第一二話 ダイタンの幼女 (前編)
庭を含めて考えれば、〔Ms.テイクの山〕はおよそ一五〇坪ほどの敷地で、そのうち一軒家が占める割合は一二〇坪。二階建てで、かなり余裕を持って造っているように見えた。
とはいってもこっちはアメリカのように土地があまっているのか、こういう大きな家は珍しくもないようで隣家もかなり大きい。
意外とあなどれない〔ふわふわもこもこ王国〕の面積は、だいぶ広いのかもしれない。
玄関を開けてなかに入ると、玄関と廊下の境目が一段高くなっていて、そこに靴が並んでいた。
こういうの、ひさしぶりな気がする。日本風でちょっと落ち着く。
アナスタシアの屋敷だと俺は変身したままだったので、靴を脱ぐとか脱がないの状況ではなかったが、すくなくともアナスタシアは脱いでいなかった。洋風というか、靴を脱がないタイプの風習だ。
ひさびさに靴を脱ぐと、板張りの冷たい感覚が靴下越しに伝わる。廊下は広々としていて、二、三人は横に広がれそうだ。壁は白く、清潔感がある。側面にドアが一枚ひっついていて、そこはお手洗いになっているようだ。
玄関から伸びる廊下を抜けると、道が二手に分かれていた。俺は先に行くふたりへ着いていき、リヴィング・ルームへ出た。そこでは、見知らぬ猫耳の生えた幼女と、犬耳を生やしたマニッシュな少女が、ソファに座りながら焼き菓子を摘みつつしゃべっていた。
「おひさしぶりです、一号、四号。お元気そうでぇ」
「あ、ダメにんげんにゃん」
「やあ、桃色の。お元気そうだわん」
「もう、そんな言葉つかっちゃダメぴょん」
「いいんですよぅ。あとで個人的に折檻しますからぁ」
猫耳幼女〔一号〕は、金髪碧眼で生えたる耳も同色。肘、膝から先、ふわふわとした金色のつややかな体毛が生えている。黄色のワンピースのなかから伸びるこれも金色の尾は、気分に従っておとなしくしたり、ぶんぶんと振れたり感情豊かだ。本体は、十は超えていないだろうという風に見えた。手も足もなにもかもがちいさいというのに、瞳だけが大きい。猫になっていなくても、元から猫のような女だったにちがいない。
対して犬耳少女〔四号〕は、黒髪黒眼で本人の落ち着いた雰囲気を反映させるかのように、耳は垂れ落ちたタイプ。手足の長毛に櫛を通してはなでつけている。外見には気をつかっているのか、服装も白いブラウスと黒いパンツと地味なのだが、良質なモノを使っていて、シルエットもきちんとあったものを着用している。背はすらりと高く、一七〇センチメートル弱というほどで、かなりスリムな体型をしている。髪もショートで、女の子らしいというよりは女性に人気がありそうなタイプだ。
「ソファに座っていてください。いま、お茶を淹れてきますぴょん」
さっき飲んだばかりだからけっこうですとも言えず、「おかいまいなく」とだけ返した。
「君、成功作なんだって。なんのマグス・ハートを移植されたわん?」
「ん、ああ。こいつ炎のドラゴンって言ってた」
「うそっ、すごいにゃー。マグス・オルタ・モードみせてにゃん!」
マグス・オルタ・モード?
聞き覚えがなかったので視線でアナスタシアに訊ねると、口をぱくぱくさせた。そこから読み取るに、バケモノ状態のことを言うらしい。
いつまでもバケモノ状態と呼ぶよりは、それなりに恰好がつくか。
「おし、見てろ」
たましいと融合したマグス・ハートと躰を通るラインを意識して接続し、末端まで熱を届けるようにイメージする。すると学ランに包まれていた躰は、黒の鋭いシルエットに赤いラインが走る異形の存在へと作り替えられた。
「かっけーにゃー。へんしんヒーローみたいだにゃん!」
「うん。赤いスカーフとかオススメするわん」
「そ、そうか?」
そうしてすこし照れながらも恰好いいんだろうかと自惚れていたのだが、あることに気づいた。マグス・オルタにおける形態のちがいだ。失敗作たちは人間状態にベース・コアの種族に軽度の変異を受けた状態だが、あたまの天辺からつま先までではない。
成功作と失敗作の違いなのかと思ったがそうではない。一号と四号は手足にも動物のような体毛があるが、二号――うさぎ少女の手足は人間のものだ。
「なあ。どうして俺のマグス・オルタと彼女たちのそれは違うんだ?」
「にゃ。きいちゃうの、ドラゴンにゃん」
猫一号は、いやそうな顔をした。
「オルタ・モード――すなわち躰の変質を、われわれはコアの侵蝕と呼んでいるわん」
「かんたんに言うとですねぇ。コアの性能が高いほど侵蝕が強い。二号のコア〔首狩りうさぎ〕は弱い素材でぇ、快三さんのコア〔炎のドラゴン〕は強い素材だということです」
「ドラゴンのパワーを受け入れるには、充分な変異が必要だったというわけですぴょん」
「なるほど。で、にゃんことわんこのコアってのはなんなんだ。またすげー物騒な名前出そうだけど」
「たいしたことないですよぅ。〔虐殺猫〕と〔瘴烟犬〕ですから」
「うわぁ。お知り合いになりたくねぇワード」
