第二章 ep1:風の届く場所
第二章「潮の彼方の声」へようこそ。
潮見の館を出たシロが、初めて“外の風”に触れる章になります。
第一章の静寂から、少しずつ世界が動き始める――
そんな変化を感じてもらえたら嬉しいです。
風の音、潮の匂い、そして聞こえてくる“誰かの声”。
ここから、物語は新しい段階へ。
潮見の館を出て、初めて風を感じた。
頬を撫でた空気は冷たく、けれどどこか懐かしい匂いがした。
海の匂い。木々の息。
止まっていた世界に、音が戻ってくる。
足元の砂は湿っていて、歩くたびに小さな跡が残る。
潮騒が遠くで途切れ、白い霧がゆっくりと晴れていく。
その向こうに、町が見えた。
古びた灯台と、錆びたフェンス。
波打ち際に横たわる小舟。
どれも長い間、誰の手も触れていないようだった。
私は立ち止まり、潮見の館を振り返る。
あの静かな建物は、朝の光の中に溶けていく。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
けれど、胸の奥では確かにその場所が“呼吸”しているのを感じた。
クロの声が残した、かすかな温もりのように。
――それでも、風が吹いている。
私は歩き出す。
風がスカートの裾を揺らし、髪を舞わせた。
潮の粒が光を反射して、目の前に淡い虹を描く。
世界はまだ静かだけど、確かに生きている。
「……ここが、外の世界。」
声に出した瞬間、風が返事をした。
潮風に混じって、どこかで誰かの声がする。
それは風の流れに乗って、耳の奥を震わせた。
「やっと、聞こえたね。」
思わず辺りを見回す。
浜辺には誰もいない。
ただ、波と風の音が交互に響いているだけ。
「誰……?」
「風の向こうに、君がいると思ってた。」
胸の奥が熱くなる。
それは夢の中で何度も聞いた声。
クロでもなく、私でもない。
第三の――“外からの声”。
風が一瞬止み、静寂が戻った。
代わりに聞こえてきたのは、遠くで軋む金属音。
灯台の古びた扉が、風に押されてゆっくり開いたのだ。
私は砂の上に足跡を刻みながら、灯台へ向かう。
道の途中には、錆びた標識と崩れかけた電柱。
鳥の鳴き声が響き、電線が微かに揺れている。
世界が“動いている”ことを、五感が教えてくる。
灯台の入口には、古い銘板が貼られていた。
「観測記録所」。
その言葉に、私は息をのんだ。
「ずっと、君を見てた。」
再び、あの声。
先ほどよりはっきりと、すぐ耳元で聞こえた。
けれど、誰の姿もない。
「見てた……?」
「潮の流れも、風の止まった時間も。全部、記録してたんだ。」
声は穏やかで、どこか懐かしい。
その響きに、心の奥の何かが反応する。
まるで、ずっと前から知っていた人のようだった。
私は灯台の扉に手をかけた。
冷たい鉄の感触。
その先には、薄暗い螺旋階段が伸びている。
「……入ってもいいの?」
「もちろん。君は“観測者の記録”に触れる資格がある。」
私は静かに頷いた。
足を一歩踏み出すと、古びた木の階段が軋んだ。
潮の匂いと鉄の香りが混ざり合い、頭の奥が少し痛む。
でも、それ以上に胸が高鳴っていた。
螺旋を登るたび、風の音が変わっていく。
外では鳥が鳴き、波が岩に砕けている。
そして、最上階に辿り着いたとき――
窓の向こうに、果てのない海が広がっていた。
空と海の境目は、淡い白で溶け合っている。
遠くの水平線で、光がひときわ強く瞬いた。
「これが、君の見ていた世界。」
声が、背後から優しく響く。
振り向いても誰もいない。
けれど、その声は確かに笑っていた。
私はその景色を見つめたまま、そっと目を閉じる。
潮の音。風の匂い。
それらがすべて、懐かしい夢の欠片のように胸に染みていく。
――風が吹いた。
頬を撫でた瞬間、涙がこぼれた。
理由なんて分からない。
けれど、それが“生きている”という証のように思えた。
私は小さく息を吐き、灯台の外を見た。
風が、今度は東の方へと流れていく。
その先には、まだ見ぬ誰かがいる気がした。
「また、会えるよ。」
ヒカリの声が、最後にそう囁いた。
光が差し込み、世界が柔らかく輝いた。
私はその光の中で目を細め、微笑んだ。
潮見の館から続く、見えない風の道――
その先に、きっと答えがある。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第二章の最初の話ということで、少し長めになりました。
館を離れたシロが“風”と“声”に出会うことで、
物語がようやく外の世界へ動き出しました。
……そして、やらかしました。
投稿日を間違えてep4と5を同時投稿していたポンコツ作者です。
もう少し冷静に風を感じながら投稿できるよう精進します……!
次回、**ep2「光の残響」**では、
ヒカリとの“最初の対話”が描かれます。
よければ引き続き見届けてください。
――凪雨カイ




