第一三話 ダイタンの幼女 (中編)
白の魔法使い〔リルリラ・ラレル・ロレル〕は、五分ほどアナスタシアにひっついていた。
精気を吸い取られたようにげっそりとして、ピンク色もどこか色あせたように見える。
反対に、血を吸ったドラキュラのようにつやつやとしてくるリルリラは、アナスタシアの腕のなかで満悦のようだ。
冬虫夏草を見ている気分になる。ピンク色のアクマとて、苦手なものは存在するのだ。
「もうそろそろ離れなさい」
「んー」
すっかり満足した様子で、白銀のような髪と肌はなめらかに輝きを増している。
彼女はしっかりした足取りでアナスタシアの腕のなかは名残惜しそうに離れた。
その目のしっとりとしたつやは、とても姿形に見合うものではない。たぶん、世間でいうロリババァとでもいうような、外見年齢と実年齢のかけ離れたタイプだ。
「まったく。それで、用事はこれだけですかぁ?」
「ちがうよぅ。ちゃーんとしたようが、あるんだもん」
腰に手を当ててリルリラは胸を張った。見かけだけならば、得意がる幼児だ。かわいらしいと言えなくもない。
しかし、アナスタシアはそうは思えなかったのか、人差し指の自分のこめかみにぐりぐりと押しつけながら、言葉を続けさせる。
「あのねぇ。アニィちゃんに、〔む〕のおそーじしてもらいたいのぉ」
「はぁ……またですかぁ」
「〔む〕?」
聞き慣れない言葉だった。
あたまをひねるが、どうにも結論には至らない。
おとなしく訊ねてみた。
「〔無〕。ほんとうの意味で、そこにはなにもないのです」
「ああ〔無〕ね。……結局、よくわかんねーけど」
アナスタシアはおかんむりのようで、人差し指をたて、リルリラへ向かってしかりつけるように言う。
「産業廃棄魔法を一カ所に捨ててるから出てくるんですよぅ。だから種別ごとに捨てなさいって言ってるでしょう」
「わ、わたしのせいじゃないよぅ。ほかのくにが、いいつけをまもらないのぉー」
「はぁ……っ。ったくもう、一発〔地殻災害〕でぶっ壊せばいいじゃないですかぁ」
「やったらおかーさんにおこられちゃうぅ……」
やろうと思えばできるのかよ。
ドラゴンや魔法使いといった一種の人外たちは、理外のことを当然のように語る。
スペック的には俺にもできるんだろうが、そんなことが可能とは思えなかった。
ロール・プレイング・ゲームには、よく無属性という単語が出てくるが、あんなイメージだろうか。
だいたいがマジック・ミサイルとか序盤のザコ魔法だったり、最終的に使える超強力な魔法だったりって感じがするが。
「〔無〕の掃除って、コイツじゃなきゃダメなのか?」
「あい。〔じげんしょく〕がつかえるのは、アニィちゃんだけですからぁ」
「まったくメンドクセェですねぇ。これだからこっちにはあんまり来たくないんですよぅ」
じげんしょく……。たぶん、次元蝕とでもするのだろう。
無と次元。なんだかインフレーションのにおいがぷんぷんする単語だった。
おそらくは、あの銀色の環――ワープ・ポータルのことだと推測できる。
たしかにアレなら、たいていのものは即座に処理できるぐらいの性能があるだろう。
そして〔次元蝕〕とやらがアナスタシアにしか使えないのなら、コイツが半分ニートみたいな生活していても屋敷に住めている理由はうなずけた。供給を独占しているのだ。儲からないはずがない。
「パパっと済ませてやればいいじゃないか。俺には関係ねぇし」
「ぬぐぐ……他人事だと思って。ひどいですよぅ、快三さんは!」
「ぱぱー!」
「パパでとめるな。ちょっとビビるだろ」
「嘘つきぃ。この童貞が」
「うるっせぇわ!」
たしかにそんな心配をするような行為はしたことないけども。
しかし、無の掃除とやらをアナスタシアにやらせるまでは、この銀幼女が落ち着きそうもない。
王様なりに国の心配をしているのかもしれない。
「ぐちぐち言ってないでとっとと片付けりゃいいだろ。ちょちょいと」
