夜明けの絶望
天気予報では晴れだったが、夜には雲が出て星を隠してしまった。
せっかく高い場所にいるのだから、星空を見たかったけれど仕方ない。
オレはどこまでも運が悪い。
だが、満月の日を選んだのは良かった。
明るい月が周囲を照らして、薄い雲がぼんやりと光り、光の層を作っている。これはこれで綺麗だ。
風が無いせいか雲の動きが少ない。
相変わらず星は見えない。
はぁ。と息を吐けば小さな雲が口から浮き出て行った。
やっぱり、夜の山は厚着をしてきても少し寒い。
本当は星空が見たかった。
小学生4年生の頃。まだ母親が生きていて、家族でキャンプに来た時に見た天の川は未だに忘れられない。
見上げれば空一面の星。寝転んで見上げれば、まるで星の中にいるみたいな感じがした。
父親と母親と手を繋いで寝転んで、ちょっと気恥ずかしかったけど、繋いだ手が暖かくてちょっと泣きそうになった。
あの時は本当に幸せだった。
誰が想像するだろう。
2年後に母親が病死するなんて。
病気が分かって、入院してあっという間だった。半年もかかっていない。
まだ若いから進行が早かった。と医者は言った。
なんだよ、若いから早く死ぬって。
なんだよ、それ。
泣き崩れる父親に何て声をかけていいか分からずに、通夜も葬式も終わった。
叔母さんが父親に喝を入れて動かしてたけど、葬式が終わって初七日が終わると帰って行った。
最後までオレや父さんを気にかけてくれていたけど、叔母さんにだって家族がいて生活がある。そんな簡単な事を従姉妹に言われるまで気づけなかった。
「そりゃ叔母さんが亡くなったのは同情するけど、うちだって母さんがいないと困るのよ。叔父さんもいるんだから大丈夫でしょ」
あの後、従姉妹は叔母さんに怒られていたけど、その通りだと思った。
オレは父さんと2人で生きていかなきゃいけないんだ。
予想以上に母さんのいない生活は大変だった。
家事もろくにしたことがない父さんとオレの食事は大抵がスーパーの惣菜や弁当で、仕事する父さんの代わりに出来るだけ家事はオレがした。
中学は部活に入る暇はなく、学校が終われば帰ってスーパーに行って料理本を片手に料理を作り、洗濯物を取り込んでたたむ。
早く帰れる日は父さんに頼まれて銀行に行ったり、役所に行ったりして、休日は父さんもオレも疲れててほぼ半日を寝て過ごす事も多かった。
友達と遊ぶ時間も精神的余裕もなかった。
気がついたら、小学生の友達とは疎遠になっていた。
別に仲の良い奴はいなくても、クラスメイトとは話すし、仲間外れにされてる訳でもない。
どうでもいい奴。
そんな感じだろう。
そうこうしているうちに中学1年は過ぎて、家事にも慣れた2年の春の修学旅行で隣のクラスの女子に告白された。
その子の事はよく知らなかったし、付き合う様な余裕は無かったので断ったのだが、それからちょっとずつオレの周囲が変わっていった。
最初はなんて事のない違和感。
オレが発言する度に誰かが笑う。それもくすくすって感じで小さな笑い声。
後、オレを見ながらヒソヒソと内緒話のような会話。全部は聞こえない。たまにオレの名前とか嫌な言葉が漏れ聞こえる。
そんな居心地の悪い思いが半年近く経った頃、一度先生に相談をしてみた。
みんなに避けられているような気がする。と。
担任は「気のせいじゃないの?もうしばらく様子を見てごらんなさい」と言った。
今思えば、波風を立てたくなかったんだろう。
2年の2学期だ。来年は受験もある。
担任も微妙な虐めに関わりたくはなかったんだろう。
結局、うやむやのまま3年になり、虐めは加速した。
新しいクラスメイトにカーストトップの様な奴がいた。
そいつがオレに絡んできたのは新学期が始まってすぐだった。
