6.
ヴィーナスの予想通り、花の漉き込まれた便箋で書かれた手紙を受け取ったフローラが、愛の神殿へやってきた。今はヴィーナスとフローラの2人でお茶をしている所だ。
「ほんと、この紙素晴らしいわ。季節の生の花を入れるなんて!」
「ええ、そうですよねぇ。私も初めて見た時感動しました」
「1枚1枚、ひとつとして同じ紙ではないって言うところも素敵ね」
フローラはかなり辛口で評価の厳しい神だが、花の紙はものすごく気に入ったようで手放しで褒めたたえていた。何だか自分が褒められているように嬉しくなってしまう。
「セト様にはお見せした?ウラノスセレクションに推薦したらいいわよ」
「確かに! そうですね。後でセト様に推薦状を書いてみます」
ウラノスセレクションは天界で優れた製品に贈られる賞の事だ。最上級神が毎年交代で選抜しているのだが、今年はセトがその担当だ。
もし賞が贈られれば箔が付くし、注文が殺到する事請け合いだ。工房のみんなもきっと喜ぶだろう。
「わたくしからもセト様に推薦するわ。ソフォクレスもいい工房に行き当たったわね」
「はい。工房の御家族の方もとても親切で良い方達ですし、ぜひ推薦して頂きたいです。冷めてしまったようなので、いま新しいお茶をお持ちしますね」
ソフォクレスがティーポットを取ろうとすると、身を屈めた時にポトリ、と白い布地がテーブルの上に落ちた。
「あら、何か落ちたわよ。ハンカチ?」
前回パメラに会った時に貰ったハンカチだった。使うのは何だかもったいなくて、ずっと懐のポケットに入れて持ち歩いている。
「いい刺繍ね、胡蝶蘭じゃない」
フローラはハンカチを拾うと、顎に手をやりながら考えるように刺繍を眺める。
「胡蝶蘭の花言葉は何にしたんだったかしら。えーっと、そう『純粋な愛』だわ。それも、ピンク色だから『あなたを愛してます』。ソフォクレス、まさかあなた女性に貰ったの?」
「え"っ、あー、えーと」
2人の視線、特に主であるヴィーナスからの視線が痛い。
「遊ぶなとは言わないけど、本気にさせちゃダメよ。いくら愛の天使だからってね」
「ははは、そんなんじゃないですよ」
ティーポットを持って、そそくさとテーブルから離れて新しいお茶の準備をしに行く。
胡蝶蘭の花言葉なんて知らなかった。花言葉を調べると言う趣味は持っていないし、花言葉を決めているフローラに見られなかったら、一生知らないままだったかもしれない。
パメラは胡蝶蘭の花言葉を知っていて刺繍を施したのだろうか。
(まさか、そんな事ある訳ないか。単純に、パメラが胡蝶蘭が好きなだけだろ。)
それなら何で、自分が守護天使だと言った時にあんな表情をしたんだろう。このハンカチを渡してきた時に、何であんなに悲しそうな、苦しそうな顔をしていたんだろう。
分からない。
知りたい。
自分がパメラの事ばかり考える理由を。
******
「まさか、守護天使だっただなんて」
既婚者かもしれない、そうでなくとも恋人くらいは居るかもしれないとは思っていた。でもまさか、守護天使だったなんて。
守護天使は天使の中でも本当に僅かな数しかいない。神と同様、凡人が関わり合う機会なんてほぼ無いに等しい存在だ。
一瞬にしてパメラの恋は終わった。
思い出してポタポタと涙が流れるがままに泣いていると、いつの間にか義姉がスヤスヤと寝ている赤ちゃんを抱いたまま部屋に入ってきていた。
「あのハンカチ、ソフォクレス様にお渡ししたの?」
パメラはちり紙で鼻をかみながら頷く。
次に会った時、告白しようと思って用意していたハンカチだった。今思えば、結婚しているかどうか、恋人がいるのかどうかも聞かずに言おうとしていただなんて、余りにも無鉄砲過ぎだったな、と思う。でも、答えなんて何でもいいから想いを伝えたかったのだ。
「せっかくソフォクレス様の為に作ったから……」
未練タラタラ。ソフォクレスがあの刺繍の意味に気づくかどうかなんて分からない。いや、気づかなくていいし、気づいた所でどうだと言うのか。
愛の守護天使長だと言うのなら、もう何億年と生きている。パメラはその長い年月の内に出会った、取るに足らない存在でしかない。すぐにパメラの事なんて忘れ去ってしまうだろう。
「パメラ、恋の傷には新しい恋よ! ほら、コリウスさんの所の次男が今度食事でもって言っていたじゃない!行ってきてみたら?」
正直そんな気分にはなれないが、このままだといつまでも断ち切れそうもない。気分転換に誰かとデートしてみるのもいいかもしれない。
甘い夢を見るのは、これで終わりにしよう。