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第八話 奇跡

 蘭子が懐かしい加美手島の大地を踏みしめたのは、同窓会の前日。十二月二十四日のお昼過ぎだった。

 島で同窓会を開く事になったからには、準備する人手が足りて居ないことは解りきっていたので、その足で加美手島小学校へ向かう。

 校門をくぐった時に、「おかえりなさい」と言われたような気がした。

 だから、ついつい呟く。

「ただいま」

 帰って来たんだ。あれから、十年。やっとこの場所に戻って来れたのだ。

 久し振りの小学校は、思った程荒れてはいなかった。特に校門あたりは地主さんが整備してくれたのだろうか、こぎれいに整えられている。見上げる校舎は、一部窓ガラスが割れている場所などが伺えたが、勿論校舎入り口には鍵がかかっているので入ることは出来ない。校庭に周り、会場である体育館に向かう。

 運動場、錆びた鉄棒や雲梯、そして樅の木。 

 懐かしさと一緒にこみ上げて来たものに、蘭子がそっと目頭を押さえた。

 小さく首を振り、あらためてその景色を見る。

 樅の木。もっと大きいと思っていたんだけどな。それに、何だろう。色が少し……。

 いや、それよりも。

 樅の木の枝に、色とりどりのものが結びつけてあるのだと気づき、慌てて駆け寄る。

 カードだ。一枚のカードを手に取り、書いてある文字を見る。

『流音ちゃんへ、クリスマスには絶対にまた来て下さい』

 クリスマスカード。あの時、カオリ先生がタイムカプセルに入れたクリスマスカードだ。

 律子ちゃんが、飾ってくれたのかな? だったら、自分がタイムカプセルに入れたあれも飾ってあるのかな。

 そんな事を思いながら、樅の木の飾りを探す。

 あった。あれだ。

「おお、ホワイトベースだ」

 背後からバリトンの声が響いた。

 慌てて振り返る。いつの間にか、背後に背の高い若者が立っていた。

「もしかして、舵くん?」

 日に焼けた、逞しい青年。

 腕などは、楽に蘭子の倍はありそうだ。学校に通いながら、ずっと漁師の修行をしていたというのは、本当なのだろう。

「あ、蘭子さん。お久しぶりっす。あれ、俺のホワイトベースですよね?」

 青年が指さす先には、白い船の模型。

 それは、はるかな昔に舵が作った「豪華客船ホワイトベース」だった。

 そして、そのやや上にあるのは、蘭子が作った「加美手島小学校」。

「タイムカプセル、開けちゃったの?」

「俺じゃないっすよ。誰だろう。もしかして……」

 何かを言おうとして、恥ずかしそうに舵は口をつぐんだ。蘭子だって同じだ。自分達は、それを信じる程に子供ではなくなっている。

 でも、そう思う程に舵が言いたい事がよく解っていた。

「うん。私も、そんな気がする」

 模型やカード、そして小石や消しゴムなどを見ていると、小さな頃の思い出がわき上がって来る。

 辛かった事、悲しかった事、胸が締め付けられる筈の思い出までも、こんなに心穏やかに受け止められるようになっていたことに、初めて気がついた。

「そうだ。舵くんおめでとう」

 一番最初に言おうと思っていたのにすっかり忘れていた一言を蘭子が言うと、舵は照れたように頭を掻いた。

「ありがとうございます。でも、まだ実感がないんですよ」

「いやいや。しっかり漁師さんしてるみたいだし。奥さんも安心ね」

 日に焼けた肌、そして逞しい体。どこから見ても、島の漁師の姿だった。

「蘭子さんこそ。来年には看護婦さんになるんでしょ? で、島に戻って来てくれるんですよね」

「いずれは、そのつもり。だから、舵くんはそれまでに男前の若い医者をゲットしておく事」

「そりゃ、難しい注文だ」

 舵と顔を見合わせて、笑う。

 一台の車が校庭に乗り付けて来たのは、そんな時だった。

「もう、蘭子さんに舵くんまで居るじゃないの。はじめくんがのんびりしているからよ」

 そんなことを言いながら後部座席から降りて来たのは、白いコートを着た流音。

「仕方ないでしょ。焦ったってろくな事にならないんですよ」

 そう言いながら運転席の窓を開けたのは、蘭子の弟の一だった。

 そして、もうひとり。やっぱり後部座席から出てきたのは、ゆこ。

「え? どうして一が流音ちゃんたちと?」

「一足お先に、船をチャーターして来たのよ」

 と、流音が胸を反り返らせる。

「矢木先生を迎えに行って、島に連れて来たんだよ」

 横で補足するのは、ゆこ。

 矢木は退院後、彼の息子が暮らす東京に戻った。

 実は矢木は数年前から東京と島を往復する生活を送っていた。細君を亡くし、ひとり暮らしをしていた父親を放っておくわけにはいかないという、息子との押し問答の末の折衷策。だが、あんな病気をしてしまったからには、島に戻れることはないかもしれないと、矢木は寂しそうに語っていた。

