかった。
そこまで下ネタを出せるほどカオス・フレームが傾ききっていないことは、よかったのか、わるかったのか。
玄関を出て、庭で遊んでいた猫たちにも手を振ってから、街外にあるいつもの場所でエーダを待った。
いつもの時間から三〇分ほど待ったが、まだ来なかった。
昼食を食べないできたので腹が減っていた。一度、街へもどってエーダの好きなサンドウィッチとコーン・ポタージュをふたつずつ買い、街外で待った。
スープが冷め、サンドウィッチが乾き、野菜がしなびるまで待ったが、それでもエーダは来なかった。やがて日が赤々と燃えはじめた。
街から鐘がなり、夕方になったことを知らせる。
俺はしなびたサンドウィッチと冷め切ったコーン・ポタージュふたつを腹におさめると、街へ向けて歩きだした。
味はわるくなかったが、かなりまずかった。こういうとき、携帯電話のようなツールがないことがもどかしくてしょうがない。
通信手段のある魔法なんぞは、まだ習ってもないしつかえなかった。
翌日、ちょっと毒を盛り込んだ皮肉を言ってやろうかと、俺はふたたびエーダをおなじ場所で待っていた。
昨日とおなじ時間待つことになり、おなじようにエーダはこなかった。
避けられているというようには思えなかった。
すくなくとも、その前日まで俺たちはそれなりに仲良くやれていたはずだ。
あるとすれば、ティ・カップの把手に指を入れていたのが気にくわないとか。
もしくは、ミルクを飲むと口ひげができるのが生理的にイヤとか。
あと……いくらか考えつくが、それらが決定的な引き金を絞ったわけではない。たぶん。
だとしても、だまって居なくなられてしまったら、弁解することすらできない。
俺はエーダになにをしたのだろう。
誰もこない場所でしなびたサンドウィッチとコーン・ポタージュをふたつずつ持ちながら、夕暮れを眺めていた。
遅くなったまずいランチを食べて帰ると、ねこたちが出迎えてくれた。
ふわふわとした起毛素材の着ぐるみで、実にあたたかそうだ。
猫二号はちいさいからタンポポの綿毛のようにも見えたが、犬四号は縦に引き延ばされた二頭身キャラクタのようで、すこし不自然だった。
「おかえりにゃー」
「おかえりわーん」
「ただいま。ほら、おみやげ」
「にゃーん!」
「わおーん!」
ひったくるようにしてみやげ袋を奪っていく。
山賊かあいつらは。
あとから入れ替わるようにして、うさぎ一号がやってきた。
彼女は着ぐるみではなく、毛皮のアクセサリィを纏っていた。
いつもよりもふもふした部分のおかげか、かなり愛くるしい。
「おつかれさまでしたぴょん。……今日もいませんでしたぴょん?」
「ん、ああ。よくわかるな」
「うさぎは敏感なんですぴょん」
その発言で、ちょっと元気が出てきた。
愛くるしさもあいまって、元気一〇〇倍。
なにがとは言わないけれども。
「ま、口約束だしな。途中までつき合ってくれただけ上等だよ」
「でも、おかしいですぴょん。そこまでつき合ってくれたような人が、どうして急にいなくなってしまったんですぴょん」
「急に虫歯が痛み出して、歯医者に飛び込んだのかも」
「……」
彼女は口を一文字に閉ざし、愛くるしい恰好が不釣り合いなのではないかと思うほど、真顔になった。
ときには百の罵倒よりも、沈黙のほうが人を傷つけるということを、俺は貴重で経験を積み理解できた。
それがなまじ性格のよいうさぎ一号だから、なおさらだ。
「実際のところ、どうしてだと思いますぴょん?」
「真面目に考えると、エルフの住処でなにかがあったんだろう。いきなりすっぽかして平気ってタイプには見えなかったからな」
「なるほどですぴょん。だったら、エーダさんは、いまたいへんなんですぴょん」
