第一話 体験留学生
「蘭子ちゃん、おはよう!」
六年生の江口蘭子が教室に入ると、すぐに駆け寄って来たのは五年生の村上律子だった。
「ねぇねぇ、知ってる? 今日、転校生が来るんだって」
「さすが、りっちゃんは耳が早いよね」
律子は、部員が三人しかいない新聞部の部長でもある。だからだろうか、やたらと情報を仕入れるのが得意だった。
加美手島小学校は、島にたったひとつしかない小学校だ。
加美手島は人口七百人余りの小さな島で、特に目立った特産品もない。あえて言うなれば野菜や果物、海産物などだが、それだって小さい島のこと、生産量はたかが知れている。この島にしがみついて居る限り、今以上に裕福な生活を送れないことは島に住む誰もが知っていた。
だから、島で育った子供達はほとんどが都会の高校を、そして大学を出て企業に就職する。島の生活に見切りをつけて、家族ごと島を出る者も居る。
それでも先祖代々受け継がれて来た土地を、捨てることなど考えもしない人々が未だ数多く居た。この島に生きることを、心の中で誇りに思っている人間。今、この小学校に通う子供達の祖父母のほとんどは、そういった人間だった。
加美手島に生まれた子供達は皆、この加美手島小学校に通う。全校生徒は三十人余りと少ないが、だからこそ全校生徒が友達とも呼べた。
小学校は高台にあり、屋上に上ると島の全景が一望出来る。海も山も、田圃も畑も。大きな家や小さな家も。
そんな場所にある小学校が、蘭子は大好きだった。
「でも、おかしいと思わない? 誰かが引っ越してきたわけじゃないのに、転校生だなんて」
島の情報は、あっという間に伝わる。誰かが島に引っ越して来たのなら、絶対に聞こえて来る筈だ。律子の言うとおり、「転校生」が来るわけがないのだ。
だが、「新しいお友達」が増えるのは事実だ。実は、昨日の放課後に直接担任の先生に聞かされた話なので、真実の筈だ。
「りっちゃん、転校生じゃないよ。留学生だよ」
蘭子より先にそう言ったのは、漁師の息子の早瀬 舵。律子と同じ五年生だ。
「都会の人が、田舎の生活を体験しに来るんだって、父さんが言っていた」
そう。律子が言うところの「転校生」とは、実は「体験留学生」。横浜にある私学の小学校の生徒が、この島での生活を体験しに来るのだ。体験期間は二週間。六年生の女子生徒が二人だと、昨日教えてもらった。
『都会の子なんて引き受けるの初めてだから、先生も緊張してるの。蘭子ちゃん、フォローよろしくね』と、担任のカオリ先生は小さく舌を出した。
カオリ先生はたまに可愛い顔を見せてくれる。先生というよりお姉さんみたいだと、蘭子はひそかに思っている。
「舵くんもよく知ってるね。そういえばお父さん、役場でお仕事をしてるんだっけ?」
「そうだよ。だからじいちゃん俺をどうしても漁師にしたいんだって。だから舵なんていう名前をつけたんだよ」
と、舵がいつものようにぼやく。
何でも舵の父親はどうしても船に乗れない体質で、漁師の祖父はずっと嘆いていた。ようやっと生まれた舵をひと目見るや「この子は絶対に儂の後を継がせる」と、言い切ったそうだ。
父親の職業を子供が継ぐのは当然といえば当然だ。蘭子だって、将来はこの島の誰かと結婚して、相手の両親の職業を継ぐのだろうと何となく思っていた。まだまだ先の話ではあるが。
もっとも、律子は全然違う意見のようだが。
「私は、こんな島には埋もれないよ。都会の大学に進学して、キャビンアテンダントになるんだ。で、結婚相手はパイロット。新婚旅行で世界中を回るの」
と、いつも言っている。
キャビンアテンダントとパイロットが結婚したら、夫婦が顔を合わせる機会がそれはそれは少なくなるのではないかと思ったりもするが、律子の夢を壊すこともないので思うだけにしておいた。
「都会の子がこんな島に来ても退屈なだけじゃないのかな」
それでも「都会の子」への憧れに、目を輝かせる律子。
「ねぇねぇ、合宿が前倒しになるって本当?」
不意に教室に飛び込んで来たのは、蘭子の弟で四年生の一。
「色んな情報が飛び交っているね。みんなさすがだわ」
蘭子が笑う。それほどに、小さな島では大ニュースなのだ。
「留学生が来るのも、合宿がそれにあわせて前倒しになるのも本当です。でも、詳しい説明はホームルームでね」
「蘭子ちゃんのケチ」
律子が、べーっと舌を出す。ケチと言われても、蘭子だって知らない事の方が多いのだ。