「そうは言いますけどねぇ。アレはものすごい疲れるんですよぅ」
「リルリラのあいてをつづけて半永久的に疲労しつづけるよりマシだろ」
ぽんと手をたたいて、ピンク髪をふわりと揺らしながら、得心したようにうなずいた。
「……なるほどぉ。そうですねぇ。じゃ、サクっといきましょうかぁ」
「ひどいよー!」
リルリラは頬を膨らませてぷんすか怒っていたが、迫力はなかった。
「というわけでちょちょいと行ってきますからぁ、夕食の用意はしておいてください。多めですよぅ」
「わかりましたぴょん。なにがいいですぴょん?」
「にくがいいにゃー」
「肉だわん」
「わたしも肉でいいですよぅ。ステーキにしましょう。あ、スープは忘れずにぃ」
「はーい。いってらっしゃいぴょん!」
「いっといでにゃー」
「らっしゃいわん」
アナスタシアとなぜか俺も同行することになり、オルタ形態から人間形態へと変身しなければならなかった。
エルフやティタンが存在するのならば亜人のような彼女たちはいいが、俺はそのままだとモンスターにしか見えない。
せめて顔でも出ていればよかったのだが、バランスを考えると顔だけ残っているというのも恰好わるかろう。ないものねだりだ。
あきらめて、居間から玄関へ向かう。
「乗りものぐらいは用意してあるんでしょうねぇ」
「うん。あたらしいのだよー」
「ほほぅ。それは楽しみですねぇ」
玄関から出てみると、そこには一枚の大きなじゅうたんが開かれていた。ハンドルとベルトがとってつけたようにその上に乗っている。
ナンセンスなタイプのギャグだと思っていたら、リルリラはポケットから出したちいさな板を操作して、じゅうたんを覆ってい不可視のヴェールをはぎとった。すると、じゅうたんの下からやわらかな風が吹き、ふわりと浮かんだ。
「ほほう。なかなかの一品ですねぇ」
「ふふーん。うちでつくってるんだよぉ」
「ええと、コレは空飛ぶじゅうたんというやつか」
「そうですよぅ。ベルトの数からして六人乗りタイプですねぇ。けっこうな出力じゃないですかぁ」
「がんばったもぉん」
リルリラは、自慢げに腰を逸らし胸を張っていた。たしかに絨毯にはひとつのハンドルと六つのベルトが着いている。
なるほど、ファンタジィだ。すこしばかり現実逃避していてた脳がもどってくる。
つまり、空飛ぶほうきが一人乗り――モーターサイクルのようなもので、空飛ぶじゅうたんは車のようなものなのだ。
「運転免許とかは必要あるのか?」
「当然、必要ですよぅ。リルリラは持ってるんでしたっけ?」
「あるよぉ」
そう言ってリルリラは、またポケットをごそごそやって一枚のカードを取りだした。それには普通免許という意味の文字と、リルリラに関する情報が載せられていた。
「うわー、すげぇ不安だわー」
「ちゃんとうごかせるもん」
「ま、地獄行きのチケットを買ったと思ってあきらめてくださいよぅ」
「あきらめられねぇよ!」
しかしながら、あきらめなければならなかった。
俺たちはじゅうたんに乗り込み、効果があるのかすら疑わしいベルトを締める。
「ベルトだけはしっかりしてくださいねぇ。じゃないと、吹き飛びますよぅ」
「お、おう」
訂正、ぎゅっと締める。
「いっくよー」
じゅうたんはあまり揺れもせず、ゆっくりと走りはじめた。
乗りごこちはごくなめらかで、乗ったことはないが、リムジンの後部座席よりもすばらしいのではないかと思える。
走行音はほとんどせず、しずかなものだったが、耳をとおり抜けていくダイレクトな風の音だけが恐怖的だ。
しかし、想像していたような強烈な風圧はなかった。なんでも、ベルトを結ぶことによって防御系の魔法が発動しているらしい。
原理はわからないが、排気ガスなどを吐き出さない分、車よりもよっぽどエコロジィな乗りものなのではないだろうか。
そんなことを思っていると、〔無〕とやらが存在する場所までは、あっというまのことだった。