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またあなたに恋をするなんて、聞いてない  作者: 黒羽


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2/2

ベルリンドとジーク

ベルリンドは、ごくごく普通の家庭に生まれた。

女性の社会進出が声高に囃されるようになって、もう一世紀近く。

昔は「女は家のことをしていればいい」とうるさく言われたものだが、ベルリンドの世代では、手に職を持つ女性も珍しくなくなっていた。田舎から都会に出稼ぎで来る人々も増え、国の往来も珍しいない。


かく言うベルリンドもそのひとりである。

地元では「家の仕事を手伝え」と何度も言われたが、どうしてもそれが嫌で――

自分の力で食べていけるようになりたくて、この王都の学院へと出てきたのだ。


王都は日々進化を続けている。

魔道列車が開発されてからというもの、長距離移動が一気に楽になり、

最近では馬車に代わる“魔道機車”が公道を走るようになった。


貴族と平民の関係も、昔のような厳格さは失われつつある。

むしろ税金ばかりかかる爵位を手放し、一般市民として暮らす元貴族も増えているという。

そんな時代の流れの中で、ベルリンドもまた、自分の居場所を探していた。


ベルリンドが不思議な夢を見始めたのは、奇しくも隣人が越してきてからだ。


引っ越しから半年、部屋の前の廊下に置かれた段ボールの山。

そこに立っていたのが、彼だった。


背の高い男。黒いシャツの袖を捲り上げ、無表情で箱を持ち上げる腕は妙に静かだった。

挨拶をしようと声をかけたとき、彼がこちらを見た――、

その金色の瞳を見た瞬間、胸の奥がざわりとした。

痛いような、懐かしいような感覚。まるで心臓が“思い出した”みたいに。

「……あー、隣に越してきたジーク・ヴァルトだ。よろしく」

低く静かな声が、耳の奥で反響する。

ベルリンドは何とか笑顔を作って答えた。

「ベルリンド・ハーレンです。あの……よろしくお願いします」


――それが、悪夢の始まりだったのか、あるいは運命の再会だったのか。


ある時から、彼女はあの夢を見始めた。

血と炎、そして、あの男の腕の中で泣く自分の夢を。





数百年前まで、この世界は――国と国が争うよりも先に、獣人と人とが血を流し合っていた。

同族でさえ争うこの世界では、異なる種族が争い合うのは、むしろ当然のことだった。


血が怨嗟を呼び、互いを「毛無し」「獣頭」と罵った。

だが、世界大戦を経て、世界の三分の一が失われた。

その代償の上でようやく、争いは終わりを告げた。


もっとも、長らく続いた差別と偏見は根深く残ったまま。

そして大戦がもたらした産業革命は、古い身分の在り方さえも揺るがした。


互いの種族が流れ込むようになり、種族の垣根を越える一助になった。

それは、失われた世界がもたらした、皮肉な融和の形だった。


とはいえ、多くの国々では偏見と差別がいまだ根強く残り、辺境では互いを人食いの怪物と見なすところもある。

未だに、寝物語として「子供を攫い食べてしまう」と聞かされるのだ。


誰もがそんな話を聞かされ、御伽噺だと笑いながらも、どこかで恐れていた。

けれどベルリンドだけは、そうした話を聞いても、なぜだか恐怖を覚えなかった。

王都に出てきたベルリンドは、それまで一度も獣人を見たことがなかった。


難民として流れ込んではいても、一般市民として暮らす獣人はごくわずかだ。

ジークと出会ったときも、彼は特徴的な耳も尾も見せていなかったため、彼が獣人だとは気づかなかった。


ベルリンドが暮らすアパートは少々くたびれていたが、家賃が安く、立地も悪くなかった。

駅や学院にもほど近い。もっとも、界隈は少し荒っぽく、金のある学生ならまず選ばないだろう。

それでもベルリンドは選び、そこで暮らし始めた。




隣の部屋にジークという男が越してきても、ベルリンドの日常に変化はなかった。

……あの日までは。

ある夜、帰りが遅くなったベルリンドは、アパートを目指して小走りに通りを駆けていた。

もうすぐ角を曲がれば自分の通り――というところで、足を滑らせて転んだ。

「痛っ……」

膝を見ると、擦りむいた皮膚から赤い血がにじんでいる。

踏み出そうとして、ぐらりと身体が傾ぐ。

慌てて電柱に手をついて、ベルリンドは深く息を吐いた。


「……最悪」


小さく呟いた声は、夜の闇にすぐ掻き消された。

滲む街灯の下、砕けたヒールが頼りなくぶら下がっている。

立てないほどではないが、歩くたびに軋んで、惨めさが一層身に沁みた。


無性に泣きたくなって、顔を顰めれば、男の声がした。


「……大丈夫か、あんた」


その声は、夜の帳の向こうから落ちてきた。

低く、少し掠れていて、どこか優しさを含んでいる。


ベルリンドは顔を上げた。

薄暗い街灯の下、立っている大柄な男がいた。

先ほどまで雨が降っていたからか、肩まで濡れた外套が貼りつき、髪からは降っていた雫が滴っている。

けれど、その金色の瞳だけが、夜の中ではっきりと光っていた。


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