第一九話 半熟オルタ魔法修行! (中編)
「アンタはなにものなんだ?」
「それはこっちが聞きたいぐらい。どう考えてもルールから逸脱した存在だもの」
魔道具屋で田舎娘のアイテムを換金――木の細工ひとつで、サンドウィッチが一〇〇個は買えた――したあと、俺たちはアナスタシアと入った記憶のある喫茶店に入った。
俺はあたたかい紅茶、田舎娘はフルーツ・ジュースを頼んだ。それをストローで啜りながら、彼女はきつい視線をそそいでくる。
情熱的なものならば歓迎なのだが、それはどちらかというと冷たくて鋭い刃のようだ。
じゅるじゅる、と音がして早くも飲み終わったようだった。グラスを傾けて、彼女は氷を噛み砕いた。
あたたかい紅茶で口を湿らせて、くちびるをなめらかにした。
間が空いた会話をつづけるには、それぐらい必要だろう。
「オーケイ、まずは自己紹介からいこう。俺は千糸快三。見ての通りナイスガイだ」
「このあたりではあなたみたいのが人気なの?」純粋な瞳で田舎娘は聞いた。
「……オホン。ええと、アンタはなんて呼べばいい。本名がイヤなら、仮名いいけど」
「そうね。エーダとでも呼んでもらおうかな」
「わかった。それじゃあエーダ、俺から魔力が溢れてるって言ったな。どうしたらそれを防げる?」
「あなた、魔法使いじゃないの」エーダはジュースのおかわりを頼んだ。「その魔力、生まれつきってことないでしょう?」
「もちろん後天的に。悪の魔法使いにとっつかまって、改造されちまったんだ。脳をいじられる前に逃げたけどね」
エーダは興味深そうに、前のめりになってテーブルに肘を突いた。俺はそのぶんだけソファによりかかる。
田舎住まいの魔法使いなのだろうか、あるいは研究者なのだろうか、その目は、いつか魔法廃棄場で見た職員そっくりだ。
アナスタシアが唯一の成功例というぐらいだから、マグス・オルタの存在はかなりのトピックスになるらしい。
「おもしろい。で、あなたはその魔力があるだけで、コントロールはできていない、ということね」
「その通り。というより、魔法の制御方法なんて習っちゃないんだよ」
「宝の持ち腐れね。まったく魔法はつかえないの?」
「できることはあるが、魔法陣は出てこないな」
「それは魔法じゃなくて能力でしょう。一種の超能力者みたいな状態なのね」
驚いたことに、俺は魔法をまったく使っていなかったらしい。
つまり俺が想像力で発動させている現象は、ドラゴンのコアが起こす反応のひとつに過ぎないというのだ。
人間が腕を動かすように、猿が尻尾を動かすように、ただ生活しているだけで無意識に使っているだけのもの。
たったそれだけのことでも、ドラゴンのコアは世界最強になり得るちからを秘めている。
ジュースのおかわりがきて、エッダはゆっくりと啜った。こんどは長くたのしむつもりらしい。
「なるほど。自分でもよくわからなかったがそういうことか。エッダ、あんたが感じている俺の魔力は〔魔法〕が使えるようになれば、制御できるものなんだな?」
「ええ。すくなくとも、魔法使いは自分の魔力ぐらいコントロールできて当たり前だから」
魔法世界の住人じゃない俺にも、それはできるだろうか。
できれば、俺が人間形態でいられる時間が劇的に増える可能性がある。
使い切れない魔力が毒になるのなら、発散してしまえば理論上は可能なはずである。
「魔法を教えてくれる人とか学校とか知らないか。できれば安くて早くて上手いところ。あと先生が女で美人なら最高なんだけど」
「知ってる」
「そうか、そんな上手い話……うそ、マジで!?」
がたん、とテーブルに手を突いておもわず身を乗り出した。周囲の視線が集束し、俺を射貫く。
わりとしずかで、優雅な感じの喫茶店で、そういう行動は非難の的になる。二度とこれないかも知れない。
「す、すいません」あたまを下げながら座りなおした。「で、その美人女教師の個人授業ってのはどこで受けられるんだ?」
「目的がだいぶズレているんじゃない?」
「そうだった。その超絶有能な魔法教師ってのは、俺のこと面倒見てくれそうかな」
「んー……条件があるけど、だいじょうぶだと思うよ」
「どんな条件だ。俺にできることならいいけど」
「ここの支払い、奢ってくれること」
「紹介料か?」
「ううん。授業料」にっこりとエーダは微笑んだ。
「……ってことは、お前がその超絶有能でナイスバディな女教師?」
「うん」
言い切ったかー。
野暮ったい服のせいでスタイルはまったく見えないけど。
「いや、お前の魔道具が高く売れたってのはたしかだけど、ほんとうに?」
「まあ、疑うでしょうね。だったら証拠見せてあげる」
そういって、エーダは口のなかでもぐもぐと呪文を唱えた。数秒で魔法陣が彼女の顔を包みこんだ。それは髪とおなじパステル・グリーンの輝きをしていた。
緑色の魔法使い。はじめてみる〔自然〕のちからだ。
