第一〇話 接続されたままの女 (中編)
全速力で走ってもピンク色のアクマに追いつくには、体感時間で五分は必要だった。
現代日本のようにアスファルトなどで整地されていないから、地面がデコボコしていて非常に走りづらいのだ。
土はやわらかく踏みやすいが、俺が踏みこむと圧力に負けて地面がへこみ、衝撃が吸収されてしまうのも問題だ。
空中を優雅に飛ぶ、くそったれのピンクさまにはわからない苦労だろう。
「おい、待てっつーの!」
「遅いじゃないですかぁ、快三さん。なにをやってたんですかぁ」
「ずっと追いかけてたわ! もういいから、その説明とやらをしてくれ」
「ふむぅ。そうですねぇ。〔ふわふわもこもこ王国〕のとこからですかね」
「ああ、そこからでいい」
途中、集団でうろうろしているバケモノ――腹がでて耳の長い、やたらブサイクな小人――が居たが、それが反応するよりも速く、俺たちは駆けぬける。
ジャマイカのワールド・レコーダーが秒速十二メートル強をたたきだしたというが、その三倍はでているにちがいない。
現代だったら高速道路を走ってもスピード・オーヴァで捕まるぐらいだ。どんな身体スペックなんだか、いまだに把握しきれない。
「なんでそういう名前になったかと言うと、王様がバカなんですよぅ」
「お前と同類か」
「えい」
急激に俺が踏もうとしていた大地が爆発した。
それ自体にダメージは感じないが、しかし心臓がばくばくと高速で飛び跳ねる。
「なにしやがる、この腐れあたま!」
「あんなのといっしょにしないでほしいっていう、、かわいい乙女のおねだりじゃないですかぁ」
「そのバカのことは知らねぇけど、お前はバカだよ!」
「えいっ」
今度は俺を取り囲むようにして数発ほど地面が破裂した。
さすがに予測していたので、放熱噴射による加速を斜め方向につかって数十メートルほどジャンプし、その爆発を避ける。
そして降りながら、ちょっとした放熱攻撃を箒目がけて放った。
「そらよっ!」
「なにゅおぅ!」
進行方向を予測して放った攻撃は、稲妻のようにひらめいて回避された。
さすが空路、道は無限だ。
「ちっ」
「にゅふふー」
「……もういいや、説明にもどってくれ」
「あい。そのバカがなんでそんな名前をつけたかと言うと、そういうものが好きだからなわけですよぅ」
「なるほど。飛びぬけたバカだな」
一個人の好みで国の名前をそんなことにしたら、とんでもないことになる。
まあ、たぶん、絶対、このバカとおなじで、そいつもろくでもない突然変異の超人ってことは想像がつくけど。
じゃなかったらそんな暴挙、許されるわけがない。
「名前どおりには一応、絶滅危惧種の保護とかにはちからを入れているみたいですけどねぇ」
訂正。すくなくともアナスタシアのほうがバカにちがいない。
「なんだ、やることやってんじゃん」
「まー、仮にも国王なんてメンドくさいことやってるぐらいですからねぇ。で、いまからいくところは、その城下町なわけですよぅ」
「なるほど。このあたりじゃだいぶ発展してるとかんがえていいんだな」
「まあまあですかね。家畜どもを優先しているだけあって、食べ物はおいしいですよぅ」
「そりゃ、たのしみだ」
途中、俺たちのスピードに反応して近づいてきた十メートル級の黒い色をした蜘蛛が襲ってきたので、熱線を放ったらしゅるしゅると縮こまってお陀仏ということになった。めちゃくちゃ気持ちわるいのだが、どうも見かけ倒しらしい。
アナスタシアの解説によれば、アレでもふつうの人間にとってはすさまじい驚異なのだという。
こっちに来て初日か二日目にドラゴンとやらされた俺は、どれだけ理不尽なことをされたのか。
いまさらながらに、よく生きのこったものだと思う。
「その、ふわもこっつーのは、治安はいいのか?」
「最高クラスですねぇ。なにせ王様が光の魔法使いなのでぇ」
「へぇ。光ねぇ。炎が破壊、水が支配、光は防護と生命だっけ?」
「よく覚えてまちたねぇ。あとでアメを買ってあげましょう」
