9. 神気の恩恵
「そういう訳で、私はアイリスを抱けなかったよ」
アイリスの家へ赴いた日の顛末を、テスカは太陽の神殿で行われている会議で最上級神に報告し終えるとニコリと微笑んだ。
「うわぁ、テスカ。お前とんだ貧乏くじ引いたな」
ロキが片肘で頬杖をつきながら、ケラケラ笑っている。
困ったことになった。
セフィロスはあの日の夜、テスカから話を聞くとアイリスの家へとニキアスをとばした。
アイリスの自室へと行くと、ベッドの上で身をかがめて泣いているアイリスの姿があった。
話は全てテスカから聞いたと言うと、アイリスはただひたすら「ごめんなさい」と繰り返して、そのうち疲れ果ててセフィロスの膝の上で眠ってしまった。
万が一、アイリスが嫌がった時のことを考えて、セフィロスはテスカに相手をお願いした。テスカなら無理強いはしないだろうと踏んだからだったのだが、見事に的中してしまった。
――いっそうの事、割り切ってくれればいいのに。
セフィロス自身も神気を与えるために他の神と番う事はあるが、アイリスとするそれとは全く違う。だからアイリスも別物だと割り切ってくれると思ったのだが……。
そう思うと同時に、自分以外の者と交わることを拒絶するアイリスの事を、愛おしいとも感じてしまう。自分勝手過ぎる考えだ。
「ねえ、アイリスがここ最近ずぅーっと元気が無かったのって、もしかしてコレのせい?」
ルナが誰に、という訳でもなく聞くと、リアナが答える。
「多分ね。フローラからちょっと話は聞いていたから」
「なるほどね、そういう事か。ちょうどみんなに見て欲しい資料があって持ってきてたんだけど」
何か納得した風のセトが、雷の守護天使長に目配せして長い巻物を円卓の中心に広げさせる。
「この資料にはここ数千万年の犯罪数が書いてある。分かりやすいようにグラフにしてみたんだ。長すぎるからちょっと途中は端折ったけどね。ここがアイリスちゃんが立神した年。そこからずっと犯罪の数が減ってきている」
セトが指さす辺りから、確かにグラフは右肩下がりになっている。
「ずーっと辿っていって、ここ。この年からまた犯罪数が増えてきているんだよ」
右肩下がりだったグラフが、ある年を起点に右肩上がりに転じている。
「10年前?」
「10年前って言うと、セフィロスが地上に降りた年かしら?」
「僕もセフィロスが地上に降りたからだと思ったけど、以前1年間だけセフィロスが地上に降りた時には何の変化もないんだよ」
「セフィロスがいないということが原因じゃないとすると、他に10年前にあったことは……」
「「夏の神の誕生」」
ルナとリアナの声が重なった。
「まさか、この時からずっとアイリスは他の神と番うのが嫌だと悩んでいたって事かい?」
「アイリスならありえるわよ。あの性格だもの」
フレイが驚いていると、リアナが知ってるでしょ? と言う口調で答える。
「アイリスちゃんが立神してから……つまりその神気が天界に満ちてから犯罪数が減っているのは、アイリスちゃんの神気によるもので間違いないと思う。彼女の神気は夢や希望、幸福感を与えるからね。でもその神気が萎んでしまったから、また彼女のいなかった頃に逆戻りって訳さ」
「それならさ、最近魔物が多くなってきたのもそのせいかな? ねえロキ」
ルナがロキの方を向いて聞くと、ロキも何か閃いた様にパンッとテーブルを打った。
「あーぁ、そういう事か!負の感情には負の物がやって来る。こっちで魔物の出没数の統計整理してみたら、このグラフと同じになるかもしれないな。通りでここ1000万年で魔物の数が減ってきていたのに増えてきたのかと思ったら……アイリスはとんでもない奴だな」
「それにさ、兵たちの怪我や死亡者数も最近増えてきてない? 生き物っていうのはさ、心に希望があったり、幸福感が強いと何がなんでも生きよう、頑張ろうって思えるんだよね。それが少なくなるともうダメだ、諦めようって、ここぞと言う時の踏ん張りが効かない。だからじゃないかな」
ルナの言うことにセフィロスも心当たりが
ある。病死、死傷者数はアイリスが生まれてから少なくなっているように感じていた。
アイリスはいつも自分は何もしていない、何も出来ないと自信がなさそうにしているが、そんな事は全く無い。彼女の神気がもたらす恩恵は計り知れないのだ。
『天界をその神気で満たし、天界に生きる全ての者に恩恵を与える事』
その役割を、充分過ぎるほど果たしている。
「俺は別にいいよ、自分の子供とか興味ねぇし。そもそも、フレイとリアナの間に子供が出来るなんて思ってなかったし」
みんなでアイリスの神気について納得していると、ロキがおもむろに口を開いた。
「んんー、僕も泣いて嫌がる女神を抱くような趣味は持っていないしね。やるなら楽しく・気持ちよく、がモットーだから」
セトの言葉にテスカも続ける。
「私たちは良いとしても、下の神がどう言う反応をするか、だね」
「んなの、うるせぇ黙ってろ。とでも言っときゃいいだろ」
「アイリスのワガママと見られるよりはむしろ……」
リアナがセフィロスに目配せしてきた。
「私は今更、どう思われようと気にしない」
「……よね。多分セフィロスがアイリスの神気を独占しているとでも言われるんでしょうけど、あなたの事だもの。気にしないわよね」
虹の神が生まれる前から空に虹はかかっていた様に、夏の神が生まれる前から夏が来てきたように、新たな神が生まれなくともこれと言った問題は起きない。
ただ、新たな神気の恩恵を受けられない。それだけだ。
「セフィロスお前、アイリスの扱いに気を付けろよな。あいつの気分次第ですげー影響出んだから」
「あら、ロキ。たまにはいい事言うわね。まさかとは思うけど、癒しの力を使ったあの件で注意してから帰ってくるまで、何もフォローしていないなんて事ないわよね?」
リアナが意地の悪い笑顔を浮かべて迫ってきた。みんなの視線が痛い。
「…………」
「そろそろ本気で身体中の水分抜いてやるわよ」
「ついでに炙って」
「イカヅチ落として」
「剣で切り刻んで」
「燃やして灰にして」
「最後に大地に還ろうか」
「…………すまない」
アイリスを敵に回すと、6人もまた敵に回ることが良くわかった。
リアナが額を押えて盛大にため息をついてみせる。
「あーー、何でセフィロスって仕事は誰よりもこなすのに、こう言う事になるとてんでダメなのかしら」
「この分だと、アイリスちゃんもあと5000万年年位すればセフィロスに愛想尽きるかな。僕はそれまで待つとするよ」
「さあ、それはどうかしらねぇ」
みんなで笑いあっていると、ロキがテスカの肩をポンポンと叩いてニィっと笑う。
「とりあえずはテスカ、飲むか」
「はは、ロキ。私は別に傷付いたりしていないよ。セフィロスもそんな顔して見なくても、気にしなくていいから。だって、私のことを信頼してくれていたからこそ頼んできたんだろう?友達冥利に尽きるよ」
「……テスカ、ありがとう」
その後ロキが勝手に太陽の天使に命令して、酒の準備をさせていた。




