第一一話 接続されたままの女 (後編)
「ぜひっ、ぜひっ、ぜひっ、ぜひっ」
横腹が痛い。空気がたりない。っていうか足がだるい。根本からバラバラになりそうだ。
不健康とまではいかないが、インドアな男子高校生に時速二十キロで三〇分走れと言われたら、誰しもこうなるだろう。
おまけに足下がうっとうしい。地上からわずか数センチのぬるま湯が、べったりと張りついて重かった。
走って上がった体温が抜けず、いつまでも汗を掻いていそうだ。
「情けないですねぇ。それでもドラゴンを倒した男ですか」
「いまは……げほっ、単なる、人間だ……はぁ」
たしかに情けなくはある。マグス・ハートのちからがなければ、俺はどこにでもいるような善良一市民でしかない。
接続切断すると、これほどまでに性能が落ちるモノなのだろうか。
マグス・ハートの影響でいくらかは、素体になった俺のスペックも上がってていいだろうに。
「仕方ありませんねぇ。……とはいえ、体力を回復させるような魔法は準備がありませんから、食べ物屋さんにでも入りましょうかぁ」
「そう、して、くれ……」
何度も深呼吸をして息を整えつつ、脇腹やらをたたいては痛みを誤魔化す。
ようやく落ち着いて、走りずくめでやってきた城下町を見ることができた。
とおくには、言葉では言いあらわせないほど立派な白亜の城が築かれており、つくった人物の立派さというよりは、何年、あるいは何十年かかって建造したのだろう、という気持ちのほうが先に湧いてくる。
その足下に広がるは、これまたご立派な城下町であった。モンスターが襲ってくるせいか、数メートルはある石壁に囲まれているのだが、さきほど見かけた十メートル級の黒蜘蛛にかかってはひとたまりもない。しょせんはザコあいてか気休め用なのだろう。
街は活気があり、商店街のあるメイン・ストリートは、ひっきりなしに人が行き来している。
俺たちはそこからすこし外れて、しずかな住宅街の近くにあるオッシャレーなカッフェー的な店に入った。
店内にはいかにも、アテクシ、お金持ちザマスみたいな貴婦人から、質素な恰好はしているが、身なりのいいお嬢さまがたやらが客のほとんどを占めていた。給仕をしている従業員もしっかりとした制服で働いていることから、お店同様、これまたご立派な値段がしそうなところである。
「そういや俺、金持ってねぇぞ」
「それぐらいはだしますよぅ。快三さんは、わたしの大切な実験体ですからぁ」
「……ま、だしてくれるっていうのなら、ありがたく奢られるよ」
その真意はあえて無視する方向で。
立っていると、髪をうしろへなでつけた男の給仕がやってきて、奥まった席へと案内してくれた。
ちょうど角っこにあり、窓から外が見られる位置だった。個人的には、こういう場所は好きだ。
そこに座り、メニューとお冷やを渡された。
つらつらと書いてあるが、書かれている文字は、アルファベットと象形文字を混ぜて捏ねて焼いたようなカタチをしていたが、意訳されていてどうにか読める。
翻訳魔法マジすげぇ。
っていうか文字が整理されていない過渡期のわりには、文化レヴェルが高すぎるような気がする。そこらへんに排泄物とか放置されていないし、たぶん下水道とかも完備してあるんだろう。さすが異世界、バランスわるい。
「んーと、そうですねぇ。このパウンド・ケーキのクリーム添えと、紅茶で」
「俺もいっしょのものをおねがいします」
「かしこまりました。しょうしょうお待ちくださいませ」
そう言って、やたらにうやうやしくウェイターは下がっていった。
三分ほどお冷や――ぬるかった――を飲みながら待っていると、トレイに載せられてケーキと紅茶がやってきた。
アナスタシアがコインを一枚渡すと、彼は上機嫌になって去っていった。
なかなか良質のものでかなりうまかった。クリームはとくに新鮮で絶品だった。紅茶はダージリンのセカンド・フラッシュとよく似たものなのか、マスカットのような香りがした。
ひとここちついて椅子にもたれかかっていると、ほっぺたにクリームをつけたアナスタシアが切りだした。
天然なのか計算なのかはわからないが、こういうかわいさだけは評価したい。アピールだとわかるとむかつくんだけれども。
「買い出しの前に、ちょっと寄りたいところがあるんですけどいいですかぁ?」
「ああ。べつにかまわないよ。今日はこっちで一泊するんだろう」
「はい。それじゃあお言葉に甘えましてぇ」
「どこ行くんだ?」
「んにゅー、そうですねぇ。ある意味では、快三さんにもゆかりがあるというか、なかったというかぁ」
はぐらかそうとしているのかいないのか、どうにも要領がつかめない。
「いいから言えよ。気になるだろう」
「そうですねぇ。あとで知ることになるんですから、ここで言っておきましょう」
おほん、とひとつ咳をして、ピンク色のアクマは言った。
「そこは、快三さんとおなじように元・異世界人が暮らす場所なのです」
「――は?」
元・異世界人。はっきりこいつはそういった。
俺からすればこいつを筆頭に周囲にいる奴らこそが異世界人だが、こいつがそういうと言うことは、俺がいた次元やほかの世界からつれてこられた存在に他ならない。
たしかアナスタシアは、片手で数え切れないほどの人間を犠牲にしてきたと言った。
そのことには覚えがある。それで俺は激昂したのだ。それが、暮らしている?
