次回作の初稿 「ネーベル・ファウスト(仮) 第一話」
世の中の注目を掻っ攫うのはいつだってフィクション、虚像だ。虚像は楽しいし、力がある。
違うな、偽りの物には何にだって作り手の力が宿るのだ。現実の危険生物と言えば、クマとかだろうか。フィクションで言えばドラゴンだ。
クマは確かに危険だが、ドラゴンの様に飛んだり、火を吐いたりはしない。だから、虚像の方が作為的で、力強い。
何故か?簡単だ。その方が面白いからだ。非現実は面白い。凄い物は何だって。だが自分が“凄く”ある必要は無い。
だって、それでは虚像では無い事実となってしまうのだから。
160kmのストレートを投げられたとする。すると、自分より急速の遅いピッチャーのストレートなんて興味がなくなるだろう。
楽しめるのは自分より速い者が現れた時だけ。とても、退屈だ。(遅くても妙にストライクが取れる球なら、或いは)
虎と空手家が戦ったりして見ても面白いだろうな。だが、当事者には決してなりたく無い。
虎になって確実に勝てる相手である人間を襲いたくないし、人になって勝てる見込みの無い勝負をしたいとも思わない。
例え、自分に鮮やかな技で虎を倒す達成感が確立されていたとしても、だ。
──私は何があっても“虚像”を楽しむ立場である事を望む。いついかなる時も、自分は観客で、虚像を流し込まれる立場で居たい。
話は変わるが私は背が低く、力が無くて、無学でいつまでも凡庸な独り身老人であった。
恋をした事はあるが、所詮自分が持っている感情はショーケースに並ぶ物を吟味する程度の物だと気付いていたので、そのままにしておいた。
私が30に差し掛かった頃に憧れた彼女がとうの昔に幸せな結婚をしたという噂を耳にし、私はようやく後悔をした。
彼女をもっと近くで見ていれば、「私の理想の相手に相応しい男の顔が見れたのに」と。私は目に見えていた彼女よりも、空想の中の男に焦がれたのだ。私では触れる事すら出来なかった相手を射止めた、彼はどんな男なのだろう。結論から言うと、何処にでも居るサラリーマンだった。
──そう、虚像はいつもつまらぬ結果、現実を孕んでいる。だから、虚像の相手は嫌だという者が多いのだ。「騙されるのは嫌いだ。飽き飽きだ」と。
だが、私はそうは思わない。だってそうだろう。口先三寸で出た言葉に人は信じる、損得無しに動いてくれるのだ。どれだけ空想的でも、数パーセントの人は本気で。ネッシー、妖精の写真、スカイフィッシュ、小人、都市伝説……挙げればキリが無い。しかも、どれもデタラメなのは一目瞭然だ。だが、確かにそういう虚像は人を“熱く”してくれる。
私はがむしゃらに、こんな歳になっても金を稼ぐ事に尽力し続けた。何故か?簡単だ。もっと虚像が見たいのだ。格闘技で夢のマッチが見たい?異種格闘技戦が見たい?良いだろう、見せてやろう。私だって見たいのだ。面白い脚本はあるが、買い取ってくれる配給会社が無い?良いだろう、私が買ってやろう。そして、私を試写会の読んでくれ。金は私の様な凡人が非現実を見せて頂く為のチケットなのだ。そうやって、私の稼いだ金が消えたり戻ったりしている様を見て、他人は馬鹿馬鹿しいと言うのだろう。だが、私からすればそうやって言える者どもの方が馬鹿馬鹿しい。
──現実はつまらない。自分で想像出来てしまうからだ。だが、世の中には私よりも2倍は早く100mを走れる者が居るのだ。それを見ないでどうするのだ。
──その言葉が、私こと桐谷堂介の生き方であり、事実上の遺言である。
陸上100m男子の世界記録保持者フセイン・ジョルトを日本に呼ぼうと計画を立てていた矢先の突然死。“凡庸”を好んでいた私が、唯一取り立てていた使用人が聞き届けた最期の言葉である。
***
そして、深い闇が私を迎え入れた。闇は慣れない私の眼をゆっくり、労る様に包み込み、そして私はその闇に身を任せた。
やがて、闇は4つの蝋燭の火を映し出し、蝋燭の火は向かいの椅子に座る女の姿を映し出した。長い緑髪に、炎に揺れる瞳が美しかった。
──“虚像”だ。虚像が死後も私を迎え入れた。
