10.
ひと月と言う時間は、何億年と生きているとあっという間の時間だった。ソフォクレスと過ごす最後の日を迎えた今日は、雲ひとつない青空が広がっている。
愛の天使全員と、ソフォクレスを迎えに来たパメラが応接間に入ってきたヴィーナスを迎え入れる。
「今日は爽やかでいい天気ねぇ。絶好の縁切り日和だわ」
「そんな言葉聞いた事ないですよ」
ビオンが突っ込みを入れると、天使たちがクスクスと笑い出す。
「ヴィーナス様、これまでお世話になりました。そして生んでくれてありがとうございました。こんな形で貴女の元を去る俺の事をどうぞお許し下さい」
跪くソフォクレスの頬をヴィーナスはそっと手のひらで包む。
生み出してから何億年と傍にいて見慣れたその顔を、もう見ることは無い。ぎゅうううと心臓が握りつぶされるように苦しくなる。
「私たち神はね『どんな者に傍にいて欲しいか』をイメージしながら守護天使を生むのよ。ソフォクレス、あなたを生み出すとき私が何を想いながら命を吹き込んだと思う?」
今にも涙が零れ落ちそうなソフォクレスの目をじっと見据え、ヴィーナスは愛の天使達を生んだ時の事を思い出す。
「『愛に溢れた天使が欲しい』そう願ったの。そしてあなたは、私の望んだとおりの天使だった」
「ヴィーナスさま……」
「ソフォクレス、あなたは私が生み出した自慢の天使よ」
ヴィーナスがニコリと微笑むと、ソフォクレスの瞳からボロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
ふえぇぇぇ、と天使たちが泣き出す声が部屋にこだまする。
「ソフォクレス! お前絶対に幸せになれよな! じゃなきゃ俺はお前を絶対に許さない。お前が死んでからだって許さないからな!!」
ビオンが涙でぐちゃぐちゃになりながらソフォクレスの肩を掴むと、2人は抱き合って更に泣き出した。
「いやねぇ、男2人で大泣きして。さあ契約を切りましょう」
ヴィーナスがソフォクレスの額に手を当てると、ソフォクレスは目を閉じた。
「私、愛の神ヴィーナスと愛の守護天使ソフォクレスは、今この時を持って縁を切り、契約を解除するものとする」
額に当てた手を離すと、ヴィーナスとお揃いだったピンクブロンドの髪はただのブロンドに、金色の瞳は青く変化した。
「ふふ、ブロンドに青の瞳でも男前よ。ねぇ、パメラ?」
「はっ、はい。よくお似合いです」
ヴィーナスはテーブルに置かれた羊皮紙にソフォクレスとパメラにサインをさせると、続けて自身のサインを一番下に添える。婚姻届だ。
「これで今日から晴れて2人は夫婦よ。私直々に受理のサインを入れてもらえるなんて光栄でしょ?」
普段、婚姻届を受理したサインなど神殿で働く普通の天使にやらせているのだが、今回は特別にヴィーナスが入れる事にした。
幸せそうに肩を寄せ合い、愛の神殿を去っていく2人を愛の天使達と見送った。
この日以降、ヴィーナスがソフォクレスと会うことは無かった。
神であるヴィーナスが官吏でもない一般の天使と会うことなど殆どない。一般の天使になったソフォクレスとしてのケジメだったのだろう。ただ、毎年工房から花の漉き込まれた紙だけは送ってきてくれた。
何十年かした後、風の噂でソフォクレスが亡くなったことを耳にした。
天使に個別の墓は存在しない。
天界に居れば誰もが知っている。死ねばその魂は天界の最下層で裁かれ、次の転生を待つことを。生者が死者を想う時は皆、天界の最下層に想いを馳せる。
世間ではソフォクレスの事を「真実の愛を貫いた」と評するものも中にはいたが、やはり「裏切り者」と言う見方が大半だった。
だから彼が死んだ時、神を裏切る大罪を犯したソフォクレスはきっと地獄に落とされるだろう、としきりに囁かれた。
でも、ヴィーナスは知っている。
テスカならば彼の魂を地獄に落とすことはしないだろう。誰よりも清らかで真っ直ぐな、愛に溢れた魂である事をきちんと見抜いて下さる。
――愛が好き。
何よりも心を熱くさせ、激しく揺さぶり、満たしてくれるもの。
愛を最も愛する神。
それが私、愛の女神。
これで完結となります!ここまでお付き合い頂きありがとうございました( .ˬ.)"