第〇一話 百万度に灼かれて (前編)
俺はローグ・ライク・ゲームが好きだ。
血液型占いを信じているわけではないがA型で、ある程度、神経質な完璧主義者でもあった。
空腹度が減るし、無意味だし、効率的でもないということを承知の上で、マッピングを完全にしないと気が済まない病の患者なのだ。
一度、踏み入れた建造物は、全部の部屋を見て廻りたい病の患者でもあり、踏み込んでいいラインと良くないラインがわからなかった幼少の時代は、かなり苦労した。
俺がこの高校に進学したのも、造りが変だったからだ。
全体が歪んで妙ちくりんなカタチをしていて、是非、校内を隅々まで歩いてやろうと思っていた。
そして四月二十日の放課後、俺はこの学校の最後の一カ所まで来ていた。
この場所さえ埋めれば、俺は満足できる。
そう思って踏み込んだのは、そこらかしこに存在する行き止まりだ。外観から見ても必要のない場所で、存在理由がない。
しかしそのせいで俺が入学したのだから、意味はあるのかもしれない。
噛みしめるようにその行き止まりを奥まで歩いていくと、そこから先に、無窮の空と遥かなる大地が広がっていた。
……いや、それはないだろう。と、ツッコミを入れてしまうほど、ありえないことだ。
なにやら輝く銀色の環が、壁にくっついているのだ。それは光の集合体で、流れるプールのようにゆっくりと循環していた。
その環の内側に見えるものが、あきらかに現代日本とはことなるような風景なのだ。
幼いころにTVで見たモンゴルのようなもので、大気汚染などという言葉とは無縁に思える。
その景色の周囲は楕円形に縁取られていて、まるで鏡のなかの世界みたいだ。
いつかプレイしたゲームのワープ・ポータルが、こんなカタチをしていた。
アレはネット・ゲームだったっけ、それともオフライン・ゲームだったっけ。
という思いに浸りながら、俺はもっと近くで見ようと、その銀色の環に手をかけた。
その瞬間、掃除機で吸いこまれるように、俺の躰はワープ・ポータル(仮)のなかへ引っ張りこまれる。
すこしでも触れた時点で反応するらしく、銀色の光は強く輝きだし、激しく流れはじめた。
「く、クーリング・オフで! いや、キャンセルで!」
壁を掴んであらがおうとするが、その引力はハンパではなかった。
健闘むなしく、俺は無窮の空と大地が広がっている銀環の世界へ連れこまれたのだった。
*
吸いこまれた途端、銀色の環――ワープ・ポータルは見えなくなった。
ということはつまり、すくなくとも学校へは戻れなくなったことを意味する。
どこに吸い込まれてきたのかすらもわからない。
がっくりと落ちこんでいたが、いつまでもそうしていても仕方がない。学ランを叩いて、辺りを見回してみた。
放課後だったはずなのに、空は高く、見たことがないほどに青かった。
白い雲がぽつぽつとしていて、雨など降りそうにない。
大地には草が生い茂り、寝転んだら心地よさそうなほどに深い。
というか太陽がまだ天高く夕方でもないなんてことは、日本ならばまずあり得ない。
時間変更線を超えたのか、あるいは時間のスケール自体がちがうのか。どちらにしても、徒歩で帰れそうな距離ではないことがわかる。
というかそもそも見渡すかぎりが平原であるということは、文化の匂いが一切しないということだ。
着の身着のまま、持っているモノは学生かばんがひとつだけ。野宿でもして野生の動物に襲われたら、ひとたまりもない。
ライオンかハイエナに襲われる想像があたまを過ぎった。
きょろきょろと見渡すが、視力一・五はある俺の目にも家屋や、それらしきモノは見えない。
まさか、嘘だろう。
そういう気持ちが、足下から湧いて出てくる。まだ王城の一室だとか、神殿の最奥部だとかに召喚されるならわかる。
そうしたら俺は勇者で、世界を一丁、救ってやろうかということになる。
世界を救ったら、もれなくお姫様とか巫女とかと結婚してハッピィ・エンドだ。
で、元の世界とかは一切合切を忘れて、この世界で暮らしていくというわけだ。
……でも、俺はいま平原にいる。神殿でもないし、王城でもない。つまり勇者として召喚されたわけじゃない。
じゃあなぜだ? と、疑問を抱え込んだ瞬間だ。
ずどどどど……と、草原の向こうから土埃が舞いあがり、なにかが近づいてきた。
なんだ? と身構えた瞬間、そのなにかは俺にたいあたりをかましてきた。
「ウェルカム、ニュー・ヒーロー!」
ずどん。という重苦しい音がして、俺は激しく突き飛ばされ、草原をごろごろと転がった。
草のおかげで擦り剥きはしなかったが、衝突は確実に俺の内臓へダメージを浸透させた。
下手すれば、肋骨にひびが入っていてもおかしくないようなスピードとパワーだった。
正直、いますぐには立てないほど痛かった。すこしのあいだ、そこで蹲るようにして痛みが引くのを待っていた。
ようやく痛みが引いてから、ふと目の前にいた、飛びかかってきた〔なにか〕に文句を言う。
「何なんだよ、お前。骨折れるぞ、あんなもん」
「……お。積極的ですねぇ。そういうの、嫌いじゃないですよ」
ごろごろと転がっている内に、どうも俺は〔なにか〕の上になっていたらしい。
痛みから感覚が引きはがされると、右手には、幽かなやわらかさを覚えている。
