愛なき街
「死にたいって、考えたことはあるか?」
突然のシュガーの問いに、仲間の少年は目を丸くして耳を疑った。
鉄の錆びた臭気が漂う、廃棄場の一角に構えた彼らのアジト。そこらに転がる塵芥を寄せ集めて築かれた粗末な城だ。一見しただけでは、周囲に積み上げられた鉄屑などの塵と区別のつけようがない。
そのアジトの前、小さな広場に彼らは集っていた。彼らは各々、銃や鉄パイプ、刀剣類で武装している。
彼らは"街に反抗する者"たち。そうすることに、特別な意味はない。
なんとなく、壊す。
「何言ってんスか、シュガーサン。そんな事思ったこともないッスよ」
「そーそー。俺たちが死ぬことはありえないんだしさ。そういうオマエはどうなワケ?」
明らかに、呆れたような仲間達の反応。シュガーは軽く歎息した。
「いや、ない。なんとなく言ってみただけだ」
そう言って話しを打ち切ると、シュガーは刀を拾い、立ち上がった。
「行くぞ」
それまで静かだった街に、銃声やガラスの割れる音が響き渡る。
シュガーは刀を両手に持ち、なんの関係もない通行人をバラバラにした。
仲間が機関銃で鉛弾をぶち撒き、人やら建物やらを穿っていった。
誰かが火炎瓶を放り投げ、それが商店を焼き尽くす。店内にいた人は火だるまになった。
これだけの殺戮が行われながら、悲鳴を上げる者は誰もいない。止めようとする者も、いなかった。
誰もが無気力に、壊れていく。
「ん・・・?」
大人を同時に二人両断したシュガーは、通りの向こうに佇む少女に気を取られた。他の人間とは違って、"悲しそう"な表情を浮かべ、その参事を眺めている。
シュガーは地を蹴って跳躍し、滑らかな弧を描いて少女の眼前にすとんと舞い降りた。
瞬時、刀を振るう。少女の前髪が、ぱらぱらと数本だけ切れて落ちた。
「おまえ・・・なんだ?」
その問いに、少女は歯を食いしばり、目を見開き、必死に"恐怖"と闘っていた。シュガーは今の今まで、恐怖した人間を知らない。
――震えている。
「おまえ・・・なんだ?」
さらに問いかける。少女は、ゆっくりと口を開いた。
「人間」
突如、シュガーは背中に数発の銃撃を浴びた。黒い血が噴出す。その隙を突いて少女は駆け出した。刀で切ろうとしたが、一歩届かなかった。
――逃げた。
少女は走り去り、シュガーは苛々と振り返った。
「やっぱりオマエか・・・ビター」
シュガーの視線の先に、口から硝煙が昇る黒い銃を手にした少年が立っていた。歳は少し上で、大人びている。彼はシュガーと違うグループのリーダーで、時折こうやって無意味に争っていた。
「おや、邪魔した?」
すっとぼけたビターの言葉を合図に、シュガーは刀を投げつけた。ビターは眼前に迫るそれを首を横に動かして躱すと、即座に銃を構えた。
しかし、シュガーはそこにいなかった。
「のろま」
シュガーは頭上から刀を振り下ろした。ビターは咄嗟に避けようとするが、僅かに間に合わなかった。銃を手にしたままの右腕が、ぼとりと地に落ちる。
「・・・・・・やるじゃん」
肩から黒い血が大量に流れて出ているが、ビターは全く意に介さず、笑った。
「さあやれよ」
言われるがまま、躊躇なくビターの首を跳ね飛ばす。血飛沫が、シュガーの顔を真っ黒に染め上げた。
「そろそろ引き上げるぞ!」
仲間達がビターのグループと壊しあっていたが、シュガーは怒号一発でそれを止めた。
「・・・・・・」
一瞬にして静かになった街並みを振り返る。しかし少女はもういない。
皆、何事もなかったかのようにぞろぞろと帰って行く。
背中に受けた傷は、すでに修復されていた。
ビターのグループに壊されたはずの仲間も、そこらで談笑している。
「ちぇっ、やられちまったよ。腹に大きな穴が空いたんだぜ」
仲間の少年が腹を擦った。ちなみに、彼らが痛みを感じることはない。
シュガーは煙草の火を点けた。
「オレはビターをやった」
おお、と仲間たちが色めき立った。
「さすがシュガーサン! あのビターをやるなんて」
「まったくだ。アイツをやれるのはオマエくらいだぜ」
