第一五話 ダイタンの幼女 (余話)
「そんなのアリか?」
たとえるのなら、無敵設定だ。
横スクロール・アクションで、無敵になれるアイテムをとって敵を吹っ飛ばしていくようなものにちかい。
いや、もっと凶悪かもしれない。タイム・アウトがないのだから。
ただ動かずにそこにいるだけで、障害物のほうからやってきて消えてくれる。
あとは平地と化したステージを進むだけでクリアできてしまう。
もはや、すべてを荒野と化す暴虐だ。
「なんとなくわかったみたいですねぇ。そう、アレが〔無〕です。いや、われわれがそう呼んでいるだけで、実体もなにもかもつかめてはいないのですが、はっきり脅威だと認定できるほどのナニカ。無視できない理由がわかりましたかぁ?」
「ああ。ちょっと……いや、かなりビビるぐらいには」
「あたしたちは、うんがよかったんだよぉ。だって、むかしは〔む〕がきえるまで、なにもできなかったんだもん。でもいまは、アニィたんがいるから、だいじょーぶなのぉ」
その言葉だけで、アナスタシア・サーキスがどれほど桁違いの魔法使いなのか理解できた。
あんなものに対抗する手段を持つ唯一の存在。たとえ人格がクサレゴミムシ以下でも、それだけで許す理由には充分すぎる。
疑いようもなく、彼女は最強のひとりなのだ。
「わたしとしては、貧乏くじ引かされた気分なんですがねぇ」ほんとうに複雑な表情で、苦々しくアナスタシアは笑う。「さて、問題です快三さん。あの〔無〕に対処するには、どうしたらいいと思いますかぁ?」
突然のクイズだった。
俺は手足のように冷えたあたまで考える。
なにもないモノをどうすればいいのだろうか。〔次元蝕〕――すなわちワープで別のところへ飛ばしても、それは解決にはならない。
そもそも、動かすことができるのか自体、うたがわしい。
しかし、リルリラは〔次元蝕〕でなければ解決できそうにないと言った。
だから、これはどうやってワープを使うか、という問題なのだ。
俺は思考をつづけたが、出てきた解答はごく平凡なものに過ぎなかった。
「ないんだったら、それを埋めるしかないよな」
「コレクト! いいですよぅ。やはり快三さんは、それなりのおつむをお持ちです。多くのバカどもは、アレ自体をどうにかしようとしました。しかし快三さんのように、わたしのアプローチは違いました。そう、〔無〕が〔有〕に変わるまで、質量をたたきこんだのです!」
言いながらアナスタシアは、その場で舞うように魔法陣を宙へ描いていく。ピンク色のラインが空間を支配して、昼間だというのに強烈に輝いた。その鮮やかさに、張りつくようなねっとりした空気が消えていくほどに。
そして、いつか見たアナスタシアの奥義〔FOX1〕にも匹敵するほどの密度になった魔法陣が、さらに強く輝きを増した。
複雑な図形の組み合わせと連ねられた文字のひとつひとつからちからを感じた。うまくは飲みこめないが、それが魔法を構成するコードなのだ。それを紐解けば誰にだって魔法は使えるように思えた。しかし、そうはならないのだろう。でなければ、いまだにオンリィ・ワンが存在する理由がない。
アナスタシアが腕を振り上げると同時、コードの束がカタチをなして、銀色に輝きだした。見覚えのあるワープ・サークルだ。それは〔無〕を取り巻くようにして、空間をねじ曲げた。
「さあ〔無〕よ。思う存分、喰らい尽くしなさい。〔次元蝕・並列接続〕!」
アナスタシアが腕を振り下ろした。銀色の環は鋭く回転を増し、その瞬間からどこからか喚びだしたあらゆるものを〔無〕へぶつけていく。〔無〕はそのすべてを貪り、喰らっていく。
