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第十一話 前編-3

 コーヒーを飲み終えて蓮華の買い物も済ませた二人は最寄り駅に戻っていた。

 飲み会が終わったのか、それともこれから二次会にでも行くのか楽しそうな集団が駅の改札近くに多くいた。その中を二人で並んで静かに歩く。

 なんとなく会話がない。それでも気まずいとは思わない。冬葉は自然と微笑みながら蓮華と自分との間に視線を向ける。

 彼女の右手が楽器屋の袋の持ち手を片方だけ持っている。もう一つの持ち手は冬葉の左手が。

 なぜこんな持ち方になったのかよくわからない。電車で座っているとき、気づけばこんな持ち方になってしまっていた。

 小さく軽い袋を二人で持ってのんびり夜道を歩く。周りから見れば滑稽な二人だろう。それでも構わない。誰の目も気にならない。こうして蓮華と二人で並んで歩いているだけで気持ちが落ち着くから。


「――今日は夜でもそんなに寒くないね」


 ふいに蓮華が口を開いた。


「ですね。そういえば来月には梅雨ですよね」

「冬葉さんは嫌い? 梅雨」

「あまり好きじゃないです。湿気で髪の毛ゴワゴワするし」

「たしかに」


 蓮華は笑う。冬葉はそんな彼女の横顔に視線を向けて「蓮華さんは髪サラサラじゃないですか」と少し頬を膨らませた。蓮華は苦笑しながら「それでも湿気の影響は受けるんだよ。特に前髪」と視線を上向かせる。


「あー、前髪は確かに……」


 そのときふいに蓮華の左手が伸びて冬葉の前髪に触れた。驚いた冬葉が立ち止まった拍子に二人で持つ袋がガサッと揺れる。


「冬葉さんは猫っ毛だよね。前髪もフワフワだ」


 嬉しそうに言った彼女だったが、冬葉が呆然としていることに気づいたのか不思議そうに「どうしたの?」と首を傾げた。


「いえ。その、いきなりだったので」

「嫌だった?」

「嫌ではないです」

「よかった」


 彼女はニコリと笑うと前を向いて再びゆっくり歩き始める。

 カサカサと袋が揺れる音が静かな住宅街の夜道に微かに響く。すでに駅は遠い。時刻は二十三時を過ぎた頃だろうか。住宅街を歩く人の姿は冬葉と蓮華以外にはない。二人きりの帰り道だ。


「――明日なんですけど」


 前を向いて歩きながら冬葉は口を開く。


「うん」

「十時に駅の改札前で待ち合わせはどうでしょうか」

「いいよ」


 蓮華は考えることもなく即答した。


「どこに行くか、まだわからないですけど」


 少し先に見慣れた景色が見えてきた。街灯に一際明るく照らされているのは公園の入り口だ。蓮華の歩幅が少し小さくなった気がして冬葉も彼女に歩幅を合わせる。


「沙綾ちゃんの行きたいところを最優先にしたいけど、もし特に希望がなかったら……」


 蓮華は言葉を切ると少し考えてから「カラオケとかいいかもね」と言った。公園の入り口まであと少しで着いてしまう。


「――カラオケですか?」

「うん。遊びに行くわけじゃないけど、カラオケなら話もしやすいかなって」

「……そうですね」


 冬葉が頷いたとき、蓮華がゆっくり足を止めた。冬葉も立ち止まって彼女に視線を向ける。カサッと袋が揺れて二人の手が微かに触れた。


「着いちゃったね」

「着いちゃいましたね」

「寄っていきたいけど、今日は我慢かな」

「我慢ですか」

「うん。明日のこともあるしね。それに――」


 しかし蓮華はそこで言葉を切って公園に視線を向けた。誰もいない公園はいつもと変わらない、静かで穏やかな、優しい時間が流れている。


「それに?」


 冬葉が聞くと彼女は薄く微笑んで首を横に振った。


「なんでもない。今日は仕事終わりにありがとね、冬葉さん。すごく楽しかった」

「そんな。こちらこそです。なんだか新鮮な体験ができました」

「そう?」

「はい。またどこか遊びに行きましょう?」

「……そうだね」


 蓮華は微笑んだまま頷く。しかしその表情にはどこか思いつめたような、そんな感情が一瞬だけ見えた気がした。


「じゃあ、ね。冬葉さん」

「はい。また明日」


 冬葉は言いながら袋から手を放す。持ち手の支えを失った袋はバランスを崩して大きく揺れた。しかし蓮華は袋を持ち直そうとはしない。

 不思議に思って彼女の顔に視線を向けると蓮華はまっすぐに冬葉のことを見ていた。そしておもむろに冬葉の頬に手を伸ばす。


「蓮華さん……?」


 冬葉が呟くと彼女は頬に触れそうだった手をそっと下ろして冬葉の手を両手で包み込むように握った。


「わたし、がんばるからね。冬葉さん」


 冬葉の手を握りながら彼女は真っ直ぐな瞳のまま言う。強く、迷いなど感じさせることのない口調で。冬葉はそんな彼女の瞳を見つめ返して笑みを浮かべた。


「はい」


 頷いた冬葉を見て蓮華はニッと笑うと名残惜しそうに手を放した。


「じゃ、今度こそおやすみ」


 彼女はそう言うと両手を大きく振り、ガサガサと袋を鳴らしながら駆けていく。

 彼女が何を決意したのかわからない。それでもきっと何かを決めたのだろう。いつも穏やかで柔らかだった蓮華の表情が強く凜々しかったから。


「……わたしもちゃんとしなくちゃ」


 呟いて軽く頬を叩く。何をどうすればいいのかなんてわからない。それでも妹に心配されないよう、ちゃんと自立しなくては。そしてちゃんと自分の気持ちと向き合わなくては。


 ――がんばろう。蓮華さんに負けないように。


 冬葉は蓮華の姿が見えなくなった夜道を見つめ、小さく微笑むと自分のアパートへ向かって歩き出した。


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