「どういうことだよ。お前の実験で殺したんじゃなかったのか?」
「まさかぁ。手術は失敗しましたけど、生きてますよぅ。人命を奪うほど下手な手術をすると思われたら困りますねぇ」
ちっちっち。と指を振る。うぜぇ。
しかし、それよりも興味深いことはあった。マグス・ハートの移植が失敗した場合の末路というものだ。
俺も、もしかしたらそうなっていた可能性の方が高いのだ。そして成功例と失敗例のちがいとはなにか。
「わかった。いこうぜ。たしかに興味はある」
「ええ。では支払いをしてきますねぇ」
「たのんだ」
そういって支払いをするアナスタシアを残し、外にでた。
すぐに店から出てきて、彼女は俺に箒を持たせた。
「はい」
「……俺が?」
「もちろん」
「オーケイ、ついでにジャケットでもなんでも持つよ」
「おお、素直ですねぇ。やはり、うるわしいわたしの魅力に骨抜きに……」
「ならねぇわ」
「ツッコミとしては点数高いですけど、乙女心的には〇点ですよぅ!」
「知らん。とっとと案内してくださいませ」
向こうに非があるとは言え、世話になりっぱなしというのも気分がわるい。
べつに損をするわけでもないので、おとなしく箒を持つ。
いざとなったら箒で逃げられるという選択肢を封じられるしな。
「えーと、この通りを右……でしたかねぇ」
「知らんがな。うろ覚えかよ」
「あんまり屋敷から出ないんですよぅ」
やはり引きこもりというのは、土地勘とかを退化させるね。うん。
そうやって何分もうろうろしていると、
「あれ、もしかしてアナスタシアさんですぴょん?」
ぴょん?
「んー……おお、モルモット二号、二号じゃないですかぁ!」
「それはやめてくださいってばぁ。おひさしぶりですぴょん」
はぁ。ぴょんですか。
そちらのほうを見れば、あたまからうさぎの耳を生やしたかわいらしい少女だった。
髪色は黒で、異世界の人間にしてはあまりにもモンゴロイド的な特徴をしている。
日本人にバニィ・ガールのコスプレをさせたらあーなりましたって感じの恰好をしていた。
そしてモルモットという呼称から推測するに、この少女が失敗例のひとつというものだろう。
いまのところ彼女はおかしいところしかないが、人間としては生活できているようにも見えた。
「そちらのかたは、また失敗作ですぴょん?」
「いいえ。なんとですねぇ……にゅふふ、成功作なのですよぅ」
「おおー、おめでとうございますぴょん!」
かわいらしいとは思うが、それ以上にイライラしてくるのはなぜだろう。
「えーと、二号さん、だっけ。そのぴょんっていうのはキャラ付け?」
「なんてことを言うんですかぴょん。わたしだって好きでつけてるわけじゃないですぴょん」
「そう。残念なことに、失敗作はマグス・ハートを制御できないので、元になったコアの特性を濃く受け継ぎすぎてしまうのですよぅ」
「……まあ、たしかにろくなもんじゃねぇな」
「そうなのですぴょん。あ、また迷子ですか、だったら案内するぴょん!」
「お願いするのですよぅ」
「毎回、迷ってたのかよ」
……もしかしたら、アナスタシアの珍妙な言動も自分を改造して失敗したのが原因なんだろうか。
深くは追求できず、俺たちは二号さんについていくことになった。
そしてたどり着いたところは、実にアット・ホームな雰囲気ただよう一軒家である。
「さあ、つきましたぴょん。どうぞ、あがってくださいぴょん」
「あいあい。どうしたんですかぁ、快三さん。さあ、どうどどうぞ」
「ん、ああ。おじゃまします」
その家の表札には、こうかかっていた。
〔Ms.テイクの山〕
直接的すぎんだろ。