第〇二話 百万度に灼かれて (後編)
意識に霧がかかっていた。
手順を踏まないでシャット・ダウンされたコンピュータというのは、こんな気持ちなのだろうか、などとくだらないことを思う。
しばらくぼんやりとしてから目を覚まし、あたりを見渡してみるとどこかの地下牢のような雰囲気の場所だった。
湿気がこもり、カビくさく、居住に適していない。
俺は大の字で寝かされていた。手首と足首は指一本ほども厚みのある鉄の環で拘束され、堅くつるつるとした大理石のベッドが骨と衝突して痛い。
手足の自由はないが、あたまだけは自由だ。よくまわりを見れば、なにやらあやしげな道具がキャビネットに載せられている。
「お目覚めですかぁ」
そう言って俺の顔をのぞきこむのは、あのいまいましいピンク髪だった。
ニヤニヤと笑みを浮かべ、キャビネットに乗せられた器具を弄くりまわしている。
どうもここは、コイツの根城らしい。気絶させられたあと、俺は引きずられでもしてつれてこられたのだろう。
すこしばかり冷静になると、胸のなかにふつふつと怒りが湧いてくる。
一度でもかわいいと思ったことが許せない。泉のように、怒りはつぎつぎと胸を満たし、言葉となって吐き出されていった。
「こんなことをしていいと思ってるのかっ」
「はい。そのために足のつかない異世界から、実験体を呼び寄せてるんですよぅ」
完全に悪意をもった故意的犯行だった。
技術力を誇る日本といえど、異世界と行き来できるほどの科学は存在しない。
たしかに、事件が露見しなければ、この世界にとっては完全犯罪といえるだろう。
「アクマか貴様!」
「いいえぇ、魔法使いですぅ☆」
そういいながら、アナスタシアはキャビネットからなにかを取りだして、恐怖を煽るように見せつけてきた。
それは、ちょうど手のひらに収まるようなサイズで、透明感のある赤い球体だった。
暗いような、明るいような、にぶい光を放ち、鼓動するように明滅している。
真円とでもいうべきか、どこにもゆがみが見当たらない。
まさしく完全な玉だ。
コレをつくったというのなら、相当の技術力があることになる。
すくなくともファンタジィにありがちな中世ヨーロッパぐらいのモノではない。
「見えますかぁ?」
「ああ、見たくもないけど。それがなんだっていうんだ」
ほとんどやけっぱちになっていた。
怒りの泉はまだこんこんと湧いているが、ほんとうは、このまま流されるしかない運命だと悟っていた。
ここから逃げ出すような手品的な手段なんかもっていない。それこそ、魔法でもなければ不可能だった。
せめて、ぶっきらぼうに言い返すぐらいしかできることはなかった。
怒りのせいもあり、伝法な口調で吐き出していく。
「これは、この世界に存在するバケモノの中核。通称、マグス・ハートと言いますぅ」
「だからなんだよ。おい……まさか、うそだろ?」
「やはりお察しのはやい。そうです。これをあなたに移植しちゃうんですよぅ」
「魔法使いどころか、マッド・サイエンティストじゃねぇか!」
「にゅふふ。元気ですねぇ。いい実験体ですよぅ」
がちゃがちゃ、と必死に手足をうごかすのだが、寝かされている大理石の手術台と固定された鉄の環はびくともしない。
あまりにも激しくうごかしすぎて手足がすり切れ、血がにじみ出す。
それでもやはりぴくりともしない。
考えてみれば当然のことだ。特別な訓練など詰んでるわけでもなければ、躰を鍛えてもないただの男子高校生が、鉄を千切れるわけがない。そもそも、そんなことができる人間がいるかどうかすらあやしい。
いつか吐いたうそのように、暗殺術でも習っておくべきだった。
「では、手術を開始しますぅ」
「せめて麻酔をしろおおおぉぉぉー!」
「痛みはありませんよぅ。肉体的ではなく、星幽的手術ですからぁ」
「意味わからねぇよ!」
その赤い真円をキャビネットにのせ、アナスタシアはメスのようなものをつかみとった。
そして俺の躰の前ですぅ、とアナスタシアが腕をうごかした瞬間、じぶんのなかのなにかが切り開かれた。
言っていたとおり、たしかに痛みはない。だが、切なくなるような苦しみがやってきた。
なにかが露出するような感覚が、手足をひどく冷たくする。
きっと〔たましい〕だとか、そういう次元のものに違いない。
それを保護している〔殻〕とでもいうべきものが開かれて、むき出しにされた。