 流音が、責任を持って送り届けるからと、その息子を説き伏せた事は知っている。蘭子も一緒に行って、説得を手伝ったから。

 先生をゆっくり休ませないといけないから、早い目に加美手島に入ると、流音が言っていたのも知っている。だが、一まで一緒だというのは初耳だ。

「一も、流音ちゃんたちと一緒に来たの?」

「えっと、理由があって」

 ちらりと舵をみて口ごもる、一。

 ゆこの口が「ケーキ」という形をつくったので、蘭子もやっと納得出来た。

 一は高校を卒業後、洋菓子の専門学校に入学をした。将来はパティシエになって自分の店を持つ事を目標にしている。

 昔から甘いものには目がない一らしい選択だなと、蘭子は思っていた。

 流音たちと一緒に一足早く島に入って、ケーキを焼かされていたのだろう。

「さて、律子さんは相変わらずやっつけ仕事をしているのかしら?」

 ざっと見回してそこに居るのが蘭子と舵だけであるのを確かめてから、流音が言った。

「当たりです」

 と、舵が苦笑する。

「実は会場の設置も今からなんですよ。だから」

「私たち、もしかして飛んで火に入る夏の虫?」

 ゆこが笑いながら確認するのへ、舵がうんうんと頷いている。

「だったら、とっとと準備しよう。時間なんて、すぐに流れちゃうんだから」

「僕は、りっちゃんの手伝いに行った方が良いのかな?」

 一の言葉に、厨房でてんやわんやしている律子を想像出来たが、ここで男手を手放すわけにはいかない。

「それは、後で頼むわ。はじめは校庭の電飾担当。お菓子のアーティストなんだからそれぐらいお手の物だよな?」

 ぽんと、舵が一の肩を叩く。

 「お菓子とこれを、一緒にするのか?」などと文句を言いながら、しぶしぶ舵の車から様々な飾りの入った箱を降ろす、一。

 舵が用意していたのは、飾りの他には長机と丸椅子、テーブルクロス。

 中央に長机をいくつか重ねて並べて即席大テーブルをこしらえ、テーブルクロスをかける。

「ここ、何が来るんですか? 花でも飾るのかな?」

 その隣に置かれたやや小さなテーブルに舵が不思議そうに首をかしげると、流音がふふんと笑った。

「なんですか、その意味ありげな笑いは」

「なーんでもありませーん」

「いや、それ絶対に何かあるって」

 舵が更に詰め寄った時。

「姉さん、こっちも手伝ってくれないと、ひとりじゃ無理だよ」

 体育館の入り口で、一が泣きそうな声を上げた。

 慌てて表に出ると、なるほど、全然はかどっていない。脚立に登る一に指示されるまま、飾りを渡す、蘭子。

「結構、出来てきたね。手作りだけど良い感じ」

「手作りだから、良い感じなんだよ」

 一の言葉に「あんた、偉そうになったね」などと憎まれ口を言いながら、でも言われてみればその通りだと納得する。

 何もない場所で行われる、同窓会。少しずつ、形になっていくのが良い感じなのだ。ただ、時間があまりないので、やっつけ仕事である事には違いないが。

「後は、肝心の樅の木」

 日も傾いて来た頃。全体の出来を見て、にんまりと一が笑う。ここまでは完璧と言いたげだ。

 樅の木の、既に飾られているカードたちの邪魔にならない場所に電飾を取り付け始める。

「そういえば、あんたこの木に登って降りられなくなった事があったっけね」

 蘭子が言うと、一は「あはは」と笑った。

「懐かしいなぁ。でも、あの頃はもっと大きいと思っていたんだけどな」