その魔法陣が消えると、田舎臭さが消えなかった彼女の相貌が、高貴なものに見えてくる。
艶やかな髪、ぱっちりとした二重の瞳、長いまつげ、整った眉、すっきりとした鼻、小ぶりのくちびる、卵形の輪郭、そして、長い耳。
どれもが一級品だった。野暮ったいだけに見えた服装すら、どこかの民族の正装に見えてくる。
顔立ちそのものは変わっていないのに、どうしてこうも受ける印象が違うのか。これが自然魔法のちからだろうか。
否、むしろヴェールで覆い隠していたことこそが魔法なのだろう。
印象的なのはなにより、
「その耳……」
である。
長い耳、魔法使い、自然のちからとくれば、クイズにしてはヒントを出し過ぎている。
パズルのピースを集めて見えてくるのはひとつ。
「そう。あたしはエルフ」
そうなのだった
ふたたび魔法陣がエッダの顔を包むと、感じていたカリスマだとか気品や優雅さだとかは消え去り、元通りの田舎娘にしか見えなくなった。
彼女はふたたびストローでじゅるじゅるフルーツ・ジュースを啜っていた。どこのおのぼりさんかと見まごう、完璧に田舎村からきた村人A(美人)だ。
「スゲェ……けど、エルフって人間嫌ってるとかって感じじゃないの?」
「嫌ってはいないけど、基本的に関わらない。人種が違うからね」
「じゃあ、エーダは特別ってわけだ」
「そう。あたしは変わりものなの」微笑みながら彼女はソファにもたれた。「エルフの森のちかくには、いくつもくぼみがある。なぜかわかる?」
「さてね。きっと雨が強いんだろうよ」
「答えは、矢の雨が降るから」
「そりゃおっかない」
弓を引くまねをするエーダに、俺は両腕を上げざるを得なかった。
冷めてしまった紅茶に砂糖をひとつ落として飲み干した。
エーダがエルフだったというのは運が良かった。アナスタシアに、これ以上あたまを下げるのはかなり腹が立つ。
利用するのはいいとしても、弱味を握られるのはまずい。いつかくるであろう決戦へ向けて、手札は隠しておきたかった。
「レッスンはここいらあたりでやってもらえるのか?」
「そう。このあたりの屋外でね」
「そりゃ助かる。よろしく頼むよ、美人教師」
「ええ。頼まれたよ、デキのわるそうな生徒」
がっしりと握手を交わし、お約束のように握力合戦になって俺はひいひい泣いた。
基本的にエルフというのは、なんでも人間の上位スペックを誇るようだった。一部の人外どもを除いて。
魔法修行は当日、喫茶店を出た直後からはじまった。
街から出て数キロというあたりに舞台を移し、俺たちは対面していた。
エルフというものにマグス・オルタを見せてもたいじょうぶだろうか、という懸念はあったが、人間形態ではなにもできない俺は、瞬間的な葛藤をすぐに決断する。
おまけに朝からずっと人間形態だったから、四二度ぐらいの湯に腰まで浸かっているような感覚だった。
「授業の前に、ちょっとばかし驚かせてもいいか?」
「もちろん。そうやって言われちゃ、驚けないと思うけれど」
「じゃ、お言葉に甘えて」
俺はエーダ以外に人目がないことを確認してから、変身を解いた。
人間らしかった曲線を帯びたボディが、黒くごつごつとした無骨なシルエットに変わった。
ふたつのマグス・ハートが起動し、湯が引いていく。
エーダのほうを見ると、彼女はぱくぱくと口を開閉させてコイのまねをしていた。実によく似ていたが、餌はもっていなかった。
「驚いたか?」
「ば、ばっかじゃないの! 驚くに決まってるでしょ。やっぱりあなたも人間じゃなかったんだ」
「人間だっての。わるい魔法使いに改造されたっていったろ」
「ちょっと改造されたって度合いじゃないよコレ。きっと〔たましい〕から別物だ」
やっぱり、マグス・ハートはたましいと結合していて、並大抵のことじゃ引きはがせないにちがいない。
人間にもどるという案がかなり日陰になってしまった以上、魔法をコントロールできるようになるのは急務だった。
「ドッキリも成功したことだし、パパっと頼むわ」
「パパっとじゃすまないよ。魔法ナメてる?」
「すっごく頼りにしてる。なかったら生きていけないぐらい」
「……お調子ものなの、あなたは」
「そうじゃないとは言いきれないな」
エーダは深くため息を吐いた。
俺は大きく息を吸った。
じろりと、深い色をした瞳が俺を貫くように見ている。
視線に耐えきれなくなり、俺はその瞳に向かってウィンクをした。
もう一度、エーダはため息を吐いた。
「いいよ。あたしにかかれば、一週間であなたを魔法学校小学年卒業者以上にしてあげることなんて、かんたんだもの」
「よっしゃ、一週間で魔法使いどもを蹴散らせるぐらいにしてくれ!」
「それはむり。強引に詰め込んだら、あなたの脳が破裂するから」
「マジで!?」
こうして俺とエーダのはちみつ味の秘密のレッスンがはじまった。
甘さ控えめでクセとえぐみを前面に押し出したはちみつ味になるだろうことは、想定の範囲内だった。