「エルフの掟で、魔法を勝手に教えちゃダメとかあったのかもな」
歩きながら廊下を渡り、リヴィングにたどり着くとすでに夕食の準備が済んでいた。
ふたりぶんのしなびたサンドウィッチとコーン・ポタージュが胃に重く、俺は夕食をパスした。
湯気が立ちのぼるできたての塩ちゃんこ鍋はじつにうまそうだったが、食えるような気分じゃなかったのだ。
腹に余裕がなかったのは事実だが、エーダになにかがあったということは、意外なことにすくなくないダメージがあったようだ。
「ざんねんですぴょん」
「あたしたちがかいぞーのぶんまでたべてやるにゃー」
「食べてあげるわん」
がふがふ、と食べるふたりとそれを注意するひとりに、右手をひらひらと振って、俺は借りている二階の部屋に入った。
照明をつける気にもなれず、ベッドに座り、ぼんやりとしてしまう。
別にエーダがわるいわけではない。
ただ、もやもやした感情が俺のこころに積もっているだけだ。
いつかは地層のように、どこかに埋もれて忘れ去ってしまうのだろう。
誰かが掘り起こさないかぎり、永遠に眠りつづけるのだ。
大いなる眠り。
それこそ、死んだように。
それを是とできないのは、俺は子どもだからかもしれない。
きっと、ただしいのだろう。なにごともなく過ぎ去ってしまうような些細なことだ。
なぜ引っかかるのか、自分自身にも理解できない。ただ、どうしようもなく腹立たしいだけ。
自分とまったく関係のない話なら流してしまえた。だが、関わってしまった以上、気になってしまうのだ。
ぼんやりとしていた意識は覚醒した。
やるべきことは決まった。あとは、時間が経つのを待つだけだ。
翌朝、俺ははやくから出かける準備をしていた。
「くぁ……朝もはやくから元気ですねぇ。どこ行くんですかぁ?」
あくびをしながら、アナスタシアがいう。寝ぼけているせいだろう、自慢の薄紅髪は寝癖だらけだ。
寝間着のあいだから手を入れて、ぽりぽり腹を掻いていた。セクシィ・ショットではあるのだろうが、まったく色気がない。
むしろ三〇代も過ぎて、生活に疲れた主婦の様相すら漂っている。
「エルフのとこに乗り込んでくるんだよ。場合によっちゃ、ケンカかな」
「ふむふむ……いいですねぇ。ちょっと待っていてください。いますぐ支度しますんでぇ」
「なんでついてくるんだよ。おまえ、エルフ嫌いだろ」
「だからですよぅー」
ぱたぱた、と彼女は階段を駆け上がり、ひとりでごった返すような騒々しさを発揮し、うさぎ、猫、犬の三人を起こしつつ、五分で支度を終えた。
二階から降りてきたとき、彼女は見慣れたセーラー服を着ていて、寝癖だらけだった髪は、すっきりと櫛を通され枝毛の一本もないような艶やかな光を放っている。
まるで魔法だ。――いや、魔法か。
生活魔法、便利だな。
「さーて、いきましょう。どうせ、道なんて知らないんでしょう?」
「ぐむ。そういやそうだった。……よし、帯同を許す」
「にゅふふ。おもしろくなってきましたよぅ」
どうもコイツは、端からケンカしにいくつもりのようだ。
まずは話し合いをするつもりだってわかっているのだろうか。
「あ、うさぎ一号。お弁当ふたつパパっとお願いしますねぇ」
「わかりましたぴょんー」
眠そうな目をこすりながら、うさぎは顔も洗うまえに弁当をこしらえてくれた。
猫と犬は寝直すために、また自室へもどっていった。
「ありがとう。眠そうだな、二度寝を満喫してくれ」
「いえ、もう起きる時間でしたから、だいじょうぶですぴょん」
「ほらほら、行きますよぅ。うさぎ一号、帰りは遅くなりますよぅ」
「わかりましたぴょん。いってらっしゃいぴょーん」
うさぎに見送られて俺たちは、エルフの住処を目指し〔ふわふわもこもこ王国〕を出発した。




