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第三話 前編

 いつもならば休みの日とあれば気の済むまでゴロゴロして家事はそこそこに終わらせる。連休ともなれば尚更だ。だが、どうやらこの大型連休ではそうもいかないようだ。


「お姉ちゃん、よくこれで生活してるね」


 ゴールデンウィーク初日の木曜日。

 紗綾が訪ねてきたのはもう一眠りしようとウトウトし始めた午前八時過ぎ。再会を喜ぶ間もなく始まったのは紗綾が寝泊まりするスペースを確保するための大掃除だった。


「え、でも普通だと思うよ? たしかに段ボールそのまま置いてたのはアレかもだけど」

「段ボールだけじゃなくてさ、冷蔵庫の中だって空っぽじゃん。この家の食料ってレトルトしかない」

「そんなことないでしょ。ちゃんと入ってるよ。冷蔵庫の中」

「冷凍庫の中にね。それも冷凍食品ばっかり」


 紗綾はため息を吐きながら「わたしがここにいる間はちゃんと料理するから」とキッチンの前に立って腰に手を当てた。


「えー。買い物行かなきゃいけないじゃん」

「よし、行こう」

「えー」

「えー、じゃない。ほら着替えて。メイクもちゃんとする!」


 紗綾に背中を押されながら冬葉は部屋着から着替えて簡単にメイクを済ませる。そのメイクが気に入らなかったのか、紗綾は少し不満げな顔をしていたが時間がもったいないと悟ったのだろう。「ま、いいか」と頷いて冬葉の手を引っ張りながら家を出た。


「元気だねぇ、紗綾は」


 アパートを出て片道一キロほど歩いた先にあるスーパーへ向かいながら冬葉はため息を吐いた。


「お姉ちゃんがだらしないの」


 手を繋いだまま歩きながら彼女は言う。冬葉は「そうかなー」と呟きながら紗綾の顔を横目で見た。

 まだ彼女の元を離れてから三ヶ月ほどしか経っていない。しかし紗綾の横顔は記憶よりも大人びて見えた。そして心なしか少し痩せたような気がする。


「紗綾――」

「あ、公園」


 紗綾が声を上げた。


「もしかしてあそこ? 恩人さんと会ってるっていう公園」

「ああ、うん。そうだよ」

「ふうん」


 呟きながら彼女は公園の前で立ち止まると中を覗いた。つられて冬葉も覗いてみる。そういえば休日、しかも昼間の公園は初めてだ。思っていたよりも子供たちの姿が多い。楽しそうに走り回って遊んでいるのは小学校低学年、あるいは幼稚園くらいの子供たち。

 自然と冬葉の視線はブランコに向かう。当然のことながらそこに座って遊んでいるのは子供たちだけだった。


「子供しかいないね」

「そうだね」

「けっこう狭いけど、ちゃんと手入れされてるんだね。さすが都会の公園」


 妙に感心したように紗綾が言うので冬葉は思わず笑ってしまう。紗綾は不服そうな表情を浮かべたが、なぜか冬葉の顔を見つめると上機嫌な様子で「はやく行こ」と歩き出した。


「食材を買って帰ってお昼ご飯つくるからね」

「えー。さすがにそれじゃお昼遅くなっちゃうよ? どこかで食べて帰ろうよ」


 冬葉はスマホで時間を確認する。すでに時刻は十一時半を回ったところ。ここからスーパーまで往復で一時間はかかるだろう。買い物をする時間を加えるとさらに遅くなってしまう。

 紗綾は少し考えるように口を閉じていたが、ちらりと冬葉を見ると「知ってるの? ご飯屋さん」と言った。


「そりゃ――」

「店内が綺麗で安くて美味しい洋食を希望します」


 冬葉はグッと口を閉じた。冬葉が知っている店は駅前にあるファミレス、牛丼屋、居酒屋、ファストフード店くらいのもの。そのどれにも入ったことはない。全国チェーンのファミレスならば店内も綺麗だろうし洋食といえば洋食だ。しかし、おそらく紗綾は納得しないだろう。どうして都会に来てまでチェーン店で食べなきゃいけないのか、と。

