邂逅(病葉)5
「いえ、そんなことはないですよ。これは勝手な持論ですが、あまり対等の立場の人間が話す、と言うのは良くないんですよ」
「……いや、それは流石に暴論じゃないか?」
「前提を忘れてはなりません。一応この場面の趣旨は、私があなたに説明する、と言うようなものですから。世間話がしたい、親睦が深めたい、のならともかく。そういう事ではないですからね」
「俺がお前に教えることだって……」
「なにかあります?」
態と遮るように、満面の笑みを浮かべて見せた。じっと、彼の目を見つめると、逸らされた。
「……いや」
ない訳なかろうに。自己評価の低い奴め。
いや、此方に対する評価が高すぎるだけか。そう仕向けた節はあるから、当然の結果なのだが、これはこれで物足りない。
「そう言われると、俺ばかり施されてる気がして気持ちわりいな」
ふむ。
「珈琲入れてくれるじゃないですか」
「いや」
成程。釣り合ってない、と。
私の中では十分なのだが、まあ、その辺を語ったところで、変な顔をされるのが、オチだろう。
「……と言うのは建前で、本音としては、ただ私が貴方に上から物を言いたい、と言う、ただ、それだけなんですけどね」
「は?」
「私の話が、貴方の利益になるというのなら、気持ちよくお話させてくれても、いいじゃないですか」
「はあ」
「つまり、今までの小理屈は、私が上から目線で話すための言い訳です」
「それは流石にぶっちゃけすぎだ」
ヤツカは、ガシガシ、と乱暴に頭を掻く。混乱してるのは分かるが、禿げるぞ?
「え?何?俺の事、からかって、遊んでんの?」
「そういう発想が瞬時に出るのは、警戒心が強くて良いと思います」
「なんじゃそりゃ」とでも言いたげな表情を見せた後、頭を抱え込み、ガバリ、と上げた。
「分かった。直球に聞くが、なんで急に本音を言ったんだ?隠しときゃいいだろ、あんなもん」
あんなもん、て。
人は誰しも、人よりも優位に立ちたい、と思い、そのために行動してるもんだろ。
皆が思ってるようなことを、わざわざ隠す意味がない。
「親交を深めたい、という気持ちがあるから、ですかね」
「はあ、」
「何か言いたいことがあるなら、言ってみては?」
「じゃあ、言うが……気持ちは分からんでもないが、俺が混乱してんの分かってるよなあ?」
「まあ、そうですね」
「じゃあちっとは俺にも気を遣え」
気を遣え、とな?
これでも、譲歩している方だと思うんだがなあ。
「いいじゃないですか。そのうち慣れますよ」
「いや、これに慣れるのも怖いんだが」
「慣れとはそういう物です」
ここで会話を切ろうとしたのだが、まだ納得いっていない様子だったので、仕方なく続ける。
「混乱する程度では、人は死にませんよ?それを対価に知識が得られるなら、安いものではないですか」
「やす、うん、まあ」
暫く黙っていたヤツカだったが、ふと口を開く。
「分かった。俺とお前の優しさの基準がずれてんだわ」
「それは当然の事象なのでは?」
「これがちょっとズレてる、位ならまだ理解出来るんだが、お前の優しさは、訳が分からん」
「……はあ」
「変人ってよく言われるだろう?」
「まあ、否定はしませんが」
「つまり、お前の方が、世間から著しく乖離してる、ってことだ」
何だか、勝ち誇ったような顔をされた。
言い負かしてやりたい衝動に駆られたが、やめておく。言ってることは間違いではないからなあ。
「で、納得してもらえました?」
「ん?ああ、素が出てこない理由な、分かったわ」
「そうなんですか?まだ理由、ありますけど」
「……因みにあと何個あるんだ?」
「今のところ、十個くらいですね」
「……」
黙り込んでしまった。
そんなに驚くことだろうか?物事を決める要因は、決して一つではない。逆に、一つしか理由がなかったら、その理由が、余程、大きな比重を持たない限り、行動に移されることは、ないのではなかろうか。
「今のところ、って事は、話してるうちに、増えるのか?」
「その可能性もありますね」
「永遠に終わらねえじゃないか。そんなの聞いてられるか」
「そうですか……それは残念です」
今まで何となく思っていた、理由もどきの物を、思考の外へ追い出す。
部屋の掃除でもしているような気分だ。
「一つ、聞きたいんだが」
「何です?」
姿勢を正してきたので、此方も少し身構える。
