9. 花の都(5)
そんな話をしていると、すぐ近くのテーブルで大声で騒ぎ立てている輩がいる。
「どうなってんだこの店は! 料理の中に虫が入ってんじゃねーか。こんなもん食わせるなんて、とんでもない店だな」
「申し訳ございません。すぐに新しい物をお持ち致したします」
給仕係の女性と責任者らしき男性がペコペコと謝っている。どうやらサラダの中に虫が入っていたようで、怒鳴り散らしている。
「新しいの出されたって食えるわけねぇだろ。信用ならんね」
みんなの注目がこのやりとりに集まっている。が、フローラは見ていた。この男が何をしたのかを。
先程みんなと話している時、男が懐からコソコソと何かを取り出して、それを皿の中にこっそり入れていたのが、チラリと視界に入っていたのだ。つまりは自作自演だ。
確か記憶が正しければ、男はヒュストリクス商会の長男だ。色々と手広くやっている商人一家で、今いる店の反対側、西にある大きな酒場も経営している。
ここ何年かはこちらの酒場の方が質がいいと客が流れていると言うのを聞いている。おそらくその腹いせか、もしくは評判を落とそうとしているのか。
いずれにしてもくだらない。くだらないけれど、フローラはこの地の管轄者だ。おまけに今日はあいにく守護天使を連れていない。せっかく変身までして楽しんでいるというのに。
正体がバレるが出て行くか。とフローラが席を立とうとすると、先にアイリスがスっと席を立った。
「アイリス?」
何をするのかと3人で見ていると、アイリスは揉めている男たちの方へ近づき皿に手を伸ばす。
「あの、よろしければこちらのサラダ頂いてもいいでしょうか?」
アイリスの問いに一瞬、男がキョトンとしたがすぐに気を取り直して怒鳴りはじめる。
「は? 何言ってんだお前。突然割り込んできたかと思えば。おいっ、そんなフードなんて被りやがって、顔見せろや」
「あ、ごめんなさい。そうでした」
目深に被っていたフードをアイリスがフワリと取ると、その顔が顕になった。
「申し遅れました。虹の神のアイリスと申します。それで、こちらのサラダ捨ててしまうなら私が食べてもよろしいでしょうか。ずっと美味しそうだなーって思っていて」
騒がしかったビアガーデンは屋外だと言うのにシーンと静まり返り、突然現れた女神の方をみんな見ていた。
そんな事は気にせず「いいですか?」ともう一度アイリスが念押しして聞くと、男が口を開けたままコクコクと頷く。
皿を手にして戻ってきたアイリスは自分のハンカチに取り出した虫を包むと、何事も無かったかのように食べ始めた。
「あ、アイリス、それ食べるの? 虫が入ってたのよ?」
フローラが聞くとアイリスは美味しそうな顔を向けてきた。
「私も自宅で採れた野菜でサラダを作ると、たまに虫が入っちゃう事があるんですよね。緑色で分かりづらくて。あ、この虫はちゃんと、家の庭に埋めておきますよ」
「あ......、そう」
もういいや、とフローラは脱力する。セリオンもヴィーナスも、アイリスのとんでも行動にただ目を丸くして見ているしか出来ないようだ。
「あのう、本当にあの虹の女神のアイリス様ですよね?」
アイリスがパクパクと美味しそうにサラダを食べているところへ、中年のおじさん天使が話しかけてきた。
「はい。証拠とか無いんですが......神鳥でもお呼びしましょうか?」
「いやいや、こんな色を持ったべっぴんさん、間違いなく噂に聞く虹の女神様だ。なあ?!」
おじさんが周りのギャラリーに問いかけると、あっという間にアイリスの周りに天使たちが集まってきてしまった。
それをアイリスは怒るわけでもなく、嬉しそうに天使たちと話し出している。
――そうか、分かった。
セフィロスがローブを着せてまでアイリスの姿を隠したがる理由が。
アイリスには威厳という物が全くないのだ。
あのヘラヘラしているネプチューンですら、一般の天使や下級の神が声を掛けられないようなオーラくらい持っている。
そもそも一般の天使は高官か、その道の第一人者にでもならなければ、神と話す機会は無いに等しい。
なのにアイリスは誰もが見惚れるような美しい容姿をしておいて、高位神らしい風格だとか貫禄みたいなものがない。
むしろ子犬と対面した時のような、頭を撫でまわして可愛がりたくなってしまうような、そういう気分にさせる。
アイリスが何を話しているのか聞いていると、集まって来ている天使達とサラダ繋がりか何なのか、美味しいレタスの栽培方法について意見を交わしている。
何の話をしているんだ。呆れるより他ない。
「おう、ねーちゃん達も一緒に飲もーぜ!」
ビールを片手に持った、これまた別のおじさん天使が馴れ馴れしくフローラの肩に手をかけて話しかけてきた。
「気安く触らないでちょうだい、無礼者」
と、いつもなら一喝してやるところだか、楽しそうに天使たちと話しているアイリスを見ていると、何だかどうでも良くなってしまった。
セリオンとヴィーナスも同じだったようで、3人で顔を見合せて笑い合うと、天使たちと乾杯をし杯を空にする。
その夜は、誰が神で誰が天使なのかも忘れて、4人でとことん飲み明かした。




