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風のない回廊――あなたの声がまだ、ここにある気がした。  作者: 凪雨カイ
風のない回廊

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第1章ep1:潮の底で目を覚ます

風が吹かない岬に建つ、ひとつの館。

そこには、過去をなくした管理人の少女と、

彼女の声で語りかける“もう一人の彼女”が住んでいる。


これは、静寂と記憶の中で揺れる、二つの心の物語。


第一章では、

主人公・シロが潮見の館で目を覚ますところから始まります。

ゆっくりとした導入ですが、

静かな空気や不安な感情を感じ取ってもらえたら嬉しいです。

――この岬では、風が吹かない。


海は静かに眠っている。

波音は遠くで途切れ、

潮見の館の中では、時計の針の音さえ息をひそめていた。


私は、その沈黙の底で目を覚ました。


誰かに起こされたわけじゃない。

ただ、夢の中で呼ばれた気がしたのだ。

「シロ」と、そう囁く声に。


ベッドの上で上体を起こすと、窓の外には灰色の海。

空と海の境目が溶け合って、

世界はひとつの“色”だけでできているみたいだった。


この館に来て、もう何日目になるだろう。

廊下を歩くたび、潮の匂いが木材に染みついていて、

夜になると、床下から誰かの足音が響く。


それでも、私は慣れてしまった。

誰もいない館を歩く孤独にも。

“生きている音”がない世界に。


ただ、ひとつだけ、忘れられないことがある。

最初の夜。

この部屋で、私は確かに自分の声を聞いた。

「……また、泣いてるの?」


あの声は、私の声だった。

でも、私ではなかった。


――クロ。


いつからか、私はそう呼ぶようになった。

彼女は私の中で息をし、夜になると囁く。

まるで潮の満ち引きみたいに、

感情の隙間をすり抜けて、私を揺らす。

「泣いてるのは、あなたのほうでしょ」


その声に返事をすることはできない。

言葉にした瞬間、彼女がこの体を奪ってしまいそうで。


私は、彼女が現れる夜を恐れている。

けれど同時に、その声を待っている。


なぜなら、彼女が話すときだけ、

この世界に“風”が生まれる気がするからだ。


館の廊下に出る。

昼間は薄暗い青い光が、床の木目をなぞる。

静寂の中で自分の呼吸が重たく響き、

遠くでドアが軋む音がした。


私は思わず立ち止まる。

館には、私しかいないはずなのに。


――誰か、いる。


足音は、私と同じリズムだった。

まるで鏡の中の自分が、同じ廊下を歩いているみたいに。

「ねぇ、どうして怖がるの?」


耳の奥で声がした。


その瞬間、背後の鏡がゆっくり曇り、

そこに“私の顔”が浮かび上がった。

だけど、鏡の中の私は、笑っていた。

「やっと、また会えたね」


その言葉と同時に、窓の外で風が吹いた。

止まったはずの風が、館の中を通り抜ける。

埃が舞い、古いシャンデリアがかすかに鳴った。


――潮の底で、私は確かに息をした。

そして、

この館が「生きている」ことを知った。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


「潮の底で目を覚ます」は、

風の止まった世界に取り残された少女・シロと、

その中に眠る“クロ”の物語の始まりです。


この章ではまだ謎が多いですが、

次章「風の記憶を失くした日」で、

彼女が“風”という感情をどう取り戻していくのかを描きます。


感想・ブクマなどで応援してもらえると励みになります。

風のない回廊を、どうぞこれからも見守ってください。


――凪雨カイ


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― 新着の感想 ―
一文、一文が詩のようで美しいですね(>_<)
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