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『老いの入口』  作者: 髙山志行
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第二章「療養」 ー晩夏ー

『いい感じで(さび)れてる』

 野暮(ヤボ)用を済ませ、郵便局を出る。今ではスーパーもなくなり、小売店もシャッターが下りている所が目立つ。まあ、平日の昼下がりではあるが…以前、30年も前のこの界隈(かいわい)は、どこもかしこも活気であふれていたものだ。

 昭和の50年代初頭…西暦に換算すれば70年代半ばに(ひら)かれた、郊外の住宅地。そのメイン・ストリートなのだが…しかし、やがて子供も大きくなり、いつしか、かつての若夫婦も、もう老境。当時は、この街の辺縁の地に建つ団地だったが、その子供たちのためには、今では、さらに外側の土地が切り開かれ、用意されている。

『さて、今日は…』

 残暑の陽射しも、ずいぶんと(やわ)らいできた、九月も下旬の今日この頃。午後の太陽を背に、テクテクと歩き、住宅地の北端で、川べりの遊歩道の起点に(いた)る。それほど大きな川ではない。()けられた橋を、西側から対岸に渡って右方向。本日は、水の流れとともに、東岸を南に下る。そこから時間にして10分弱。橋のたもとを二つ過ぎ、距離にして1キロほども歩けば、西側に続いていた五階建ての公営団地が切れ、左右に走る道路に突き当たる。この道が境界となり、向こう側は小さな工業団地。

「ふう~!」

 ここで右折し、数百メートル。南北に伸びる、片側二車線のひと(けた)国道との交差点。流れの激しい本線はこの辺り、高架の上を通っている。前方の信号は赤。それで、ここも右折し北上。少し先にある歩道橋を使い、眼下を走り去る車の流れを見ながら、道路の反対側へ。西方にも、宅地が広がる。こちら側は、一戸建てばかりの団地。国道の側道の切れ目から、その中へと入って行く。

 ここは、高校の三年間を過ごした場所。ここから自転車で、片道2~30分ほどの所にある学校に通ったのだが…。

『?』

 35年ほど前。「住宅供給公社」によって造られた時には、規格品のような、おせじにも立派とは言えない平屋の家々が並ぶ団地だった。今でも、あの頃のままに残っている数軒のうちの一つに、二年ほど前に亡くなった某有名作家さんが、当時住んでいた家が、本名の表札もそのままに空き屋になっている。今日は珍しく、その家の前に、都内ナンバーのワンボックスが停まり、人の気配がしている。

「この団地に、小説を書いている人がいる」

 母からそんな話を聞かされた数年後。学業のために都会で暮らしていた頃、その人物が賞を獲った作品が掲載された文芸誌を、たまたま通りかかった書店で買った記憶がある。

 後にその小説は映画化もされ、さきほど通り過ぎてきた国道の交差点付近など、市内の各所でロケが行われた。当時、市役所職員だった氏は、ここからの通勤の途中で見かけた光景を題材に、その受賞作を書き上げたそうだが…大きな平野の北方。数キロ北に見える市街地は、夏場などには、東から西に点々と続く雷電(らいでん)神社に沿って雷雲(かみなりぐも)が移動するのだが、このあたりは、ほとんど降らなかったりする。きっと、その作者さんも、“遠くに雷”を見ていたのだろう。

 その後、テレビ・ドラマ化された別作品も、近くで撮影が行われたが…生前(せいぜん)は、地方(なま)りで頻繁に画面に登場した、四角い顔のちょっとした有名人。

『文化人に限らず、著名人の少ない土地なので…記念館にでもしたら、どうだろう?』

 そんな事を考えながら、通り過ぎる。

「さて!」

 体調が良い時は、気分は「定年退職」なのだが…「万が一」という事もある。あまり遠出はせずに、あたりをグルッとひと回り。30分ほどで、居候(いそうろう)先の父宅へ。二度の建て替えを()て、今では太陽光発電のパネルの載った、角ばった白壁の家になっている。

 ロックのかかっていないドアを開け、薄暗い玄関の中でジョギング・シューズを脱ぐ。上がった右側の居間をのぞけば、(とお)の昔に二度目の定年を終えた、(よわい)80の父が、『時代劇専門チャンネル』をかけっぱなしのまま、ソファで舟を漕いで、居眠りに興じている。

(すっかり白髪だが、もともと歳のわりには若く見えるタイプ。色が黒いのは、元スポーツ・マンだからではなく地黒のせいだが、昨年「前立腺ガン」の治療を受けるなど、それなりに年齢を刻んできた)。

 普段から、ニュースもロクに見ず、新聞もチラッと流し見する程度だったが…午前中は「暴れん坊将軍」、午後は「必殺シリーズ」と続き、夕食の時間は「子連れ狼」、その後、「鬼平犯科帳」が始まる…と、『今がいつの時代なのか?』忘れてしまいそうだ。

 そのまま、左奥の風呂場へ向かい、素肌になって昨晩の残り湯につかる。多少ひんやりするが、少しは涼しくなったとはいえ、まだまだ夏の名残りの暑さが残っている季節。かえって気持ち良いくらいだ。その後、栓を抜いて、浴槽を洗う。後は適当な時間にスイッチを入れれば、自動で湯が張れる。簡単な仕事ではあるが、風呂の用意くらいはしないと気がひけるし…だいたい、「一番風呂」なんて、もってのほかだ。

 なにしろ、もう仕事を休んで、ひと月以上が過ぎた。「転地療養」というほどではないが、一人ではつらい状態だったので、父宅に身を寄せたのだが…こんな毎日を送っていると、何やら何だか文学的な気分になってくる。そこで、ついぞ筆など手にした事などなかったのに…テーマもポリシーも無いが…何か書いてみようという気になったわけだ。


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