第一七話 ダイタンの幼女 (余聞)
その笑顔はまぶしかった。
下手すれば、ロリコンになりかねないほどに。
限界まで突き落とされてから蜘蛛の糸を差し出されれば、誰だって神や仏を信じざるを得ない。ロリータ・コンプレックスを抱えたものたちは、おそらく、俺とおなじように絶望していたころに無垢な少女に癒されたのだろう。そして、信仰にまで至ったのだ。
神聖なる幼女――それも、白金でつくられたようなとびきりの存在とくれば、落ちるには充分だ。
一度、絶望に突き落としてから信仰対象――幼女――を与えて精神の安定を図る精神治療法、仮称・ロリトニクスとでもしよう。あまりにも危険な宗教的洗脳だった。
もしかしたら〔ふわふわもこもこ王国〕は、そうして誕生した幼性の国なのかもしれない。
「ダメだ。まだあたまがおかしいみたいだ」
「たいへんだぁ。〔いたいのいたいのとんでいけ〕」
リルリラの両手から光があふれ、俺の躰を包みこんでいった。母親に抱かれているような安心感とあたたかさがあり、子供のころに立ちもどった気分にすらなる。
ふしぎな心地になり、すっかりこころよくなってしまう。
母性的なやさしさと少女的な純性をあわせ持つ危険な女だ。
しかし、彼女がいなければ俺はとっくに廃人――非ネット・ゲーマー――になってしまっていただろう。
そこまで冷静になれると、こんどは怒りが湧いてきた。それはあしたへの活力になって、眼前のバケモノへと向かう。
奇数の手足、数百の虫の脚、絡みつく尾と翼、鱗化した皮膚、ねじれ狂う口元、あらゆるものを総動員して、呪物のバケモノは笑っていた。
それほどにおかしかったのだろう。俺の様が。他人の不幸が。
はらわたが煮えくりかえるという言葉の意味をここまで実感したことはない。
胸のマグス・ハートはすでに烈火のごとく光を放っているのに、あたまだけは妙に冷たかった。手足は完全に制御されて、胸の前で組み合わされる。
「あぶないよぉっ」
目を向ければ、バケモノはおもしろかったからもういちどやろうというのか、ふたたび息を大きく吸い込み、ブレスを吐こうとしている。
しかし、いまはそれどころではない。
リルリラや水のドラゴンとアナスタシアの違いはなにか。そんなことが俺のなかでくるくるまわっていた。
思考はすぐにたどり着く。すなわち、単色か混色かだ。そして、リルリラは言った。〔次元蝕〕が使えるのはアナスタシアだけだ、と。
それはつまり〔混色〕の魔法使いの欠如じゃないだろうか。
基本的に、この世界では単色――純化するほどよいとされているように思える。だからこそピンク色の魔法使いは異端なのだ。
そして、アナスタシアのオリジナル・スペルは、その異端性から生まれる。つまり混色魔法だ。
俺が持つ色は炎と水。火力と支配。対極に位置づけられやすい、このふたつは同居するだろうか?
答えは即座にあらわれる。
俺の躰の色が変じた。右腕のラインは赤く、左腕のラインは青く、頭頂より両下肢までは黒に染まる。両端に凝縮されるは、コアふたつ分のちからだ。
水と炎は合掌地点にて混じり入り、ひとつのちからに形成されていく。
極限まで息を吸い込んだバケモノが吐く前に〔混色のちから〕を解き放つ。
それを見てバケモノは即座にブレスを集中し、〔混色のちから〕に当てつける。
ふしゅる。とバケモノが笑った。
「それは無意味だ」
黒緑色のブレスのなかを、いともたやすく〔混色のちから〕は突き抜け、熱線の効かなかったバケモノを燃やす。
水と炎が入り交じれば、完全支配した火力にだってなる。すなわち、目標に当たるまでなににも影響されない魔弾だ。
支配の膜で保護されたちからは、減衰すらなく敵を貫く。
そして、合掌していた両手を解き、俺は青色の左手を前に突き出した。
突き抜けてもブレスは残っている。水のちからに影響されると言うことは、それは魔法的/呪物的な存在と言えるだろう。
だったら支配できない道理はない。俺は深くイメージを刻み込んだ。
「俺式オリジナル・スペル第二弾」
ブレスの先端に手が触れた瞬間、掃除機で吸ったようにそれは俺に吸い込まれていった。先ほどとちがい、俺のなかはすでに支配の水で満たされている。