 思い出話に、一の手が止まる。

「あのさ、姉さん」

「え?」

「この木、すごく弱ってるよね? 葉っぱとか全然元気ないし」

 最初は、遠目で見るからだと思っていた。

 次は、飾り付けがしてあるからだとか、夕暮れの色に染まっているからとか、勝手に理由をつけていた。

 でも、これだけ近くに来れば解る。その茶色く変色した葉の多さは、どんな説明をつける事もできなかった。



 十二月二十五日。

 朝から、律子がずっと奮闘していた料理たちが会場に運び込まれた。

 クリスマスらしい飾り付けをしたローストチキンを始め、星形人参を飾ったポテトサラダやスープ、綺麗に飾り付けられたオードブル。舵が取って来た魚を使った唐揚げやカルパッチョなどの料理、そして大量の押し寿司。

「なんで、ご飯ものが押し寿司ばかりなのよ」

 流音が文句を言うと

「あんたたちが、いつまで経ってもうちの板前を返してくれないからでしょうが!」

 律子が負けじと凄む。

 もっとも奮闘の後はそこにもあり、押し寿司の中身はものすごく立派だ。多分、にぎり寿司を予定したいたのが、握る技術がなかっただけだろうと予想された。

 体育館は、リボンや花で賑やかな飾り付けがされていた。そこに、ひとり、またひとりと人が集まって来る。

 カオリ先生とご主人、そして小さな女の子が到着した。ぺこりと頭を下げて「崎谷春香です」と名乗った女の子は、たちまち幹事連中をはじめ「お兄さん」「お姉さん」を名乗る面々にもみくちゃにされた。最初はかなり戸惑っていたように見えた春香は、でもすぐにお兄さんお姉さんになついた。

 そして、一に手を引かれた矢木が現れた時には、皆が握手を求めに行った。

 旧加美手島小学校体育館に集まったのは、小学校の同窓生や教職員たちだけではない。

「ごめん、どこで聞きつけたのかうちの社長が」

 と、カオリの亭主である崎谷 力が蘭子にそっと謝る。

「どうしても、もう一度この島に来てみたいって。言い出したら聞かないんだ。うちの社長」

 力の視線の先には、びしっとスーツを着込んだ真浦塚氏が若い者たちと談笑をしていた。

「大歓迎です。実はこっそり星陵学園の前理事長もいらっしゃってるんですよ」

 鏑木詩乃。流音の祖母は流音と同じ船でこの島に来た。船から降りる時には、「やっと帰れる事が出来た」と、涙を流していたという。今は楽しげに、集まって来た島の老人たちと語り合っている。

 やがて定刻になり、蘭子がマイクを取った。

「ただいまより、加美手島小学校同窓会を行いたいと思います」

 蘭子の声に、体育館のざわめきがぴたりと止まる。

「先生方、加美手島小学校同窓生の皆さん、そして島の皆様。それ以外の――私たちの事を大切に思ってくださっていた皆様。本日は、私たちの同窓会にお集まりいただき、ありがとうございました。十年ぶりの同窓会がこの場所で行えた事、そしてこんなに多くの人が集まってくれた事を、幹事一同、とても喜んでおります」

 蘭子の隣にいる、律子と舵。体育館の隅に置かれたオルガンでたまにBGMを弾いていたゆこ。シャンパングラスを配っている一、そして中央テーブルの側にある小さな机の前に立つ流音が、会釈をした。

「そして、この場にいらして下さった皆様に、報告をしたい事があります。少し前に、幹事のひとりである早瀬舵くんと村上律子さんが、入籍をされました。そこで、皆様に少しだけお時間を頂きたいと思います」