シュガーは興味なさそうに煙草をすり潰し、立ち上がった。
「タバコ、買ってくる」
そう言って、アジトを去った。
あの少女のことしか、今は頭になかった。
街の一角、廃棄されたビルの屋上。街並が見渡せるこの街で一番高い場所だ。何の音も聴こえないそこはシュガーのお気に入りの場所で、いつもそこで寝転がる。
流れる雲を目で追いながら、少女の悲しそうな表情が浮かぶ。
「いったい、なんなんだ・・・・・・」
人が死ななくなって、どれくらいの歳月が過ぎたのだろう。
シュガーはまともに勉強などしたことなどなく、歴史の詳しいことは知らない。だが、かつては人が死に、"悲しむ"時代があったという。
戦争があって人が死ぬと、"怒った"り、復讐したらしい。
人が死ななくなって当たり前のこの時代に生まれたシュガーは、そんな感情など知らない。彼だけではない。仲間も、親も、誰もがきっとそうなのだ。
その昔は誰もが不死を願ったそうだが、それが叶った今、幸せだと言う人はいない。
そもそも、"幸せ"とはなんだ? シュガーはわからない。
「――――」
不意に、"声"がした。だが、その声はシュガーが今まで聞いたことのない、美しい調律を持った声だった。聞いてるだけで、心が安らぐのは何故か。
我に返って声のする方に向き直る。そこに、少女はいた。
「――――」
涙がどうとか、光がどうとか言っているが、よく聞き取れない。不思議な旋律が言葉を飾っているせいだ。
「・・・おい!」
シュガーはたまらず、怒鳴った。少女はそれで言葉を止めた。
「なに?」
少女は毅然とした態度で、シュガーを見返した。その瞳には"恐れ"ではなく"強さ"が込められていた。
「・・・なんて言ってた、今」
「――歌」
「うた?」
少女の言葉に、シュガーは聞き覚えがなかった。
「"うた"って、なんだ?」
「キミは質問ばかり。今度は私が訊いてもいい?」
シュガーは黙って頷いた。
「なんで人を殺すの?」
思いも寄らない質問だった。死にたいと思ったことはあるかと、シュガーが仲間に問うたときも、こんな気持ちだったのだろう。
「なんでって・・・意味はない」
「意味もないのに殺すの?」
少女はさらに言葉に力を込め、問う。
「殺すたって、死ぬことはないだろう」
「死なないなら殺してもいいって思ってるの?」
軽蔑するような眼差し。何故こんなにもそのことにこだわるのか、シュガーには理解できなかった。
「うるさいな、もういい」
シュガーは苛立ち、刀を手にして立ち上がる。
「もういいって、なにが」
それには応えず、少女に詰め寄る。刀を突きつけた。少女は一見動じていない素振りだが、拳をぎゅっと握り締め、額には汗が流れている。
「・・・おまえはなんだ? 他の奴らと違う」
「"怖い"・・・・・・死ぬのが怖いんだ」
驚くことに、少女は唯一『生身の身体』を持つ者だった。傷ついて血が流れると死ぬし、そうでなくても、いずれは年老いて死んでしまうのだ。
そんな境遇でも、彼女は"幸せ"だという。それがシュガーには理解できない。
「歌っていうのは、その昔、人々が夢や希望、愛を詰め込んだ魔法だったんだ。いつかは死んでしまう・・・だから、生きているうちに精一杯幸せになろうっていう夢と希望。そして、生きているうちに誰かを好きになって、好きでいてもらいたいって愛」
「なんだそれ。わけわからん」
シュガーがそっぽを向くと、少女は悲しそうに俯いた。
「・・・・・・じゃあ、歌を聴いて。ちょっとでも、わかってほしいから」
そう言って、少女は再び"歌"った。その内容については、いまいち理解できないシュガーだったが、その優しく綺麗な"メロディ"は、彼が生まれて初めて感じる"幸せ"のような気がしていた。
「――そろそろ行かなきゃ」
「えっ」
唐突に、少女は歌うのを止めた。静かに聴き入っていたシュガーは面食らってしまう。
「明日また来るから・・・そうだ、これあげるよ」
少女が取り出したのは、一輪の花。淡いピンクの花弁が美しい。
「花がどうかしたのか?」
「今はわからなくてもいいから、とりあえず持ってなよ!」
