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ミオゼルガ王子の命を受け、アゴルニアの王宮を出発した兵たちの一団の中に、シュウの姿はあった。彼は偽名を使い、兵の中に紛れ込んでいた。誰一人として、彼がグレン王子の私兵であることは気がついていない。長年王の兵に紛れて仕事をしていた成果が表れていた。
五人は時折馬を休ませながら丸二日走り続け、やがてはアリウム山脈の手前へたどり着いた。この山脈は天にまで届きそうなほど高く、草木も生えないほど険しい。
かつて戦争があった時、小国であるデトルトをアゴルニアが攻めあぐね、ついには手打ちとなった大きな理由が、この山脈の存在である。
天然の城壁とうたわれたその山脈を、兵の一団は馬を降りて徒歩で登った。岩肌が剥き出しになっており、短い草が所々に生えているが、生き物の気配はない。エサとなる植物もないため、この過酷な環境で生きられる動物がほとんどいないのだ。
竜博士の捜索は一昼夜続いた。山脈は広大で、人の隠れられそうな岩穴がたくさんあり、ひとつひとつをしらみ潰しに探すしかない。
竜博士にも追われている自覚があるのだから、そう簡単に尻尾を出さないことは予測できていたが、まさか訓練された兵士からも身を隠せるほど感が鋭い相手だと、この時初めて彼らは知った。
成果を出せないまま三日目の夜に入り、慣れない山脈での連日に兵たちも疲労して、捜索を打ち切る算段を立てはじめたころであった。
「何の用かね」
満天の星空の下、暗闇にぼうっと浮かび上がるようにして、色あせた古布を纏った老婆が現れた。五人は竜博士のことを伝聞でしか知らないが、彼女の異様な風貌を見て、確信を持った。
兵たちをまとめていた、年長者のラウラがかしこまって言う。
「あなたが竜博士のシーラ様でしょうか」
シーラは馬鹿にするように鼻で笑った。
「知っていて探していたのだろう? 国の人間というのは、まったく無意味な質問をする。前置きは抜きにして、素直に赤竜の話を聞き出しに来たと言ってはどうだね」
「そう言ってもらえると助かる」
ラウラは腰の剣を抜いた。それを見て、シュウは彼が荒っぽい手段を用いてでも竜博士を捕まえようとしていることが分かった。
竜博士を捕まえられたなら、王子から多大な褒章が出ることだろう。それを欲しての行動であった。
他の三人も遅れまいと剣を抜く。老婆ひとりに大の男四人が剣を抜く様は、それこそシーラの風貌よりもよっぽど異様であった。シュウは顔に出さないように、胸中でため息をついた。
王直属の精鋭と言っても、実際はこの程度の度量なのである。大金を前にして理性を保っていられる者など、ごく一部なのだ。
「こんな老人相手に刃を向けるなんて! アゴルニア王国も堕ちたものだね。言っておくが、わしは剣など恐れんよ。いつ死んでも良い準備を整えて待っているのが老人ってものさ」
シーラは大げさに驚いて見せたが、口調や振る舞いは至って穏やかで、何か企んでいることが目に見えていた。
「何か罠を張っているのだろうが、この岩山は我々が散々調べたのだ。姿も見せずに仕掛ける暇などあるまいよ」
「わしを見つけられなかったくせに、何が散々調べた、だ。お前は帰ってそう報告するがいいさ。そしたら、わしは王に文を書いてやる。『実はあの時間抜けな兵士の後ろからついて行っていました』とね」
「貴様……!」
挑発に激昂する様子を見せるも、誰もが一番手を譲りあって前に出ない。罠はないと思っていても、うかつな行動には出られないのだ。
シュウはそんな状況を見ながら、剣を抜かずに、自然に彼らの一番後ろへ下がった。様子をみるためでもあったが、自分の仕事をするためでもある。
「わしは一度しか忠告しないから、よく聞いておくがいい。やめておいた方がいいぞ、間抜けども。誰かひとりでもその剣をわしに向けて振り下ろそうものなら、全員が命を落とすことになる。少し前に言ったことを記憶しておけるだけの知能がお前たちにあれば、わしがいつでも死ぬ準備が出来ておることを、分かっておるな? 竜を悪用しようとする者に話をするくらいなら、知識と共に果てる覚悟くらい、出来ておるわ」
不敵に笑う老婆へ、誰も手出しが出来ないかに見えた。しかし、五人のうちで一番若い青年、ハシムは違った。ハシムは剣の才能だけで精鋭の地位についた男であり、血の気が多かったのだ。
「ハッタリに決まっている。罠を仕掛けた証拠もあるまいに、何を怯えているのだか。遠慮していたが、誰も行かないなら、俺が手柄をもらってしまおう」
ずい、と前に出た彼を止める者はいない。シーラが何か仕掛けてくるのなら、離れていた方が賢明だからだ。
「婆さん、今からアンタの両足をもらうが、構わんね?」
「こんな両足で良ければ何本でも持っていくがいいさ。その代わり、わしは命をもらうが、構わんね」
「……言っているがいい。切られてもそのように軽口を叩き続けていられるのならな!」
ハシムは剣を振り上げて、老婆へと迫った。剣が届く距離へ足を踏み入れたその瞬間である。
「本当に馬鹿だね」
シーラがそう言うと、ハシムの足元の地面が抜けたのだ。悲鳴をあげる間もなく、彼は奈落へと落ちて行った。
あっという間に消えたハシムへの動揺を隠せない兵たちであったが、仲間をひとりやられたとあっては、どうあっても彼女を逃がすことが出来なくなった。
「貴様、五体満足で済むと思うなよ」
「ふん、元からそのつもりだろう。奴も死んではおらんよ。この山脈の地下は大きな谷になっていてな。三日もすればデトルトの砂浜にでも出るだろうさ」
その発言にも根拠はない。兵たちは気持ちを固め、剣を強く握った。
そして、ラウラを先頭にして、いざ走り出そうとした、その時であった。
まず、最も後ろにいたひとりが音もたてずに倒れた。残る二人はシーラに集中しており、全く気がついていない。
続いて、もうひとりが倒れた。そこでようやく、ラウラは仲間が倒れ込んだところが視界に入った。
「なんだと!?」
誰に襲われたのかと後ろを振り返るも、誰もいない。しかし、すぐに視界の外から鋭い打撲が飛び、彼も抗うことなく、意識を失った。
「失礼を致しました」
シュウは、鞘に入れたままの剣を懐に付け直した。
「ほう、やるじゃないか。決して強すぎず、弱すぎず、気絶する調度いい力を出せるくらいには、腕があるみたいだね」
「……私はグレン王子の使いです。是非お伝えしたいことがありまして、王の兵たちの中に紛れてここへ来ました」
「なんだい。せっかく褒めているのに、不愛想なやつだね。まあ、嫌いじゃないがね。それにあの王子の使いかい。だったら何か意味のある内容なのだろうね。ここじゃ冷える。ついておいで」
踵を返すシーラに、シュウは躊躇なくついて行こうとするも、彼女は振り返った。
「あいつら、放っておいていいのかい?」
「ええ。このまま衰弱して死ぬのならそれも良し。私のことを王国に報告されても痛手にはなりません」
「それも王子の命令かい」
「私はこういう役回りをするために居るのです。これからは私がシーラ博士をお守りいたします」
シーラは何も言わず、面倒くさそうに肩をすくめてゆっくりと歩き出した。