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風のない回廊――あなたの声がまだ、ここにある気がした。  作者: 凪雨カイ
第3章

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第三章 Episode3「最初の記録」

塔の奥へ進むと、空気がゆっくりと変わった。

冷たさではない。

むしろ温度の記憶が幾重にも重なったような、

人の気配だけを残した静けさだった。


壁には無数の扉が並んでいる。

どれも同じ形だが、

近づくと微かに違う震えを感じた。

声の周波、祈りの残滓、誰かの呼吸の残像――

扉そのものが心臓のように脈打っている。


シロは一歩進んだ。

掌の中で小さな羽根が脈動している。

その光がふるえるたびに、

扉のひとつが静かに呼吸を返した。


「……呼んでいる?」


囁いた声に応えるように、

塔の奥の奥、最も古い石の向こうから

ひとつの扉が淡く光った。

他のどれよりも低い音を響かせている。

長い眠りの中で、

存在を思い出したかのような、柔らかい衝動。


シロはそこへ向かった。

近づくにつれ、胸の奥の痛みが強くなる。

潮見の館を離れた日の夜明けの気温、

あの部屋にただ一人でいた時の静けさ、

置き去りにした声の残響。

それらが胸の奥からゆっくり浮かび上がる。


扉に触れた瞬間、

指先に温度が走った。

冷たさでも熱さでもない、

“生きていた証”の温度。


扉が、静かに開いた。


中は広い場所ではなかった。

むしろ、小さな灯りだけが漂う狭い部屋。

だが、その中央に浮かんでいるものを見て

シロは息を止めた。


――光の球。

ひとつだけ、宙に浮いていた。

他の記録より重く、古く、深い。

触れれば割れてしまうほど繊細なのに、

世界の底を支えるような重みがあった。


「これが……最初の記録?」


声は震えていた。

光の球の中には、

誰かの影がゆっくりと揺れている。

形を成す前の記憶。

言葉になる前の祈り。

世界がまだ名前を持たなかった頃の息遣い。


ふいに光が脈打った。

それは呼吸に似ていた。

“だれか”がそこにいる。

そう確信できるほど明瞭な鼓動だった。


シロはそっと手を伸ばした。

羽根が微かに光る。

その光が球に触れた瞬間――

声が生まれた。


「……記すために、あなたは来たのですね。」


管理者の声ではない。

もっと古い。

誰かが生まれる前からそこにあった声。

柔らかく、あまりにも静かで、

涙のように落ち着いている。


「あなたは誰?」


問いは霧に溶けた。

だが、答えは届く。


「わたしは“最初に消えた者”。

 名を残すことなく、

 記録も持たず、

 ただ祈りだけを残した者。」


胸が締めつけられた。

誰にも覚えられなかった記憶。

誰にも残されなかった存在。

それが今もここで息をしている。


「あなたが来たのは、偶然ではありません。

 記す者よ。

 消えた者の声を拾い、

 まだ形にならない祈りを結ぶために。」


シロは言葉を失ったまま、

光の球に両手を添えた。

その温度は、どこか懐かしかった。

潮見の館の青い灯り、

あの部屋の静けさ、

夜明けの光の柔らかさ――

すべてがこの中で一度に揺れている気がした。


「……僕で、いいの?」


問いは震えていた。

だが答えは迷いなく届いた。


「あなたにしか、できません。」


光がふっと揺れる。

次の瞬間、球が静かにひらき、

ひとつの短い記録が姿を現した。


――「どうか、誰かの記憶になりたかった。」


その言葉は短いけれど、

世界をひとつ震わせるほどの重みがあった。


シロは息を吸い込んだ。

そして、羽根を強く握りしめた。


「……記すよ。必ず。」


塔の奥で、光がひとつ消えた。

それは終わりではなく、

“次の頁へ渡った”という合図だった。


記録の庭が、またひとつ呼吸する。


しばらく更新が空いてしまいました。

メンタルが少し落ちていたのと、

いまはカクヨムで書いている『だから僕は歌を歌う』に

気持ちが向いてしまっていたことが理由です。


それでも、確実に読んでくれている方がいて、

その存在に背中をそっと押されて、

「もう少しだけ頑張ろう」と思えました。

ありがとうございます。


――凪雨カイ

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