「切開完了。ではマグス・ハートを移植しますぅ」
「あ、あ、あ……ああ、あああ……」
とぷん、とアナスタシアが持っていた赤い球体が、じぶんのなかに沈みこんでいくのがわかった。
明滅する鼓動めいた輝きは、第二の心臓のように俺のなかで繰り返される。
はじめに感じたのは、膨大な熱量だ。
暑い。いや、熱い。
灼熱の砂漠よりも、一二〇〇ワットの電子レンジよりも、太陽の表面温度よりも、なお熱い。
灼ける。じぶんのすべてが灼かれていく。
じゅうじゅう、と肉の焦げるにおいがしないのが不思議なほどに、全身が熱かった。
じぶんがひとつの恒星になったような幻視すらしそうなほどに。
どくんどくん、と鼓動するマグス・ハートにあわせて、じぶんが肥大化していく感覚があった。
どこまでも、宇宙の果てまで広がっていく。
目の奥から、鼻の穴から、指の先から、ありとあらゆる場所からじんわりと熱が染みでて、大河のように流れはてる。
「接合完了。あとは閉じて、定着するかの様子見ですねぇ」
アナスタシアの声が遠い。
いや、フィルターを通したように不鮮明だ。
どくどくと、血以外のモノが脈打って、全身を駆け巡っていく。
ただ、熱い。
「あ、が、あ、ああ、ああああああ、ああ!」
「むぅ。また失敗しましたかねぇ?」
喉が渇いていた。
水が欲しい。七つの海でも足りないぐらい。
実験につき合っているんだから、水ぐらいだせよ。
そんな文句も言えないほどに、熱で干からびていく。
恒星のような熱量がじぶんを焼き尽くしていくのに、さほど時間はかからないだろう。
――それでいいのか?
ささやく声がする。
ええと、なんでだろう。
意識が、
バラバラで、
なにも、
まとまらない。
新作のゲームでも発売するんだっけ。
なにをそんな些細なことを考えているのか。意識が混濁していてわからない。
思い出すのがソレって、人間としてどうなんだろう。追いつめられて浮かぶことがゲームだなんて、まるで廃人だ。
でも、それは俺に残された唯一の人間的感情だ。
それを手放せば、きっと熱量は無限に高まって俺を焼滅させる。
ただもう藁をもすがる思いで、この熱に焼かれまいと必死に堪え忍んだ。
猛火はさらに勢いを増していく。
「……お。いい反応ですぅ。そのままですよ。そのまま」
白色の炎に灼かれて、それでもまだ残れ。
一片の灰でいい。それさえあれば充分だ。
どれほどの時間が経ったのか、俺にはわからない。
ただ、数十歳も老いたような気分だった。
やがて、無限に思えた熱量はなりを潜めていった。
とはいえ、燻ったモノが消えてしまったわけではない。
まだ自分のなかに、残っているのを感じる。
鼓動を打って、俺はココにいるのだといっている。
「おお。まさかの成功ですかぁ。ふふふ。やはり、わたしの理論はまちがっていませんでしたぁ」
その声が聞こえた途端、俺の意識は清流となって浮上した。
灼熱に晒された意識はふしぎと冷たい。ガラス状に焼結でもしたのだろう。
なめらかすぎるほどに、意識は一点に固まっていた。
こんなことをされて、黙っているなんてことはできない。
警察に訴える?
異世界で?
解決は自分の手でしか不可能だ。
こいつを殴る。一発だけでもいい。
理不尽な目にあわされて黙っていられるほどできた人間じゃない。
脳髄と胸中を埋め尽くす怒りに身を任せる。
そう決めて、手首から先が千切れてもかまわないという覚悟で持ち上げた右腕は、いともたやすく鉄の環を引きちぎっていた。
「――は?」
俺にもよくわからないちからが、躰にこもっていた。
一発殴る。その意思はよどみなく動きに変換されて、右腕が無防備なアナスタシア・サーキスへと突き刺さった。
「おぶろっ!?」
キャビネットを押し倒し、ピンク色の髪を振り乱しながら、彼女は吹き飛んで壁にたたきつけられた。
肉をたたきつけたような鈍い音ではなく、衝突事故のような衝突音が地下室にひびいた。
「いちちち……わたしが魔法使いじゃなかったら、死んでますよぅ。もう!」
ひび割れた壁から落ちて、まるで平気そうにピンクの悪魔は立ち上がる。
わけがわからない。なぜ、あのクソ女が無事なのか。
いや、それよりも前に、なぜ俺にそんなちからがあるのか。
鉄の環を引きちぎった右腕を見下ろしてみる。
「なんだ、これ……」
そこには肌色の腕と学ランではなく、黒地に赤のラインが走る、異形の腕があった。