青く澄んだ女の緑髪や火に照らされた避け難い色白の肌を眺めながら、私はその女に相応しい言葉を探していた。女は私の視線に気付いても、それを無視し続け、ただじっと向かいの椅子からコチラを眺めて居た。……しかし、この空間は暇だ。黄泉の国が有るとすれば此処がそうなのだろうが、ここまで惨めな物だと思わなかった。まるで、次の魂の宿る先が見つかるまでの待合所だ。だとすれば、目の前の女は私の様に死人なのだろうか?いや、そもそも私は何故、思考を巡らせていられるのだ?……私は謎解きゲームでもしている気分になり始めていた。塞がった考えを巡らせていると、女の方から声を掛けてきた。とても美しい声だった。でも、何処か艶っぽくて信用が欠ける声だ。
「……お目覚めですね。お待ちしておりましたわ」
「待っていた……私を?君が?何故かな?」
「んっふふ……なぁに、簡単な事です。わたくし、貴方のファンなんですよ」
「ファン……?ハッ、驚いたよ。それじゃあ、なんだ?私が猟奇的で良心に欠けるという世間の評判を知って、そう言ってるんだね?」
「はい、勿論ですわ。長らく、娯楽に目が無くって……でも、貴方ほど震わせてくれる人も居ませんでしたもの……」
言い切ると、女は艶っぽく頬を染めて、そうして紅くなった両頬をひんやりとした手のひらで覆った。なるほど。この女はイカれているのだな、と私は一人合点がいった。というのも、私はかねてより自身の欲に恐ろしく正直であったのだ。その昔、どうしても生き物が死ぬまで戦っているところが見たいと、檻に虎の夫婦を一ヶ月閉じ込めた事がある。また、人が爆ぜる所が見たいので戦地に出向いた事もある。非現実的な物ならなんでも見たかったのだ。(人と人をくっつけてみようとした事もあったが、ついぞ果たせなかった……他にもやりたかったが出来なかった事はごまんとある)しかし、この女はそんな私の「弾かれなくてはならない」欲望を“面白い”と評する。……これは良い女に出会ったな。私はそう確信し、彼女に手を差し伸べた。
「まぁ……身に余る光栄ですわ」
「いやいや、私とて嬉しいよ。……なんにしろ、人に慕われるのは悪い気がする物ではない」
私がそう言って頬を緩めると、女はくすくすと笑みを溢した。肩が上下する程、深い笑いだ。同時にかなり不快な感覚もする。馬鹿にされている。そう感じるには充分過ぎる笑い声であった。私は耐え切れず、声を挙げた。
「何を……そう笑う。自分で言ったではないか。ファンだと、自分で」
「あっはは……いえ、そこじゃないんです。“人”に慕われるって……それが可笑しくって……んっふふ」
「………」
「そんな、怖い顔しないでくださりません……?シワが濃くって、余計怖いですわ」
「……では、なんだ?君は“人”では無いのかね?幽霊というオチなら読めているぞ」
「……いえ。“悪魔”で御座います」
「悪魔……?」
「ええ。悪魔、西洋に伝わる邪なる存在ですわ。契約が性分でしてね、人にそれをふっかけて遊ぶのですわ」
「それで?君は私をどうしたい?契約でもふっかけたいのか?」
「あら、話が早くって助かりますわ。そう、契約……私、貴方の邪念が大好きですの。悪魔が魅入られる程の邪念……誇ってよろしいのですよ」
「ははぁ……話は読めた。君は、私の邪念を奪いたいのだね?悪魔にこそ、相応しい物だと言って」
「ええ、ゆくゆくは」
「して、その様な事をして私に何の利がある?……もっとも、利があろうがなかろうが、君なら直ぐに私の邪念を持っていけるのだろうが……」
悪魔は何度も頷いた。そうして嬉しそうに口を歪めて言った。
「……んふふ。勿論それも出来ますが、それじゃあ面白くありません。第一、自分が特別である必要は無い……“観客”であるべき、と宣っていたのは貴方じゃありませんこと?……私もそれに共感しているのです。だから、貴方の邪念を間近に眺め、震わされたいのですわ……」
まるで劇の演出家が役者に語りかける様に、悪魔はうっとりした声色でそう話した。……中々面白い奴じゃないか。私はそう思い始めていた。
この桐原堂介は幼少期からパッとしない地味な凡人の性分とその悪辣なる精神とが合わさって、これまで真っ当に芸術を語れる相手と出会った事が無かったのだ。しかも、彼女は今まで出会ったどの人間とも異なる魅力を持っているようだし、何より“虚像”の心得を知っているという点が大きなポイントであった。彼女の類い稀な妖艶さや端正な顔立ちにも心惹かれ、私はたちまち彼女の提案を迎え入れる事にした。