上半身をがばっと起こして見てみると、そいつの胸をわしづかみにしていた。
そこから、こいつがすくなくとも女、あるいは乳房を有した男であると推論できる。
思わず、男子高校生パワーが働いて、ひと揉みしてしまった。……揉めたというほどはなかったが。
「あんっ。真っ昼間からダメですよぅ」
「……Aカップ?」
「失礼な! Eはありますよぅ!!」
まじりっけなしの純粋な見栄を張りながら〔なにか〕は、俺を振り払って立ち上がった。
俺はまたも、そのままごろごろと草原に転がされる。
いいかげん草にまみれるのも飽きたので、学ランについた土と草を払って立ち上がった。
まだ、ずきずきと腹が痛む。痛むが、男性高校生的には、おっぱいで帳消しである。むしろプラスと言っていい。
よく見れば〔なにか〕はきちんとスカートを短くもせず、セーラー服を着たピンク色の髪をした女だった。
肩胛骨あたりまで伸びたストレートで、キューティクルが光り輝くような、つやっつやの髪をしていた。
すこし鼻が低いものの、それはむしろ愛くるしさに繋がっている。いわゆる、小動物系だ。
ピンク色の髪とセーラー服という組み合わせはよくわからないが、ちょっと安めのお店という雰囲気がした。
いや、逆に考えればそっちの方がいいのかもしれない。大人になれば、ピュアな方がいいと思うのだろうけど。
相反するモノ同士の化学反応によって、いろいろなことがスパークするということは、ままあるものだ。
にこにことピンク髪は笑う。顔のつくりだけ見れば好み的には満点に近い。貧乳ではあるが。
「ええと、ごちそうさまでした。いや、わるかった」
「正直でよろしい。水に流してあげましょう」
「ええと、それで君は?」
「ふむん。たしかに、名乗りもせずに失礼しましたぁ。では、名乗らせていただきましょう」
ぐっと胸を張って、ないものを強調する。
どうしてそこまで自分が信じられるのだろう。
「わたしの名前はアナスタシア・サーキス。友人からはアニィと呼ばれます。好きなモノは勝利。嫌いなモノは敗北。得意技はあたまからの全力ダイヴィングです!」
「……はぁ。ええと、なんていうんだろうな、オーケイ。ありがとう」
どうにも掴みづらい。しかし、これがこの国――この世界流なのかもしれない。
テンション高めに行っておいた方がいいんだろうか。
「わたしが名乗ったんですから、あなたも名乗ってくださいよぅ!」
「そうだな。俺は千糸快三。好物はカレー、嫌いなモノはセロリ。得意技は暗殺術だ」
「うそっ、マジですかぁ!?」
「うん。マジでうそ」
現代の高校生がそんなものをほいほいと習得しているわけがない。一部の特殊民族は除いて。
できるような環境だったら、現代はとっくにヒャッハーと叫ぶモヒカンが校舎を壊してまわるような終末に近づいている。
「ぬぅ、がぁ……!」
ぶるぶると震えて、すこしでも信じたことを悔しがっているようだった。
俺からすれば、わずかでも信じる要素があるとは思えないような、わかりやすい嘘だったんだけど。
もしかしたら、こっちの人間はそういうタイプがノーマルなのかもしれない。野犬やハイエナの襲われるより危険だ。
ピンク色の髪の毛からは想像できないほどに人を信じやすい純粋な人か、あたまがハッピーなタイプの人なのかもしれない。
「ところで、ニュー・ヒーローとかいってぶっとばされたけど、アレってどういう意味?」
「へぇ? ……ああ、そうでした。あの銀色の環は、わたしが用意したものなんですよぅ」
「すると、あなたが俺を誘拐――もしくはこっちに引っ張りこんだ、と」
「平たく言うとそうなりますねぇ。でも、仕方がない理由があったんですよぅ……」
すねたような、困ったような笑顔を浮かべる。不覚にもかわいい。見た目だけはほんとうに。
これで巨乳だったらなあ。とは口が裂けても言えない。本人が一番気にしているはずなのだ。
しかし、実にオカシイ。これがほんとうにヒーロー――勇者を召喚するためのモノだとしたら、それは然るべき人間に然るべき措置を執って、然るべき方法で召喚するべきだ。
学校の適当なポイントに設置しておいて、来るもの拒まずみたいな方法で、いいはずがない。
「なんでそんなものを?」
「はい。実験体の確保ですぅ」
「なるほど。……百パーセントの悪意じゃねェか!」
くるりと反転して逃げ出そうとしたところを、がっちりと掴まれた。
その細身の躰からは想像もできないようなパワーをしていた。
あの突撃の時に並のパワーじゃないとは思っていたけれど、男が振り切れないほどのものとは思わなかった。
すくなくとも、俺ではどうあがいても振り切れないほどのものだ。そのパワーは、男というより格闘家のそれに近い。
「ダイジョーブ。可能性ありますから!」
「知らねえよっ。手を離せ、このっ、俺を殺す気か!」
「ノー・プロブレム。いのちの危険はありませんよぅ」
「脳だけは生かしておくって言うんだろう。それは生きてねぇー!」
「あら、飲み込みの早い。にゅふふ、いい素材です」
「ヘールプ! ヘルプ・ミー!」
「ええい、だまらっしゃい!」
「うぐっ!?」
鋭すぎる衝撃が、腹部を突き抜ける。
完璧な角度で入ったボディ・ブロゥが、俺の意識を残らず狩りとっていった。