 ゆこがオルガンに前に座る。ウエディングマーチが流れると、流音がテーブルを覆っていた布を剥がした。白とピンクのクリームで飾り付けをされた、可愛らしいウエディングケーキが登場する。

 フルーツをふんだんに使ったケーキにはチョコレートクリームで、「Happy Wedding Kaji & Rituko」の文字が描かれている。

 そして、ウエディングケーキの横には、流音とゆこがこしらえたブーケとブートニアが置かれていた。

 ブーケが律子に手渡され、ブートニアが舵の胸を飾る。照れくさそうにする二人を後目に蘭子がちらりと視線を送ると、矢木が立ち上がった。

 二人の後ろに立ち、そっとその肩に手を置く。

「二人は、少し前からこの島に帰って、この島で生活をはじめています。まだまだ未熟な二人ですが、どうぞご指導ご鞭撻の程、お願い致します」

 矢木の言葉に促されるように、二人が深く頭を下げると、各所から拍手が起こった。

「偉そうに言っておりますが、実は私は自分の不養生が原因で、先日まで横浜の病院に入院しておりました。その時に大変世話になったのが、そちらの江口蘭子くんです。私は妻にも先立たれ、息子も島を離れた場所で暮らしています。だからでしょうか、この小学校に在籍していた諸君らが、私の家族であり子供であるとずっと思っておりました」