休み時間にプロレスだと言って技をかけられたり、野球だと言ってボールを当てられたり、遊びを真似た虐めから教科書やノートを隠されたり、破られたりする物損まで発展した。
なんとか対処しようとしたけど、1人じゃ無理で、担任に相談したら「お前が強く止めろ!って言わないせいじゃないのか?嫌なら嫌だとちゃんと伝えてみろ」と言われた。
先生、そんな事で止むなら相談なんてしてないんだよ。
この後、担任にチクったと殴られたり蹴られたりした。あいつらはボクシングだと言っていたが、複数で殴ったり蹴ってる時点でボクシングじゃないし、オレはするとも言ってない。
放課後は校舎裏で暴力を振るわれたり、制服を脱がされて下着一枚や全裸にされてスマホで画像を撮られたり、動画を撮られたりした。
暴力を振るう奴らも、撮ってる奴も、ゲラゲラと笑っている。
何が楽しいのだろう。オレには一生理解ができない。
それを脅しに、1学期の終わりには金をせびられ、夏休みも呼び出されてバイトの金を取られたりした。
父さんには言えなかった。
虐められている惨めなオレを知って欲しくないし、心配もかけたくない。
たまに言い争いもするけど、父さんとは話もするし、仲は良いと思う。
卒業までの我慢だ。
オレは定時制か夜間学校に行くつもりなので、卒業してしまえばあいつらとは会わない。
我慢すればいい。
そう思ってたんだ。
2学期になると、要求する金額が増えていった。
最初は1万とかだったのに、最近は10万持ってこいと言われる。
拒否すれば集団リンチをくらう。
怪我して帰ってきたオレを見て、父さんは心配して何があったのか問い詰めてくる。
言いたくなくて、心配されたくなくて、ほっとけよとかそんな言葉を吐いて拒否した。
教室でも度々殴られる時があった。担任も何度か見ているはずなのに「暴れてないで席に着け」としか言わない。
担任の中ではオレが悪いのだろう。
他の先生に相談する気持ちも無くなっていた。
どうせオレが悪いって言われる。
これだから片親は。って陰で言うんだ。
後もう少し。冬を乗り切れば、終わりだ。
そう思ってたけど、跳ね上がる金額と暴力に疲れてしまった。
一昨日、50万持ってこいって言われた。
無理だそんな金なんて無いって何度も言ったが、母親の保険があるだろう?と言われた。
もうすでにオレの貯金は無くて、父さんが稼いでくる生活費にまで手をつけている。
無理だよ。
あいつらは家に取りにくると言っていた。
父さんにまで怪我をさせられたらと思うと怖かった。
–––––––––– だから、死のうと思ったんだ。
見上げていた星が少なくなり、東の空が少しずつ白くなる。
紺色と白とオレンジのグラデーションを見ながら、以前テレビで見た宇宙からの夜明けを思い出した。
父さんと「綺麗だな」って呟いたら被ったんだよな。親子だなって笑ったっけ。
父さん。ごめんな。
オレ、あんまりいい息子じゃなかったかもしれない。
でもさ、照れ臭くて言った事はないけど、父さんを尊敬してる。大好きだよ。
–––––––––– ありがとう。本当に、ありがとう。
スマホのアラームが鳴った。
明け方が近い事を知り、オレは隣にそびえる鉄鋼を見上げた。
無骨な鉄鋼の上に結んだ縄が風でゆらっと動く。
なんだかそれが不似合いで少し笑えた。
山の上の作業場。
錆びた鉄骨と積まれた土砂が残る裏寂しい風景。
こんな場所しか思いつかなかった。
もっと綺麗な場所の方が良かったかな。
でも、時間がない。
決心が鈍るからアラームを設定した。スマホの画面には父さんからたくさんの着信があった。
もう一度話したかったけど、決心が鈍るからスマホの電源を切る。
ここなら迷惑はかからないし、発見も早いんじゃないかな。
遠くに車が走る音が聞こえる。
