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13. 水浴び

 アイリスは窓を開けてバルコニーに出ると、風に交じって春特有のふわふわとした甘い香りがしてきた。庭には「この季節を待っていました!」とばかりに花が咲き乱れている。


 ここ最近はずっと気分が良く、穏やかな日々が続いている。


「さーて、今日は何をしようかしら」


 裁縫? 読書? それともお菓子作り? いや、こんな暖かくて気持ちのいい天気の日に家にいるのはもったいない。


「庭いじりは昨日したし、畑仕事は今日はお休みだし……」


 天使たちを休ませてあげたいので、畑仕事もお休みをきちんと設けてある。掃除はアイリスがやろうとするとみんなに止められてしまうので却下。


「どこか行こうかなぁ」


「お出掛けですか?」


 ジュノがひょこっとアイリスの後ろから出てきた。リスかと思った。


「せっかくのいいお天気だから出掛けたいとは思ったけど、どこがいいと思う?」


「うーん、花の都も花がいっぱいで綺麗そうですけど……あっ! そうだ、温泉なんていかがですか?!」


「いいわね、それ!」


 ジュノの提案にのって、早速出かける準備をする。

 目的が入浴なので女性のイオアンナに付き添ってもらう事にした。

 フローラと一緒に暑い日は水浴びをしたり、涼しい季節には湯浴みに行ったりしているので、幾つか秘密のスポットを知っている。


 その中でもフローラの管轄地内にある今の季節にピッタリな場所が思い浮かんだ。もし予想が当たればきっと、絶景を楽しみながら湯浴みが出来るはず。


 2時間弱ほどエルピスと馬に乗って移動すると、目的の場所に付いた。


「うわぁ、綺麗」


「ちょうど満開ですね」


 山桜が見頃を迎えて、ちょうど温泉が湧き出るところから眺めて入る事が出来る。

 前にも何度かフローラと一緒にお花見をしながら入った事があったので予想通りだった。


 早速衣類を脱いで足からゆっくりと湯に浸かる。ここの温泉は川の水と混ざりあって、少しぬるめのちょうどいい温度でゆっくりと浸かれるのがお気に入りだ。

 

「ごめんねイオアンナ、私だけ浸かってしまって」


「いえ、こうして足湯をするだけでも十分気持ちが良いですよ」


 今度からは2人天使を連れてきた方が良いかもしれない。そしたら交代で一緒に温泉を楽しんでもらえる。


 2人でボンヤリと山桜と青い空を仰ぎ見ながら温泉を楽しんでいると、ゾクリと背筋に嫌な感覚が走った。


「イオアンナ、何だか今イヤな感じが……きゃあっ!」


 足をグイィっと何者かに掴まれ、川の奥へと引っ張られる。


「アイリス様っ!?」


 パニックに陥りそうになりながらも、川の水を飲み込まないように必死で息を止める。引っ張られている足の方を見ると青い何かが見えた。足に激痛が走っているので、掴まれていると言うよりは噛まれているようだ。


 イオアンナがアイリスを助けようと剣を振るっているようだが、水に阻まれて上手く攻撃出来ない。

 やっぱり一人で人気のない場所へ来るのは無謀だった、と今更ながら思うがもう遅い。息が続かず水を飲み込み、意識が薄れそうになる。


 その刹那、足を引っ張っていた何かが雄叫びをあげアイリスの足を離した。


 朦朧とする意識の中、何度か馬の嘶きのような声が聞こえると誰かに体を抱き抱えられた。


「大丈夫ですか? 意識はありますか?!」


「は、はい。何とか……」


 どこかで見た事のある男性……。

 ゲホゲホと咳き込み思考が途切れる。水をいくらか飲み込んでしまったが、幸いどうにかなるほどでは無かった。それよりも足が痛い。


 意識を足に集中させ神気を流し込むと、痛みが無くなった。前よりは冷静に自分に癒しの力を使えるようになってきた。


「アイリス様! ご無事ですか?!」


「イオアンナ、大丈夫よ。あなたは怪我していない?」


「私はかすり傷程度ですから大丈夫です。こちらの方が助けに入ってくれて……主を助けて頂きありがとうございます」


 そう言えば抱き抱えられたままだった。改めて顔を見上げるとやはり知った顔だった。


「ダイン様、ありがとうございます。もう足は治しましたので下ろしてくださって結構です」


 アイリスがダインから下ろしてもらった瞬間、イオアンナが突然抱きついてきた。


「私は大丈夫よ?」

 

「ダイン様とおっしゃいましたか? 申し訳ありませんが後ろを向いて頂けないでしょうか」


「あ”っ、こ、これは失礼しました」


 ダインが後ろを向いたことを確認すると、イオアンナが急いで布を取りに行き巻き付けてくれる。自分が素っ裸なのをすっかり忘れていた。


「今急いで着替えますので、少しお待ちください」


 イオアンナに手伝ってもらって身支度を整えると、改めてダインにお礼を言う。


「お待たせ致しました。先程は助けて頂きありがとうございました」


「いえ、無事で何よりです」


 川の方を見ると、青毛の馬のような生き物が倒れていた。たてがみと蹄の代わりに魚のヒレのようなものが付いている。


「あれはもしかしてケルピーと言う魔物でしょうか」


 昔本で、ケルピーと言う水棲馬を見たことがあるのを思い出した。


「ええ、この川でケルピーの目撃情報があったので調べていた所なんです。ちょうどここの辺りを通りかかって良かった。アイリス様は水浴び中でしたか?」


「ここは温泉が湧き出ていて、ちょうど山桜を見ながら入浴出来るんです。いつもはフローラと一緒に来るんですけど、やっぱり1人で来るのはダメでしたね。今日は部下の方は一緒では無いのですか」


 ダインが今日は軍服を着ているので聞いてみると、下流の方から数人の声がした。


「ダイン様ー!」


「部下達は下流の方から、俺は上流の方から調べていたところなんですよ。アイリス様の着替えが終わっていて良かった」


 あぶないあぶない。危うく皆様に明るい陽の下で素っ裸をお披露目するところだった。やっぱりこれからはちゃんとフローラと一緒に来た方が良さそうだ。フローラなら誰か近づいてくれば直ぐに気がつく。


「ケルピーを倒したんですね! あっ……こちらのお方はもしかして……」


 ローブを着るのを忘れていたので、やって来た天使達がまじまじとアイリスとイオアンナの髪の毛を見る。


「おいっ、そうやって不躾にジロジロ見るな。俺はアイリス様を送ってくるからこいつの処理を頼む。報告書は後で俺が出しておく」


「ううっ、かしこまりました」


 ダインに拳骨で殴られていい音がした。こんな筋骨隆々のガタイの良い男に殴られたら、軽くでも痛そうだ。


「あ、そんな、送って頂かなくても大丈夫ですよ」


「大丈夫なわけないでしょう。現に先程襲われたばかりですし、他に魔物がいないとも限りません。自宅までとは言いませんから、人気のある街まで送りますよ」


 本当は街まで出てしまうとエルピスに乗れないし遠回りになってしまうのだけど、家の場所は教えられないので仕方がない。

 結局ダインに街まで送ってもらった。


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