そのなかには、この廃棄魔法処理場の一画と思しきモノもあった。ピンク色の魔法使いの言うとおりに、あの魔法は別世界――いや、並列宇宙と接続しているのだ。この世界の異なる次元から喚びだしたものを喰わせている。そうでなければ、このあたりの土地を丸裸にでもしないかぎり、〔無〕は存在し続けるだろう。アナスタシアが居なければ、この世界はとっくに滅んでいておかしくない。
「〔並列・次接続〕!」
およそ無限にも思えるほど、その欠落は凄まじかった。
質量にしておよそ島数個ほども飲みこんだころだろうか。〔無〕に異変が現れた。
喚びだしたものを消滅させるスピードが鈍ってきたのだ。
「もうそろそろですよぅ、戦闘準備してくださいねぇ!」
「は?」
意味がわからなかった。しかし、となりを見ればリルリラが真剣な表情――迫力はないが――をしていた。
「あのねぇ、〔む〕がきえちゃうと、ぱーってなってはんどーがくるの」
「どういうことだ?」
まったく理解できなかったので、アナスタシアに解説を求めた。
「〔有〕を〔無〕にするのが困難なように、その逆もまた然り。〔無〕が消える反動で、揺り返しが起こります。その現象は、あたりの空間に影響されて天災であったり、不自然なバケモノの召喚であったりします。今回の場合、周囲に存在する呪物と反応して、かなり邪悪なバケモノが召喚されると想像できます。あ、ちなみにわたしは、コレでちから尽きて使いものになりませんので、よろしくおねがいしますねぇ」
「……なんじゃそりゃあぁー!」
叫んだ瞬間、空間が震えた。
爆発など起きていないのに空気がビリビリしびれ、衝撃波が広がっていく。
無が消滅したのだ。その反動か、空間には魔法陣が生じる。
それを突き破るようにして、一滴の黒い涙のようなモノが地面に落ちた。
その不定形物がぐねぐねとうねると、ひとつのカタチをとって立ち上がる。
それと同時、アナスタシアが崩れおちた。息は細く、ちいさく、絶えそうなほどに静かだ。
以前、言ったとおりに次元蝕を使うだけで疲れるのだろう。そして長時間展開しておけば、それだけの疲労がある。
たしかに、いま、ピンク色の魔法使いは使いものになりそうにない。
立ち上がった怪物は、目算で二階建ての家ほどの高さをしていて、躰のあちらこちらから生えた虫の触角や足のようなものがぴくぴく動いていた。足は三本あり、腕は五本、中途半端に退化した翼と尻尾が絡み合い、どちらも用途はなしそうにない。なんのために生まれたのか、進化や退化、あらゆるものを否定するようなその不自然物は、見るだけで気持ちわるかった。
ふしゅう。という呼吸音と共に、刺激臭がした。空気がどす黒い緑色に汚れていく。存在するだけで害悪だ。
廃棄物処理場・七番――呪物の権化とでも言うべきバケモノは、俺たちを見つけて汚らしい歯をむき出しにして笑った。同時、五本の脚を縮めてバネのように撓ませた。溜められたちからは即座に解放される。瞬間、黒色の悪鬼は宙を舞う。
「マジかよっ……!」
「〔かべ〕!」
リルリラが両腕を前に出し、純白の魔法陣を展開した。
僅差で間に合った障壁が、そこにたたきつけられた怪物の腕を防いでいる。
衝突の轟音とともに空気が震えていてた。しかし、魔法陣はびくともしない。すさまじい衝撃を防ぎきるだけのちからがある。まさしく鉄壁だ。
たしかにこれだけの防御力ならば、ドラゴンに対抗しうる最強のひとつという話もうなずける。
傍観者のように冷静でいられたのは、この瞬間だけだった。
魔法陣と拮抗する呪物のバケモノは、魔法陣を通して俺を見て、もういちど、生理的嫌悪感を抱かせる笑みを浮かべた。
ぞくりと背筋を冷たさが伝い、弾けた。
否応なく、俺はふたたび、たたかいに巻きこまれていく。