寂しくて、汚ない場所。
立ち上がってもう一度鉄骨を見上げる。
頭上の空は、雲が流れて小さな星が見えた。
あの時見た天の川には負けるけど、綺麗だと思った。
「あーあ、………死ぬの、嫌だな……」
呟いた言葉は誰の耳にも届かずに消えて行った。
明け方に捜索願いが出された中学生の死体が発見された。
足元に置かれた遺書と、自宅の机に置かれた遺書が本人が書いた物だと分かり、父親は学校と相手と相手の親を訴えた。
それは連日マスコミを騒がせて、虐めの動画が多数見つかり、学校の対応の悪さや虐めの内容等がニュースや報道番組等で取り沙汰される。
訳知り顔で「痛ましい事件です」とキャスターが呟き、著名人が議論を交わす。
校長は謝罪会見をし、見ていただけのクラスメイトはこんな事もあった、可哀想だったと沈痛な面持ちで証言をする。
ネットでは虚偽も含めて、虐めの実行犯の実名が流れた。
それにより、加害者は転校を余儀なくされた者もいる。加害者の親たちも肩身の狭い思いをしながら転職や引っ越しをした者も多い。
善意なる悪意は全国を巡り、更生を強要し加害者は追い詰められていく。
もはやマスコミに事件が流れる事は無くなっても、加害者たちは自分たちを害する社会の目に恐怖する。
息子の死から5年が経った。
父親は妻と息子が眠る墓へと訪れた。
未だに加害者から謝罪であろう手紙が届く。だが、封を切る事はなく受け取り拒否として突き返す。
謝られても息子は還ってこない。
あんな奴らの手紙を読んで、罪の気持ちを軽くしてやる事は永遠にあり得ない。
あいつらを俺は生涯許さない。
一度は引越しも考えた。
けれど、妻と息子の思い出が溢れる家を処分するのが忍びなくて諦めた。
息子の部屋も掃除はするが物の場所は変えていない。まるでどこかに出かけていて、ふらりと「ただいま」と帰ってきそうな気がする。
何度も何度も家のあちらこちらで面影を見つけては涙する。
なんで、お前が死ななきゃならなかった。
どうして、相談してくれなかった。
優しい子だった。
財布から金が減っているのは気がついていた。それが段々と頻繁になっていたのを心配していたが、言ってくれるのを待っていた。
だが、あの日。息子が死を選んだ日に、無理矢理にでも話を聞こうと思っていたのに、全てが遅かった。
怪我をしていた事もあったし、なによりも笑う回数が減っていた。
仕事にカマけて、ちゃんと向き合おうとしなかった俺が悪い。
前日に吹っ切れた様な笑顔で「いってらっしゃい」と見送ってくれた息子の変化を見逃した。解決したのか、聞こうと思っていたのに帰れば家は暗くて、誰もいなかった。
息子の部屋に置かれた遺書と俺への手紙を読んで目の前が真っ暗になった。
何度もかけた電話は繋がることがなく、息子の友達に聞こうにも誰一人として名前も顔も知らない。
何も知らなかった。
たった一人の息子の事なのに、何も、知らなかった。
警察に言ったが「家出じゃないんですか?明日まで待って見れば?」などと言うので叩き切って、深夜の交番に駆け込んで息子の遺書を見せて一緒に探させた。
そして、明け方。息子の死を知らされた。
なんで、お前が死ななきゃならんのだ。
お前が何をした。
不甲斐ない。
本当に、不甲斐ない父親だった。
「すまない…すまない……」
父親は手を合わせて、妻と息子の冥福を祈り続け、何度も謝罪する。
自分を許す事は無いだろう。
これから、恨みも哀しみも後悔も全部背負って生きていかなきゃならない。
未だに終わらない裁判も残っている。息子の死を無駄にしたくない。
長い語らいを終えて、軋んだ膝を伸ばして立ち上がる。
「また来るな」と2人が眠る墓に声をかけて歩き始めた。
ふと見上げた空に一番星を見つけて、昔見た天の川を思い出した。