「ひどいにゃん!」
「傷つくわん……」
よよよ、と泣き崩れるまねごとをするふたりに、どうも調子が出てこない。
「ああ、わるい。おまえたちは被害者だったな」
いつのまにかアナスタシアに毒されていたようだ。打てば響くような、くだらない言い合いに慣れすぎたせいだろう。無意識にひどい言葉が飛び出してしまう。気をつけないと。
落ち着くために、マスクを開いて二号のうさぎが運んできたお茶で口を湿らせた。すこし苦く、独特の香りがした。紅茶でもなく、強いて言えばどくだみに似ている。だが嫌いじゃない。どくだみ茶は、祖母の家で飲んでいたから慣れている。
「うん。まずくはないな」
「うそ。のめるにゃー?」
「そんなにマズいか?」
「あたしはダメにゃん」
「ボクも苦手わん」
「なんででしょう。こんなにおいしいぴょん……?」
コップからドクダミ茶もどきを啜って、二号のうさぎは首をかしげた。おそらくおばあちゃん子なんだろう。
猫の一号と犬の四号は新鮮なミルクを飲んでいた。濃い乳白色を喉を鳴らしながら、エールを呷るように一息で飲み干した。コップをテーブルに叩きつける。ふたつの音がひびいた。
「ぷはー。これだにゃー!」
「ぷはー。うまいわん!」
「こらっ、お行儀わるいぴょん!」
「てへへー」
「えへへー」
どうみても幼女の一号はともかく、大人びて見える四号が子供っぽいというのは意外だった。それをまとめる二号のほうがよっぽど少女らしく見えるというのに、ヒエラルキィというのは単純ではない。
まだどたばたとやっている三人はほほえましい。
しかし気に掛かるのは、ここに来てからアナスタシアがやけにおとなしいことだ。まだ見ぬ三号に関係があるのか、あるいは五号か六号のことかもしれない。すくなくとも天然スピーカーのような存在が、黙りこくっているというのは不自然だった。
「どうしたんだ、おなかいたいのか?」
「そんなことはないんですけどぉ、イヤな予感がするといいますかぁ」
「なんだそりゃ。魔法使いの勘ってやつか」
「うにゅー。……わからないです」
その時、玄関のほうから音がした。いくつもの鈴を同時に振ったような音だ。それがチャイムなのか、二号は玄関までうさぎの脚力のおかげか、すばやく飛んでいった。ドアを開けた音が聞こえると、甲高い舌っ足らずな声で誰かが叫んだ。
「アーニィーたーん。いーるんーでしょー」
「……アレか?」
「アレです」
どうにもアナスタシアのイヤな予感がやってきたようだった。
ぺたぺたと足音をさせてやってきたのは、プラチナ・ブロンドのさらさらとした長髪と、ほとんど真っ白に近い磁器のような肌、身長一二〇センチもあるかあやしい矮躯と、それに見合うだけのすべてが小作りの均整のとれた躰をした幼女だった。いや、幼女と言うにはあまりにも醸し出す雰囲気が大人びている。言動や声はともかく。
ひとりは真性幼女・猫一号。ひとりは神聖幼女・白一号。銀と金。眼に痛い。
「アーニィたーん。みつけたー!」
「うげぇ、リルリラ」
「えへへ、どーん!」
と言って、ふたりめの幼女は、アナスタシア目がけて突撃して抱きついた。
「はーなぁせー。面倒ですねぇ、このバカは」
「やーだー。どのぐらいぶりだよー」
「知りませんよぅ。快三さん、見てないで引っこ抜いてください」
「ん、ああ。ほら、ちょいと離れろ」
そういって、背中のあたりを掴まえて持ち上げてやる。あくまでもゆっくり、そしてちからを抜いてやらないと、下手したら屋上から落としたトマトのようになりかねない。慎重に、服だけを引っ張った。
ちからがないのか、あるいはちからがありすぎるのか。銀幼女はすぐに離れ、空中でじたばたしている。
「あっ、はーなーせー。この、このー」
「ちょっとだまっとれ。展開が早すぎてついていけねぇ」
「ええと、快三……さん? はなしてあげてくださいぴょん。そんなのでも一応、この国の王様ぴょん」
「そーだぞー。えらいんだぞー」
空中で器用にも胸を張る銀幼女リルリラは、えっへんとばかりに腰に手を当てた。
「マジで?」
「マジわん。こんなのでも、一応は最強の魔法使いだからわん」
「つよいんだぞー」
「……あー、そう。まあいいや。えらい王様だったら、しずかにしてくれ。な?」
「やだー。えらいから、いうこときかないで、いいんだもーん」
「……一号。ちょっとふたりで、公園でもいって遊んできてくださいよぅ」
「ダメだよー。きょーはぁ、アニィとあそぶんだもーん」
「だってにゃー」
とりあえず仕切り直すために、二号はリルリラのためのミルクを注ぎにキッチンへ向かった。逃げたと言ってもいい。
セイフティ・ゾーンのない俺たちは、言い含めようのないリルリラを説得するよりも、アナスタシアを落としたほうが早いと悟り、なんとか抱きつかせたままソファでおとなしくさせるという方法を取ることができた。俺と犬四号は、この件で友人になれる日も近いな、と思うのだった。