「……良いだろう。私とて、死んだあの世でまでこの邪念を連れ歩いていたいとは思わない。真っ当な人間に生まれ変われるなら、それもまた本望だ。……契約だ。だが、対価に何かは頂かせてもらうぞ!」
「……んっ、良いですわ。そう来なくては。では、貴方の願いを三つまで叶えて差し上げましょう」
「なっ、三つもか。となれば、君にとっても不都合な願いを頼めるかもしれんぞ?」
「ええ、言ってご覧なさい。どんな願いを言っても、わたくしからすれば造作のない事です。契約を解除、みたいな願いは弾きますしね」
「そ、そうか……ならば……一つ目は“私のこの老いた身体を生まれ変わらせてくれ”!」
「承知いたしました。お次は……?」
「そんな、ファミレスみたいな……そ、そうだな。では、“私をキツく咎めない世界をくれ”!」
「いよっ!待ってました。安心してください、既にその願いは入れておりますわ……」
「な、なんだ……?願いっていうのは、ゲームのMODを入れる様な物なのかね?」
「気にしない、気にしない……気にしたって、しょうがないですわ。どうせ、世の中は悪魔の手のひらですので」
「確かに、そうだな……じゃ、最後はだね……“何処であっても、私を暖かな寝具で快適に寝させてくれ”!」
「………あら、そんな願いで良いんですの?」
悪魔は眼を丸くして、私の顔を二度見した。彼女の瞳はさながら宝石が如く緑色に輝いており、その美しさは彼女を構成する部位の中でも郡を抜いている様に思えた。それが今、より大きく見開かれている。……しかし、この願いの何が悪いと言うんだ?私はそう問いた。悪魔は私の言葉を受け、少し考える素振りを見せると、やがて口を開いた。
「よおく、考えてみましたが……成る程、理に適っておりますね。わたくしや貴方が望む世界は虚像に満ちた世界……であれば、方々を旅する訳ですが、そうであるなら寝床は確保しておいた方がなにぶん都合が良い……もっとも、眠くならない様にすれば済む話では有りますが」
「そうすると、今度は暇になる。私の人生は精々70年というところであったが、時には現実離れしたい時もあった。戦地などでな。そう言った時、いつでも現実逃避する事が出来る、睡眠……これを省く手は無いよ」
「左様ですか。では、そうしましょう……」
それから、私が彼女に気を許してベラベラと生前の話をしようとした矢先、4つの蝋燭はパタリとその火を消した。あたりに立ち込めていた闇はすっかり立ち消えとなり、代わりに、ギザギザと鋭い光が視界をこじ開けていく。避け難く、じわじわと私の皮を焼いていく様な感覚さえする。が、痛みは無い。仄かな変身の悦びだけが、私の中を満たしていた。
***
……気が付けば、私は目の前で手を振る美女の悪魔に見下ろされる形になっていた。
恐らく、さっきまで私と語り合っていた悪魔に相違ないであろう彼女は、楽しげな表情を浮かべてこう言った。
「お目覚めですね。どうぞ、ご覧なさいな……素晴らしい朝日で御座いますよ、先生」
私はうっとりと惚けた彼女を横目に格子にハマった窓をガタガタと開ける。すると、さっきの棘付きの光では無い暖かな陽が熱と共に空きっ腹の私の
身体を貫き、生暖かい水滴となって肌を優しく撫でる。……どうやら、もう夜は明けたらしい。
「……声がラクだ。身体も軽い……遠くもよく見える……これが、若さか」
「ええ、何物にも代え難い……もっとも、美しく世界が見えるレンズですわ……」
──生まれ変わった私は「セリオ・フォルスター」という名の青年であった。そして、彼女はそんな私に着いて回る弟子……というか使用人「フェイ・メイドリープ」。……ともかく、この古びた朝焼けが良く似合う世界では我々の関係はそういう事になっているらしい。
これはゲーテのファウストの概要をサラッと見て、「成る程、随分とエンタメな内容だなぁ……少し前に流行った異世界転生物にも通じる物があるかも……次はファンタジーで書きたいし、取り入れてみようかなぁ」……と、思ってしまったが故に書き上がった物です。恐らく、これに準じた……若しくは、殆ど変わり無い内容になってまた掲載されると思いますので、是非見に来てください。(ファウストっぽいのは多分、第一話だけです)