20. 永遠を誓う
なんて事をしてしまったのか。
後悔してもし切れない。
こうして部屋にこもって泣いた所でどうにかなる訳でもないのに。
「アイリス様、リアナ様がお見えですけれどどうなさいますか?」
ノック音と共にドアの向こう側からジュノの声が聞こえてきた。
「誰とも会いたくないの……ごめんなさい」
返事を返すや否や、バーンっとドアが勢いよく開いた。
「アイリス、入るわよっ!」
鼻息も荒く部屋に入ってきたリアナはこちらを見ると、サッと顔色を青く変えた。
「なっ……なにこの傷は?!」
リアナが恐る恐る触れてくるアイリスの身体には、包帯が全身に巻かれている。
リアナに貰った聖水をどんなに沢山飲んでみても、どんなに身体を擦って洗ってみても、舌を這う感覚を体が忘れてくれない。体の中に捩じ込まれ、流れ込んできたダインの神気を忘れてくれない。
「湯浴みをされる度に体を乱暴に擦ってただれてしまって……何度も力を使って治して下さいとお願いしているのですが」
ジュノの声が今にも泣き出しそうに震えている。
「今治すわ」
アイリスはリアナがかざしてきた手を反射的に払い除けた。
「いいんです、治さないでください! どうか私に罰を与えてください……どうか……」
ダインの受けた傷はこんな物では無かった。命は取らないと約束してくれたけれど、恐らくあの傷は治しては貰えない。
「アイリス……」
リアナはアイリスの肩を抱き寄せると耳元で小さく囁いた。
「忘れましょう」
ハッとリアナの顔を見ると、真っ直ぐに見つめ返された。
「水に流して忘れましょう。あなたからダインの記憶を消してあげるわ」
水流しの術。
アイリスの家を建てた職人にもこの術をかけて記憶を消していた。
これまでのことを全て忘れてしまえば……
そうしたら体に残るこの感覚を忘れる事が出来る。罪の意識に苛まれなくて済む。楽になれる……?
「……いいえ、それならダイン様を忘れない事が私の罰にして下さい。私だけ忘れて何事もなく暮らす事など出来ません」
「はぁ……そう言うとは思ったけれど……。一生部屋に閉じこもって過ごすつもりなの? そう言う訳にはいかないでしょう。時間が必要なのは分かるわ。でもセフィロスには会いなさい」
「セフィロス様には……セフィロス様《《だけには》》会いたくありません」
「アイリス大丈夫よ。あなたがあの日ダインに会ってしまったのは偶然で、無理矢理連れ去られたという事はちゃんと知っているから。セフィロスは怒ったりしないわ」
「叱られるのが怖いんじゃないんです……そうではなくて……」
ゴクリ、と唾を飲み込む。
アイリスがセフィロスに会いたくないのは命令を破って怒られるからじゃない。
他の神の手にかかったからじゃない。
あの日からずっと頭を離れない。
『離縁』
の2文字が。
「も、もしお会いしたら……きっと、りっ……離縁されてしまいます」
もうこんな面倒事ばかり起こす女神など、いい加減愛想を尽かしてしまうだろう。
どんなに真面目で責任感が強く、実直な性格のセフィロスでもきっと手元に置いてはくれない。
迷惑だとは分かっていてもなお、妻と言う座に居座っていたい。同じだけの愛を欲しいなんて言わないから傍に置いて欲しい。
「そんな事を心配していたの? 仕方のない子ね」
嗚咽を漏らして泣くアイリスの背をリアナは優しく摩ると、ドアの向こう側に向かって話しかけた。
「聞いていたでしょう? アイリスをこんな不安な気持ちにさせるなんて、ほんと貴方って気が利かないわ!」
いつから居たのか。
セフィロスがドアの前に立っていた。
「アイリス、私が其方を手放す訳が無いだろう」
素直に頷き返せたらどれだけ良いだろう。
今はそう言ってくれても、気持ちなどすぐに変わってしまう。
永遠の愛を誓いあっても、天使たちが別れていくのを何度も見聞きしている。
何組もの神達が結婚の契りを切ったのを見てきた。
「私の言葉を信じられないか?」
セフィロスがアイリスの顔を覗き込んでくるけれど答えられない。
「それならこうしよう。リアナ、其方には証人になって欲しい」
「……良いわよ」
セフィロスの言葉にリアナは困ったような顔で笑い返した。
一体何の話をしているのか。
よく分からないまま2人を見つめていると、セフィロスはリアナの前に跪いた。
「私、風の神・セフィロスは虹の神・アイリスからの申し入れが無い限り、結婚の契りを解くことは無いと水の神・リアナに誓う」
「了。その代償は」
「私の命と引き換えに」
「……了。私、水の神・リアナはこの誓いの証人として術を施すものとする」
リアナはセフィロスの額に手をやると、一瞬だけ薄水色のような光が溢れた。
「これで私が一方的に結婚の契りを切れば、私は死ぬことになった。どうだ、これで少しは安心出来るか?」
「なっ……そんな……!」
驚愕のあまり絶句してしまう。
そんな誓いをあっさりと立ててしまうなんて信じられない。
「其方を安心させたくてしたのに、そんな顔をしないでくれ。そろそろ傷を治そう」
セフィロスがアイリスの体に手を滑らせると、フワリと暖かい風が吹く。
そのままその手をアイリスの頬へと寄せたセフィロスが微笑みかけてきた。
「今度は私が憂う番だ。いつ其方に愛想を尽かされて、離縁の申し出をされないかと案じなければならなくなった」
「そんな日は永遠に来ません……。ですから憂う必要なんてありません」
セフィロスに腕を伸ばして抱きつくと、今度はエレノアの助言が無くてもぎゅうっと抱き締め返してくれた。
「さーて、おじゃま虫は退散しようかしら。ほらみんな、行って行って!」
開いたドアの前に集まって見ていた天使たちが、リアナにグイグイと押されて「はぁーい」と元気よく返事をしている。
みんなにはとんだ心配をかけてしまった。
「ふふっ、セフィロス様。天使共々これからもどうぞよろしくお願いします」
重ね合う唇からは、セフィロスの春風の様な甘い神気が流れ込んで来る。
証人は居なくても、アイリスにも誓える。
永遠の愛を。
3章本編はここで終わりです。次回からは番外編のお話を投稿します(*´∀`*)