 冬葉は少し考えてから紗綾の様子を窺いながら「……お弁当という手は?」と聞いてみた。紗綾は深くため息を吐いて「しょうがないなぁ」と笑みを浮かべる。


「お昼はそれで手を打とう」

「ありがとうございます」


 冬葉が言うと紗綾は声を上げて笑った。

 そのまま二人で並んで歩く。なんとなく会話も途切れてしまった。しばらく無言で歩いていたが、やがて「紗綾」と冬葉は口を開いた。紗綾が横目で冬葉を見たのがわかる。


「最近、どう?」

「なにが?」

「なにって、学校とか」

「普通だけど?」

「明日ってゴールデンウィークといっても平日じゃない? 学校は?」

「自主休校。でも、ちゃんとおじさんたちにも許可とってるから――」

「ちゃんと遊びに行ってる? 友達と」


 紗綾の言葉を遮って冬葉は聞いた。すると紗綾は「なにそれ」と息を吐くように笑う。


「普通はちゃんと勉強してるかみたいなこと聞くんじゃないの?」

「勉強はしてるでしょ。紗綾だもん」


 冬葉の言葉に紗綾は黙り込む。

 紗綾は小学校の頃から成績が良かった。地頭が良いということもあるが、成績の良さは彼女の努力によるところが大きい。親戚の家に住まわせてもらっているという思いを常に抱いているせいだろう。小学生の頃から誰かに迷惑をかけることのないようできることはすべて自分でやる。そんな子なのだ。


「部活は何か入った?」

「……入らないって言ったでしょ」


 たしかに言っていた。部活に時間を費やすくらいならバイトして貯金をする。高校入学当初、彼女はそう言って聞かなかった。それでも高校生活に慣れて友達ができれば部活もやりたくなるのでは。そう思っていたのだが……。


「バイトは?」

「してる。ここに来るお金だって自分で出したし」

「遊びには?」


 しかしこれには答えない。冬葉は彼女の横顔を見つめながら「友達は?」と続けて聞いた。


「いらない」

「なんで」

「みんなガキっぽいし」

「でも、一人じゃ楽しくないでしょ。学校」

「別に楽しむために学校行くわけじゃないでしょ」

「それはそうかもしれないけど……」

「もういいじゃん。それよりスーパーってあれ?」


 紗綾は無理矢理に話題を終わらせると繋いでいた手を離して前方に見えてきたスーパーに向かって足を速めた。冬葉は小さく息を吐く。


 ――やっぱり、何も言ってくれないんだ。


 自分が頼りないから妹から何も相談されない。頼りにされない。情けなさと不甲斐なさに深くため息を吐く。


「お姉ちゃん、早く!」

「はーい」


 声を返して冬葉は紗綾の後を追った。





 昼間のスーパーは思っていたよりも混雑していた。なぜだろうと思っていたが、どうやら今日は月に一度の特売日だったようだ。安売りの野菜や卵に買い物客が集中している。


「すっかり出遅れちゃった感じだねー」


 紗綾がカゴを手にして呆然と立ち尽くしている。それもそのはず、特売対象の商品棚は軒並み空っぽになっていたのだ。


「補充されたりしないのかな」


 同じように呆然と棚を見つめながら冬葉は呟く。


「しないんじゃない? よくわからないけど」


 言って紗綾はしばらく考えていたが「ま、いいか」と気を取り直した様子でカートにカゴを乗せて歩き出した。


「別に何が欲しいって決めてたわけじゃないし。あんまり買い込んでもわたしが帰るとお姉ちゃんは腐らせるだけだしね」

「それはそうだね」

「……否定してよ」


 紗綾は呆れたように言うと「とりあえず卵は欲しいな。安いやつはもうないだろうけど」と卵コーナーに向かう。

 予想通りというべきか、特売の卵は売り切れていた。それでも通常価格のものは残っているようだ。


「ほら売り切れてる。海音の準備が遅いから出遅れたじゃん」


 ふいに聞き覚えのある声が聞こえて冬葉は思わず足を止めた。


「お姉ちゃん?」


 不思議そうに振り返る紗綾の肩の向こうでは、冬葉たちと同じように空っぽになった棚を眺める二人の女性の姿があった。

 一人は冬葉と歳も変わらないように見えるボブカットの女性。そしてもう一人は見覚えのあるパーカーを着た綺麗な顔立ちの少女。


「蓮華、さん……?」


 冬葉の声に少女がビクッと身体を震わせて顔を上げる。その反応に冬葉は驚き、「あ、ごめんなさい」と思わず謝ってしまった。


「お姉ちゃん? なに、知り合いなの?」

「蓮華、知り合い?」


 紗綾と蓮華と一緒にいる女性が同時に口を開いた。蓮華の表情は顔を上げた瞬間こそ強ばっていたが、冬葉の顔を見るとすぐに「なんだ、冬葉さんか」と安堵した表情を浮かべる。