ブレスをまとめようなどというのはまちがいだった。吸い込めばよかったのだ。
一片すら残らず、汚染のブレスは俺の躰に取り込まれた。水で満たされているから、呪いは完全に支配下に置かれた。
「因果応報」
俺のイメージはここから真価を発揮する。
〔水〕によって濾過するように呪いを浄化、ひとつのエネルギィとしての存在にまで変換していく。
水道水のごとく清められたそのちからは、俺のちからとして取り込まれた。吸収したちからを、今度は放出器たる〔炎〕の右腕に流し込む。
炎のマグス・ハートを凝縮したパワーに加えて、あいてが放ったブレスのちからが乗り、未だ燃えている呪物のバケモノへと放たれた。
極大火力となった炎は渦を巻き、呪物のバケモノを怨嗟の悲鳴を漏らすまもなく焼き尽くした。
あとにはチリや灰すら残らない。
「ああ、疲れたぁ」
「……それ、ずるいよぅ」
それを見ていたリルリラが言う。
「あん、そんなことないだろ。〔地殻災害〕とか〔次元蝕〕とか、よくわからねぇことするお前たちのほうがよっぽどだ」
「そんなことないよぉ。いまのひどいもん。なんで〔かべ〕をすり抜けるのぉ」
そう言われて、すこしばかり考えてみる。
防御主体のリルリラにとって、〔水〕で被覆した魔弾はたしかに天敵だ。
たぶん、この世界では大出力で〔かべ〕を突破するのが主流だったにちがいない。防御無効の攻撃はかなりつかえる。
そして、もうひとつの攻撃吸収は、アナスタシアの〔FOX1〕にすら有効のはずだ。
「おお。思いがけず、あのバカに通じそうな手段ができた。よかった、よかった」
「んぅー」
リルリラは頬を膨らませていた。かわいい。ロリコン的な意味じゃなくて。
思い出したところで転がっていたはずのアナスタシアを見れば、セーラー服は突風などでひどく汚れていたが、見たかぎりは無傷のようだ。あちらこちらに跳ねた髪が、すこしなまめかしい。
「おい、起きてるか生ゴミ」
「あー、いけないんだぁ」
反応がない。
おもむろにほっぺたをつかんで伸ばしてみるが、それでも目覚めなかった。完全に寝ている。
「うーむ、これはマジだな」
「いつもこーだよぉ。だからねぇ、ほんとーは、あんまりたのんじゃダメってしってるのぉ」
リルリラは眉尻を下げて哀しげな顔を浮かべた。それがポーズなのか、本心なのかはわからない。
しかし〔無〕を掃除するたびに、アナスタシアが気絶するまで追いつめられているのは事実のようだった。
ふしぎなことだが、いい気味だ、とは思わない。むしろ同情に近い念すらあった。
たしかにそんな事情ならば、ほかの国へいかずに引きこもっているのも理解できる。
「しょうがねぇ、帰るか。運転よろしく」
「わかったぁ」
なんらかの方法でリルリラが管理者に連絡をとって後のことをまかせると、俺はアナスタシアを担ぎ上げて――お姫様だっこではない――運んだ。人間形態にもどったらそんなパワーは出ないから、オルタ形態のままだ。
内部から門まで渡るとき、ちょうど管理者たちをすれちがった。彼らは俺を見て怯えるのではなく、興味深い研究対象のような眼で見ていた。
なるほど、どうやら俺もアナスタシアに同意しなければならなかった。なるべくならこんなところ、来たくないものだ。
あいかわらずうさんくさげな視線を警備員に送られながら、空飛ぶじゅうたんの後部座席にアナスタシアを乗せ、ベルトで縛りつけた。俺もおなじく後部座席にすわり、ようやく緊張を解いた。
運転席に座ったリルリラは魔法かなにかで連絡をとってから、ハンドルを握った。これが車でなくてよかった。もし車だったら、前が見えないほどに背の低い運転手にすべてを任せなければならない。
「運転手さん、Ms.テイクの山まで」
「あい。しゅっぱーつ」
元気なのはリルリラだけだ。空飛ぶじゅうたんはなめらかに進みだし、目的地につくまでとまることがなかった。
信号のない田舎道だったことは、俺たちにとってさいわいだった。
結局その日、アナスタシア・サーキスが目を覚ましたのは、夜遅くのことだ。
彼女は冷え切った食事を魔法であたためながら、四人前も平らげるのだった。