「ワーイ、アリガトー」
「よちよち」
「もういいよ。で、そのバカってのがにらみを利かせてるから安全なのか?」
「そういうことになりますねぇ。こと戦闘にかぎって言えば、最強と言っても過言ではありません」
「お前とか、ドラゴンよりも?」
「ドラゴンはわかりませんがわたしよりは強いですねぇ。なにせ、防御と生命の極致。炎の極致の最大火力攻撃すら跳ね返しますからぁ」
「マジかよ。たしかに攻撃が通らなきゃ、勝てる要素はないもんな」
「ええ。だから、水ほどじゃないですけどぅ、苦手なんですよねぇ」
ドラゴンのストロング・ポイントのひとつに、鱗の頑強さがある。
物理的にも魔法的にも性能が高いらしく、その性能がいまの俺の防御力の高さにも繋がっている。
火力イコール強さじゃなくて、むしろ個人レヴェルでいえば、防御力のほうが大切なのだ。
「そういや、他にはどんなのがあるんだ? みっつはわかったけど」
「あと、もうふたつしかありませんよぅ。すばり〔自然〕と〔闇〕です」
「闇ってのは光の対になってるから、それはわかる。自然?」
「より厳密に言うと、森とか大地とかその辺なんですけどぉ、自然、と呼んでますねぇ」
「はぁ。わかるようなわからねぇような。で、それはなにが使えるのよ」
「んにゅー、自然は成長と増殖なんですがぁ、闇は難しいですねぇ。なんといったらいいやら」
「中二病力が高まるとか?」
「それは知らないです」
するっと流された。
上空から襲ってきた数メートル級の鳥型のバケモノを黒焼きにして、話をつづける。
「えほん、えほん。で、闇ってのはどういう能力なんだよ」
「光と闇はぁ、いろいろできるんですよぅ。光はそれが防御とか生命に向いてて、闇は阻害とかが得意なんですけどぅ」
「けどぅ?」
「代償を払えば、なんだって使えるんですよねぇ」
「穏やかじゃないなあ。命をささげるーみたいな?」
「みたいな」
軽い気持ちで聞いてみたら当たっていたとは。
俺の初期装備がもしも闇だったら、正直詰んでたかもわからんね。
なんとなしに妙な雰囲気になってしまったので、強引に話題を変える。
「で、つぎなんだけど、翻訳魔法ってなんだよ」
「わたしたちと快三さんが、ナチュラルに会話できるようにするモノです」
「いや、そりゃわかるけど、いつの間にそんなものを」
「最初からですけどぉ」
「……ってことは、あの銀色の環に仕込んであったってことか」
「はい。じゃなかったら、会話なんてできませんよぅ」
もっともなはなしだ。
異世界人とふつうに会話できるとか、あきらかにオカシイともっと早く気づくべきだとは思ったが、どうもそれどころじゃないイヴェントに流されすぎて、すこーんと忘れていたようだ。
肉体だけじゃなくて、俺はすこしずつ人間としての感覚が麻痺していっているような気がする。
はたして人間になったとき、混じって暮らしていけるんだろうか。
「んー、あと聞いておくことはあるっけな」
「そうですねぇ。付いたらおたのしみが待ってますよぅ」
「おたのしみねぇ……わるい予感しかしねぇよ」
「そろそろ、街から十キロぐらいですねぇ。いったん、止まりますよぅ」
「オーケイ、……っと!」
足に制動をかけるのだが勢いは急にはなくならず、地面を数メートルほど抉ってようやく停止した。
土埃を払ってから、ひさしぶりで人間の状態になると躰がすこし重く感じられた。
どうも、バケモノ状態に慣れすぎているらしい。気をつけないと。
「おし、行くか。アナスタシア、お前あんまりスピードだすなよ」
「わかってますよぅ。ゆーっくり行きますからぁ」
と言って、アナスタシアは先ほどにくらべて非常にゆっくり進んでいった。
ただしそのゆっくりは、時速二十キロぐらいなのだが。
見る間に、彼女のすがたは彼方へと進んでいく。
「いや、そのくりかえしのギャグいらねーから!」
人間状態のおれは、のこり十キロメートルでへとへとになるまで持久走せられるのであった。