そうこうしている間に、始業のベルが鳴った。慌てて一が自分の教室に戻り、五年生、六年生は席に着く。担任の越智カオリ先生が少し緊張した面差しで教室に入って来たのは、全員が着席してすぐだった。スーツに身を包んだ担任の姿に、蘭子がそっと笑う。
カオリ先生がスーツを着たのなど、入学式の時以来じゃないかなと。
「カオリ先生、おはようございます」
「おはよう、今日は皆さんに発表があります」
ほおら、来た。
律子が、舵が、磨りガラスの窓に映る人影を見て、目を見交わしている。
「今度、この学校に島の体験留学生が来る事になりました。二週間の間だけですが、仲良くしてあげてください」
カオリの言葉が終わる前に、二人の女生徒が教室に足を踏み入れた。
星陵学園からの留学生で、ひとりは鏑木流音。もうひとりは竹内ゆこと言う名だと紹介された。
「ルネって、外人みたい」
律子がくすっと笑う。と、留学生の流音はあきらかにむっとした顔をした。
チョークを取って大きな文字で「鏑木流音」と書く。
「流れる音って書いて、るねって読むの。解った?」
神経質そうな声で、少女は告げた。いかにもお嬢様らしい、さらさらのストレートの髪とぱっちりとした目が印象的だ。そして、何より気の強そうなその態度。
「竹内ゆこです。るねちゃんと同じ星陵小学校から来ました。六年生です。よろしく」
慌てて、その隣に立っていた少女が告げる。
こちらは流音と対極的なボーイッシュな少女だった。だが、人を和ませる笑顔の持ち主だ。特別な事は何も言っていないのに、張りつめていた教室の空気が一瞬で和む。
「六年生で学級委員長の江口蘭子です。こちらこそ、よろしくね。流音ちゃん、ゆこちゃん」
蘭子が言うと、そこかしこから「よろしく」とか「どこから来たの?」などの声が上がりはじめる。
「はいはい。それは休み時間にね」
と、カオリが私語を軽く諫めた。
「では、みなさん。仲良くしてください。それと、毎年夏休みに行われている『合宿』の件ですが、二人の留学期間に合わせて前倒しをすることになりました。七月七日・八日の二日間になります。後でプリントを配りますので、忘れずにお母さんに渡してくださいね」
「何、合宿って」
昼休み。印刷物を見ながら眉を寄せる流音に、ゆこもまたまじまじと書いてある文章を確認する。
「恒例の夏期合宿だって。この学校で一泊二日間、子供達だけで生活するみたいだね。班ごとに研究テーマを決めて、合宿の後でレポートを提出するんだって」
「うわ、また変なことするんだねー。面倒くさい」
「えー、楽しそうじゃない」
「こんな田舎で、学校に泊まり込んで何をするっていうのよ。ばかばかしい」
流音の言葉に、ゆこは困ったように息をついた。
「るねちゃん、せっかくだから楽しもうよ」
「楽しむ? こんな、なーんにもない場所に二週間も居ないといけないんだよ?」
そりゃあ、そうなんだけどとゆこが口の中で呟く。
実は、ゆこは流音に誘われた時から楽しみにしていたのだ。流音にそんな趣味があったとは思わなかったけど、家族と離れての離島での生活を想像するとどきどきした。
後になって知った。流音が「体験留学」をする羽目に陥ったのは学院長婦人である流音のおばあさんが、それを強く望んだせいであると。
昼休みも、興味本位な質問から逃げて二人で校庭の片隅でお弁当。これじゃあ、せっかく離島まで留学に来ている意味がないんじゃないかなとゆこは思う。
その時だ。
「流音ちゃんも、ゆこちゃんも、ふたりで固まっていちゃあダメでしょ? 他のお友達と遊んで来たら?」
突然の声に驚いて振り返ると、担任のカオリ先生が困ったような顔をして立っていた。
「だって、あの子たちと一緒に居ても全然面白くないし、ためにもならないんだもん」
流音がわざとらしく溜息をつきながら、答える。
「ためにならないって?」
「横浜ってどんな所かとか。お休みの日は東京にも行くのかだとか。何の意味もない。横浜や東京の事が知りたければ、雑誌でも読みなさいって言いたくなるわ」
「でもね、流音ちゃん」
カオリが更に困ったように腕を組んで首を傾げた。
「そういう会話から、少しずつその人の事が解って行くのだと先生は思うんだけど?」
「解らなくていいですから。所詮、留学生なんだし!」
「るねちゃん」
慌てて、ゆこが口を挟んだ。
流音が話せば話すほど意地になる性格であることは、幼なじみであるゆこは良く知っている。
「そろそろ、教室に戻ろうよ。さっき、蘭子ちゃんが学校を案内してくれるって言っていたよ」
「こんな小さな学校、案内して貰わなくて結構よ!」
腕を掴んだゆこの手を、流音が引きはがした。
「こんな所、大嫌いなんだから!」