半ば強引に花を渡されると、少女は身を翻した。そして、思い出したように振り返る。
「私の名前、モカだから! じゃあ、明日ね」
モカは階段を駆け降りて去っていった。残されたシュガーは、困ったように花を見つめるしかなかった。
その翌日から、シュガーはビルの屋上でモカの歌を、毎日聴き続けた。
言葉を交わさず、約束をしたわけでもなく、同じ時間に、同じ場所で。
壊すことだけを繰り返してきたシュガーだったが、壊すのも止め、ただ歌を聴き、満たされていた。
或る日の事だった。いつもの時間に、モカは来なかった。
次の日も、またその次の日も、来なかった。
「ちくしょう・・・気分が悪いな・・・」
シュガーは一人、街をさまよう。知らず知らずのうちにモカの姿を探している自分に気付く。
「オレは何をやっているんだ、歌なんて、モカなんて・・・どうでもいいんだ」
乾いた銃声がシュガーの耳を打った。
めんどくさそうに顔を上げると、ビターと、かつての仲間たちがいた。
「よう、しばらくぶりじゃん・・・シュガー」
「お久し振りっす、シュガーサン」
ビターはにやけた表情で、かつての友たちは、無表情に会釈をする。
「お前の相手をしてるほど暇じゃないんだよ。・・・失せろ」
「あらまー、つれないねぇ。そんなんだから、仲間を失うんだぜ」
「・・・・・・」
シュガーは無言のまま、刀の柄に手を当てた。
「やる気か? いいぜ、壊してやるよ!」
ビターが合図をすると、少年達がシュガーを一斉に取り囲んだ。その中にはかつての仲間たちもいた。
「シュガーサン・・・・・・行きます」
銃が撃ち放たれ、槍が突き出され、ナイフが迫り、堰を切ったように少年達の凶器がシュガーを襲った。
「邪魔だ」
旋風が巻き起こった。少年達の胴が両断され、全員が壊れた。
シュガーは傷一つなく、刀を鞘に戻す。
「・・・・・・どうしてお前は強い?」
「俺は強くなんかない。お前等が弱いんだ」
ビターはホルスターから銃を抜き、瞬間撃ち放つ。
だが、弾丸はあさってのほうに飛んでいった。シュガーは微動だにしていない。
「らしいな」
身体が重い。
まるで夢の中でもがいているようだ。
今にも落ちてきそうな曇り空の下、シュガーは走り続けた。
「――ここかっ」
街の隅には、誰も近付かない場所があった――というより、その必要がない場所だ。
人気は当然なく、シュガーは土を踏みしめて目的の物を探した。
モカ=ブラウン。その墓石には、その名が刻まれていた。
「どうして・・・」
そこは、墓地。人が死ななくなってから、使われることはなくなった場所。
雨が、降り始めた。
「女を壊した。そいつは――死んだ」
ビターの独白。表情は虚ろで、力なく笑っている。
「なに・・・?」
「お前のお気に入りの女だよ。俺たちと違う、『死ぬ』ことができる女さ。俺は知らなかったんだ・・・まさか、『死ぬ』なんて」
その後のことはよく覚えていない。ビターを壊し、モカを探して、ここに辿り着いた。
この土の下に彼女が眠っているなど、シュガーには想像できない。
ふいに"花"のことを思い出し、取り出す。だが、花は萎れてしまっていた。
どこにでもいる少女。どこにでもある花。
いや――それらは、シュガーにとって世界で一つの存在。
失ってしまえば二度と手にすることはできない。
「モカ・・・・・・歌が・・・聴きたいんだ・・・」
膝から崩れ落ち、シュガーは、泣いた。
そして、あの歌を口ずさむ。
「――――――」
その歌は、ひどく音程がずれ、聴けたものではない。しかし、シュガーは歌った。
彼女が残してくれた、愛の歌を。
晴れた空に虹が昇り、景色を彩る。
街は相変わらず静かで、誰もが無気力に、誰もが死んでいるように生きている。
だが、何かが違った。
街並みを見下ろす高いビルの上――モカと過ごしたその場所。シュガーはそこで、歌を歌っている。
街中に響き渡るその歌声は、いつか誰かの耳に届き、この街を変えることができるかもしれない。
少年が少女の歌声で変わったように。
その日まで、シュガーは歌う。
愛のない街で。