 静まりかえった会場に、矢木の言葉が響く。

「その、私の子供たちが、結婚して二人でこの島に帰ってきた。こんなに素晴らしいことはない。どうか二人には……」

 こほんと、矢木が咳払いをする。

「富める時も、また貧しき時も」

 律子と舵が小さく首を傾げた。矢木の手はまだ二人の肩に置かれたままだ。

「健やかなる時も、また病の時にも。相手を思いやる気持ち、相手を愛する気持ちを忘れずに、共に力を合わせて生きて行く事を、誓っていただきたい」

「先生、それって……」

 律子が呆然と呟く。矢木は小さく笑った。

 矢木だけではない。蘭子も流音もゆこも笑っている。

「ここにいらっしゃる全員が、二人の証人となって下さるでしょう。皆様の前で、誓えますか?」

 律子と舵が体育館の中を見回し、矢木を見て、そして蘭子を見た。

 次に、二人で目を見交わす。

「誓います」

 舵が言った。

「誓います」

 律子も言う。会場内は盛大な拍手に包まれた。


 乾杯があり、律子と舵によって、ケーキカットが行われた。その後、カオリの娘春香から矢木への快気祝いの花束贈呈が行われる。そして歓談タイムが始まった。

 皆が、楽しそうに昔話にふけりながら、食べ物を着々と平らげて行く。一番人気の一の作ったウエディングケーキなど、お代わりを要求される有様だ。

「それにしても」

 と、律子が呟く。

「みんなをびっくりさせるつもりだったのに、私の方がびっくりしちゃった」

 そりゃあそうだろう。ここで人前結婚式をするのは、全く予定に入っていなかったのだから。

「だって、病室で顔を見る度に矢木先生、『驚くことって何ですか』って聞くんだもの。ついつい根負けしちゃって」

「え? 結婚式をしようって言い出したの、校長先生だったの?」

 「喰えないオヤジだ」と律子がぼそっと呟いたので、居合わせた皆が爆笑した。

「楽しそうね」

 背後からの声に振り返ると、カオリが立っている。

「舵くん、律子ちゃん。おめでとう。それから幹事の皆様、ご苦労様。まさかこの場所で同窓会が出来るとは思わなかったわ。準備、大変だったでしょ?」

「大変でした」

 即答したのは、流音。

「でも楽しかった、でしょ? 流音ちゃん」

 いつものように、ゆこが隣からフォローを入れる。

「春香なんかね、さっきからクリスマスツリーから離れないのよ。あんなに大きな樅の木、見たことないから」

 と、その時だ。噂の主である春香がてててっと駆けて来た。

「おかあさん、えっとね。みんなちょっと外に出て」

 息をととのえ、少女はカオリの手を取り、ぐいぐいと引っ張る。

「春香? どうしたの?」

「いいから、みんな来て。すごいの」

 「何が?」と聞いても「見たら解るよ」としか答えない。

 さっぱり要領を得ないが、少女が真剣そのものだったのでカオリが仕方なくその後に続く。

「おねえちゃんたちも。来て」

 蘭子たちは顔を見合わせ、頷いた。

 何を見つけたのかは知らないけれど。子供はいつだって、自分の宝物を人に見せたいものなのだ。

 体育館の扉を開けると、そこには美しい天の川が広がっていた。

 空気の澄んだ冬の夜に見える、天の川。

 控えめに点滅する校庭の電飾とあいまって、それはなんとも幻想的な景色だった。まるで空と大地が一緒になったようだ。

「本当だ。すごい」

 流音がうっとりと告げる。

「本当に、綺麗だね」

 そう告げるのは、ゆこ。

 そんな声をききつけ、皆が集まって来た。

 矢木が、まぶしげに目を細める。カオリも律子も蘭子も、そこに居合わせた誰もがその光を見ていた。

 だれからともなく、歌を歌い始めた。

(夜空に広がる 星のように)

(大きな夢を 育てよう)

(光と歩む わたしたち 加美手島の学舎で)

 毎年、この季節になると大合唱をした。小学校の校歌だ。

 そうだ、みんなで最後にこの歌を歌ったのは、お別れの時だった。

 不意に、矢木が顔を上げた。

「雪?」

 その言葉に、蘭子たちも慌てて周囲を見回す。

 白いものが、はらはらと舞っている。

「違う、花びら」

 手に取ると、それは桜の花びらだと、気づいた。

 こんな季節に? どうして桜が? 蘭子が思う。慌てて周りを見回すと、樅の木の陰に、絣の着物を着た少女が立っていた。

「春ちゃん?」

 そう呟いた流音が数歩、そちらに歩み寄る。

「春ちゃんなの?」

 カオリもつられたように、後に続く。

 少女はいたずらっ子のような笑顔を見せた。

「今日は、集まってくれておおきに。みんなのおかげで、うちは力をもう一度手にいれる事が出来た。ほんまにおおきに」

 少女が、頭を下げる。

「お礼に、うちからのお祝い。受け取ってな」

 ふわりと、風が白い何かを運んで来た。

 花びらだ。桜の花びら。

 一本の木が、幻のように浮かび上がる。

「桜……」

 矢木が小さく呟いた。

「そういえば、記録にあります。京都府の舞鶴から贈られた二期咲きの桜。虫害に会い、花をつけることもなく枯れてしまった」

 だから今、小学校の校門にある桜は島の人々が植えたソメイヨシノ。小学校に桜がないのは寂しいと、寄付金を募って植樹してくれたのだという。

(そうや。うちは、桜の木霊やった)

 少女の声が告げる。だが、その姿は見えない。

(それでも)

(うちは、ここに居たかったんや。うちはここが、大好きやった)

 少女の姿を見て、矢木は幼くして亡くなった妹を思いだした。病に倒れた時、彼女が側にいるような気がしていた。亡くなった妹に、力を分けてもらったような気がしていた。

 そうだったのか。そう思うと、何故か笑みが浮かんだ。

 桜の花びらを見て、流音は不思議な思いに捕らわれた。

 律子と電話をしている時、何故この島で同窓会をしようなどと思いついたのだろう。何故か、今しか出来ないような気がしていた。

 そうだったの。そう思った。

(だから)

 少女が告げる。

(うちからの、お礼。本当に、ありがとう)

 桜の木から、花びらが舞い落ちる。星の光に浮かび上がる無数の花びらが、降り注ぐ。

 それは雪のようにも、また祝福のライスシャワーのようにも見えた。

 誰もが、幻影の桜の木とその花びらの舞いに見とれていた。

 本当の奇跡に、誰も気づいていなかった。

 桜の花びらが舞い散り、やがてその姿が幻のように消える。何事もなかったかのように、花びらさえも残さずに。

 星が綺麗な、クリスマスの夜だった。

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