「ごめんなさい。いきなり声なんてかけちゃって」

「ううん、こっちこそ変な反応しちゃってゴメンね」


 蓮華は苦笑しながら言って「偶然だね」と続けた。


「といっても、この辺りに住んでるんだから同じ店に来るのも当たり前か」


 彼女は笑って紗綾に視線を向ける。冬葉は慌てて「あ、これは妹の紗綾です」と紗綾を指差した。


「そっか。それが妹の紗綾ちゃんか」


 蓮華が面白そうに笑みを浮かべた。それを聞いて蓮華の隣に立つ女性が口に手を当てて笑う。紗綾は呆れたように「お姉ちゃん」とため息を吐いた。


「え、なに」

「なんでそんな中学の英語の教科書みたいな紹介の仕方なの。ていうか、わたしにもそっちの人を紹介してほしいんだけど?」

「これは失礼。紗綾ちゃん」


 蓮華は微笑むと「蒼井蓮華です」と続けた。そして隣に立つ女性に視線を向けて「こっちは三朝(みささ)海音(かいね)。わたしの……なんだろうね」と首を傾げる。海音と呼ばれた女性も蓮華を見ると同じように首を傾げた。


「とりあえず保護者ってところかな」

「保護者さん、ですか。どうも初めまして」


 冬葉が頭を下げると海音も「どうもー」と会釈した。しかし紗綾はじっと二人を見つめながら「それで」と腕を組む。


「お二人は姉とはどういう関係で?」


 気のせいだろうか。少し紗綾の態度がおかしい。思いながら冬葉は「三朝さんとは初めましてだけど」と蓮華に視線を向けた。


「こちらの蓮華さんは、わたしの恩人さん」


 恩人さん、と紗綾は口の中で繰り返してから「鍵を拾ってくれた人?」と聞いた。


「そう。わたしがあなたのお姉ちゃんの恩人です」


 蓮華が冗談交じりに笑みを浮かべながら言う。しかし紗綾は笑みを浮かべるどころか蓮華を睨みながら「そうですか」と頷いた。


「あなたが毎週のように姉をそそのかしてる女ですか」

「ちょ、紗綾?」


 驚きながら冬葉は紗綾の手を引いて後ろに下げると慌てて蓮華に頭を下げた。


「ごめんなさい。この子ったら、なにか変な誤解を」

「毎週のようにって、あんた何してんの?」


 海音が蓮華を見る。蓮華はにこりと笑みを浮かべて「秘密のデート」と答えた。海音はしばらくじっと蓮華を見ていたが、やがて深くため息を吐いて蓮華の頭を片手で押さえるようにして下げさせた。


「すみません。なんかうちの子がご迷惑をおかけしているようで」

「なんでそうなるの。てか、痛いよ。海音」

「いえ! あの、全然そんなことはないですよ。その、わたしの方こそ蓮華さんにご迷惑をおかけしてるかもしれなくて」

「それはないでしょう。この子は他人に迷惑をかける常習ですからね。ほんとに、昔から自分勝手で周囲の気持ちにも無頓着で」

「え……」

「うるっさいなぁ。もう」


 蓮華は顔をしかめながら海音の手を振り解くと冬葉を見て力なく笑った。


「ごめんね、冬葉さん。海音がこれ以上余計なこと言わないうちに行くよ。紗綾ちゃんとはもっと話したかったけど」


 海音は紗綾に視線を向けたが紗綾は仏頂面のままそっぽを向いてしまった。冬葉は「ごめんなさい。ほんとにごめんなさい」と蓮華に頭を下げる。蓮華は苦笑しながら「またね、冬葉さん」と手を振ると海音の背中を押してその場から立ち去って行った。


「わたしたちも行こう。お姉ちゃん」

「紗綾、あんたはもー……」


 なぜあんな態度をとったのかわからない。普段の紗綾は礼儀正しい良い子なのに。

 冬葉はため息を吐きながら振り返る。するとちょうど蓮華もこちらを振り返ったところだった。視線が合った瞬間、彼女は嬉しそうに微笑んでパクパクと口を動かす。


『公園で』


 そう読み取れた唇の動き。冬葉は笑みを浮かべて深く頷いた。


「お姉ちゃん!」

「蓮華ー」


 二人の声が響く。冬葉と蓮華は苦笑して同時に視線を逸らすとそれぞれの連れの元へと駆け寄った。

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