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シンは、王子を背負って丸一日、森の中を歩き続けた。ひとりだったら方角も分からなかったが、なぜだか、王子は正確な方角を知っており、迷うことはなかった。
草花の生えている向きや、木々の合間に見える太陽の位置、地面の湿り気などから自分の位置を割り出し、頭の中の地図に道程を描く。そうすれば、森の中でも迷うことはないのだと言う。
冗談めかしてそう言った王子の話を、シンは全て信じたわけではないが、王都へ真っ直ぐと歩いて行けたことが、何よりの証拠でもあった。
馬車の転落事故から三日が経ったころ、二人はようやく街へと帰って来ることが出来た。王宮では丁度これから大勢の兵士を森へ派遣しようとしているところであった。
「待て、皆の者! 戻ったぞ!」
王子はシンの背中から大声をあげて、彼らを制した。満身創痍のその姿を見て、たくさんの従者たちが押し寄せた。あっという間にシンの背中から王子は剥がされ、宮殿の内部へと連れて行かれた。
ひとり残されたシンは、ディオン兵長から何があったのか聞かれ、行楽に出て事故にあった、と説明した。責任問題を問われるところであったが、王子の弁護のおかげで懲罰されることもなく、シンはその日のうちに宿舎へと戻ることが出来た。
「大変だったな、シン」
ゲルドは、優しい声で言った。帰ってこないことを、本当に心配していたようで、普段とは様子が違っていた。
「ジルベルトは、帰ってきていないんですか?」
「……ああ」
「……そう、ですか」
崖の上に残されていることを期待していたのだが、恐らくシンや王子とは違う方向に落ちたのだろう。そう考えなければ、帰ってきていないことの説明がつかない。
「まあ、王子とお前が生きていただけでも良しとしよう。そう思わなければやりきれん」
肩を落とすゲルドの姿を見て、シンは胸が痛んだ。
ジルベルトの葬儀が行われたのは、それから五日がしてからであった。遺体はないものの、見つからない以上、すでに野生動物に持っていかれたのだろう、と王宮では結論が出て、捜索は打ち切られた。
葬儀は、アゴルニア王国の国教であり、ジルベルトも属するオウマ教の形式で進められた。
アゴルニアでは、オウマ・ラウロ〈天の神〉とオウマ・レンフェア〈地の神〉によって世界が作られたとしており、人は死ぬと、その魂はフラタリア〈彼の地〉に送られると言われている。善人であろうと悪人であろうと、魂は一度浄化され、またこの世界へと帰って来るとされていた。
「――――偉大なる神、ラウロとレンフェアよ。迷える魂を、どうか導いてくだされ」
司祭の言葉が終わると、続いて参列者がひとりずつジルベルトへ伝えたい言葉を書いた手紙を火の中に投げ入れ、祈りをささげることで、鎮魂とした。
墓は王都の墓地に作られた。一等地ではないが、見晴らしの良いところである。ここならば、彼も安らかに眠れるだろう、と王子の配慮であった。
王子の怪我は、ミリアの手当てが文句のつけようもないほどに完璧であったため、王宮の医師でさえも大変驚いていた。いったいどこで手当てをされたのか聞いても、王子ははぐらかすだけで、決して教えることはなく、それはシンもまた同じであった。
湖の傍に住む彼女のことは、誰にも言ってはならない。王子との間での取り決めである。『蒼翠の槍』の面々も、それを分かっているからか、シンが答えないことが分かると、もう何も聞いてはこなかった。
それから、シンが再び彼女の元を訪れたのは、暑い季節が過ぎ、木の葉が色づき始めたころであった。本来ならば、すぐにでも向かいたかったのだが、森の詳細な地図を探すのに、時間がかかったのだ。
彼女は前と変わらず、カゴに赤い木の実を集めていた。シンを見つけると、目を細めて笑顔を見せた。
「すぐお礼に来たかったんだけど、色々立て込んでいて……」
「いいえ、すぐでしたわ」
「あの時、街の話を聞きたがっていたから、土産を持ってきたんだ」
シンの取り出したガラスで出来た竜の置物を、彼女は珍しそうに眺めた。大きさや重さは、片手で持てるくらいのものを選んだ。
ガラスが日の光を湖面のようにきらきらと反射して、彼女は眩しそうに目を細めた。
「透明な石……?」
「ガラスを知らないのかい? アゴルニアの高い技術で作られた工芸品でね、他の国じゃここまで見事な竜の像は作れない」
彼女はシンの説明を聞きながら、竜の像を手に取って回転させながら、しげしげと見つめていた。
「面白いわね! もっと他にもあるの?」
「もちろん。持てるだけ持ってきたんだ」
シンは持ってきたものを全て見せ、そのひとつひとつを取り上げては、小話や豆知識を語った。ミリアはそれを興味深そうに聞き、目をきらきらと輝かせて、驚いたり笑ったりして、大変楽しんでいる様子であった。
その空間は、シンにとっても心地が良く、いつしか、街へ戻ってもずっと彼女のことを考えている自分に気がついた。次に行く時には、何を持っていこう、どんな話をしよう、とまるで落ち着かない心持ちになっていたのだ。
彼は、彼も気がつかないまま、ミリアに恋をしていた。