「どうやったら、そんな思考になるんだ?」
「どう、と言われましても……」
「例えば、実は生まれは日本ではない、とか」
「いえ、日本生まれ、日本育ちです」
「例えば生まれた家が特殊、とか」
「いえ?ごく普通の一般家庭ですが?」
「例えば、人に言えない過去がある、とか」
「いえ、特には……」
「例えば、IQがとんでもなく高いとか」
「高かったら、こんな所にはいないんですよねえ」
「いや、普通は人と話すくらいで、そんな面倒な事をごちゃごちゃ考えないだろ」
「表に出さないだけで、皆さん考えているのでは?」
「そりゃ多少は考えるだろうが、人を手玉に取るのが、上手すぎるというか。普通に暮らしてて、そんな技術身につくもんなのか?」
いや、流石にそれは褒め過ぎだろ。
「今回は偶々こうなっただけです。運が良かっただけでしょう」
「そんなわけ……」
「あ」
「ん?」
私の声に驚いたのか、呟くのをやめ、じっとこちらを見つめる。
「本のお陰かもしれませんね」
「そんな訳ないだろ、と言い切れないのが辛い所だな」
「おや、意外ですね。本は読まないんですか?」
「あんまり」
ふうん。理解力は結構ありそうなのに、勿体ない。
「だって所詮は誰かが考えた偽物な訳だろ?そう思うと、読む時間が勿体ない気がしてだな」
人の事を責める割には、自分も結構なことを言うじゃないか。読書好きの人間に、本を読むことの無駄さを説くとは。
気持ちは分からんでもないが
「まあ、嫌なら無理に読め、とは言いませんよ。意味だけ求めても、長続きはしないでしょうしね」
「ん?」
「私は楽しいから本を読んでいるだけです。例えどんなに大きな利益があったとしても、楽しくなければ、いずれ、やめてしまうでしょう。大事なのは、自分がやりたいか、やりたくないか、と言う事です」
意味を咀嚼しているのか、何も言わず、ただ、自らのカップに口を付けた。あの、中身の液体のことを思い出し、眉がかすかに動いたことを自覚する。
「思ったより、論理的じゃないんだな」
「論理的人間を自称した覚えはないのですが」
沈黙。
いや、勝手にレッテルを張っておいて、それとは違うんだな、と言われても、私の知ったことではない。勝手に勘違いしてただけだろう。
とは言え、このような微妙な空気はあまり好きではないので、話を戻す。
「……前提として、誰がなんと言おうと、私は私を普通だと思っているので、私が可笑しい理由を述べよ、と言われても困るのですよね……。他の人と違うところとして、思い当たるのは、読書量くらいです」
「うん。分かったわ」
「分かったんですか」
納得できないだろう、と思って、泣き落としでも、しようか、と思っていた所だったのだが……。
「お前の頭が可笑しい、と言う事が分かった」
「む」
「理解しよう、と言う気が消え失せた」
ぬ。こっちは丁寧に説明してやっているというのに、そういう開き直りを見せるのか。潔過ぎて、逆に関心してきたわ。
「いや、流石に傷つきますが……」
「あー、語弊があったかもしれない」
「と言いますと?」
「俺は、お前がずっと分からなくてだな、分からなさ過ぎて、何でこんな人格なんだ?どうしたら、こんな人間が生まれるんだ?みたいなことを考えてたんだ」
「はあ」
語弊、と言うか、より失礼になってないか?そんなに変か?
……そんなにか?
「で、それを考えることをやめた、って事だ。なんか良く分からんが、そう言う奴なんだ、と思う事にした」
「なるほど。それは賢明ですね」
その人間が、その性格になった理由、なんて、本人ですら、分からないことが多いというのに、他人が理解できるような事でもないだろう。
そこを理解させようとしたら、生まれて間もない記憶から説明しなきゃならんからな。流石にそれはちょっと……。
「無論、相互理解を諦めたって事ではないからな」
そう言うと、自分の仕事は終わった、とでもいうかのように口を閉じた。
「……で、次の話題に行けと?」
ヤツカは黙って頷く。
段々太々しくなっている気がする。もう慣れたのだろうか?
「ん-、かなり話が脱線しましたけど、何故、女嫌いが分かったか、と言う話をしてましたっけ?」
「そうだな」
「まあ、一つ目は、私の内面的な話が過多になりますが、それでも良ければ話しますよ」
「聞こう」
食い気味に、返事をされる。
そんなに面白い話でもないんだがなあ。




