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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第三章 人と竜と
32/37

1

 サイネリアの集落に戻ったシンは、トラッシュに追手のことを伝え、トラッシュの口から蛙人たちに伝えてもらった。


「僕たちはすぐに戻った方が良さそうだ」

「それはそうですが……」


 追手はあれだけではないだろう。雨に紛れて、もっと気配を隠すことの上手い人間が森に入っている可能性があった。

 ふたりが先行きを決めかねていると、ジオルグが巨体で木々を押しのけながら、ゆっくりと姿を現した。

 蛙人たちは、恐れおののいたように、道の端へ避けている。


「これは、貸しだな」


 ジオルグは、そう言って口から大量の煙を吐いた。それは辺り一面を覆い、シンの目には、隣にいるはずのトラッシュの姿も周囲の景色も見えなくなった。


「これは『迷いの煙』だ。これがある限り、何者であっても森からここへ入ることはできない。雨と合わせて二重にこの集落を守るだろう。貴様らも互いの姿は見えぬが、ひとりでも帰るくらいはできるはずだ。貴様らは貴様らの目的を果たすため、早く行くがいい」

「ジオルグさん、感謝します。この借りは必ず返します。……居るか、トラッシュ。とりあえず、森を出よう。その先に兵士がいるかもしれないが、ここのみんなを危険に合わせるわけにはいかない」


 何も見えないが、声は聞こえるようで、トラッシュもすぐに答えた。


「ええ。では、一足先に行かせてもらいます。ダンロンの街で家の後始末をしなければなりませんから。ついでに逃げる用意もしておきましょう」


 そう言うと、突風のような音がして、トラッシュの気配が消えた。


「トラッシュ? 何をやったんだ?」

「もうあの者は行った。『ストフィアン〈監視者〉』というものは、風と共に大地を駆ける『サーラ〈風切り〉』だ。奴らは、そういうことが出来る竜の力を得ている。お前も急げ。追いつけるものではないが、あれは人間相手に戦うための力ではない」


 ジオルグにそう言われ、シンは、来た時の記憶を頼りに、森の中を歩き始めた。

 最初は深かった煙の幕も、森の外へ向かうにつれて、どんどん薄くなっていく。しかし、効力はちゃんとあるようで、シンが後ろを振り返って集落の方を見ると、左右に広がる景色と同じものが奥まで広がっている。まるで、水面に森の景色が反射したかのように、まったく同じなのだ。これでは、集落へ至る正しき道など歩けようもない。

 雨を降らし、霧を張った、竜の不思議な力を目の当たりにして、シンは感心すると共に、他の竜のことも気になり始めていた。竜博士が、生涯を竜の研究に捧げる理由が、分かった気がしていた。

 とにかく、雑念に見舞われながらも、シンは全力で走り、森から抜け出した。やけにあっさりとしていることが不気味であり、しばらく木の影に隠れて様子を伺っていた。

 森の近くには、中で出会った兵士が乗っていたであろう馬が繋がれていた。その近くにも、見張りはいない。雨宿りをしているのだろうか、と周囲を見回しても、それらしきものはない。こんな不用心なことは普通ならありえない。トラッシュが何かやったに違いなかった。

 見晴らしの良い街道から、街の方を見ても、雨によって景色は白んでしまい、誰か来ていても見えない。しかしそれは、向こうから見ても同じはずである、とシンはとにかく急ぐことだけを考え、ダンロンへ向かって走った。

 シンが街の近辺まで来た頃、それを狙いすましたかのように、大きな衝撃音が響いた。街の外にいるシンにも聞こえるほど大きな音で、何かが爆発したようであった。

 続いて、黒い煙が、もうもうと上がり始める。シンはすぐに、あの高台から煙が出ていることに気がついた。

 見張りの衛兵も、そちらを見上げて呆けている。その後ろをそっと通り、ダンロンの街へ入ると、大騒ぎであった。シンは人ごみに紛れて走り去ろうとしたところで、背中を叩かれた。

 そこには、シンが乗ってきた栗色の馬、クレスを引いて歩く、トラッシュがいた。


「すみません。荷物はさすがに取り返せませんでした」

「何をやったんだ?」

「住処を爆発させたんですよ。中で灯りとして使っていた小さな道具を覚えていますか? あれ、『ダル・ラ・スゥ〈残光の竜〉』って竜の鱗なんですけど、ちょっとした衝撃で、あのとおり、大爆発を起こすんです。少し人目を引くために、派手な演出をしてもらいました。とにかく、今のうちに逃げましょう。この子も、シンさんにまた会えてうれしいようですし」


 クレスは、頭を下げてシンに近づけ、大きく呼吸をした。まるで、早く乗れとでも言っているようであった。

 シンが乗って手綱を握り、その後ろにトラッシュが乗った。ふたり乗ると重いのではないかと心配したが、トラッシュはやたらと軽いようで、一緒に乗っていても全く体重を感じさせない。

 クレスは、ダンロンの街の大通りを走り出した。高台に注目している民衆の間を颯爽と抜け、あと一歩でダンロンの街を抜けられる、そんな時であった。


「いたぞ! あそこだ!」


 後ろを振り返るまでもなく、衛兵に見つかったのだと分かった。彼らが自分の馬を取って来るまでの間に、遠くまで走らなければ、とシンは急いだ。

 王都へ着いてからのことなど考えていない。とにかく着いてしまえばどうにでもなる。そう思って、ダンロンの街と王都との間を結ぶ街道まで、たどりついた。

 後ろから、雨音に混じって、馬の足音や、怒号が迫る。馬の扱いにおいては、彼らの方が上なのは間違いなく、追いつかれるのも時間の問題だった。

 そして、厄介なことに、正面からも騎兵が隊列を組んで向かってきている。兵長がシンを追撃するために放った四人の兵士だ。

 彼らは、こちらの様子を見て、すぐに槍を構えた。

 シンの額に冷や汗が浮かぶ。恐ろしいが、足を止めてはいけない。止めれば確実にやられる。


「走り抜けるぞ! トラッシュ、しっかり掴まっていてくれ!」


 シンは、騎兵に向かって腰のナイフを投げた。体をかすめて、誰にも刺さらなかったが、前のふたりはそれを警戒して足を止めた。しかし、後ろのふたりは、関係なしに正面から突っ込んで来る。

 剣を抜いて、構えたシンは、槍の先端を弾くため、意識を集中させた。馬上の槍の恐ろしさは知っていた、知ったつもりになっていたが、正面から向かうとこれほどのものだとは思わなかった。点にしか見えない刃先が、徐々に進んでくる。

 槍の間合いが近づき、シンは、一本を剣で上に向かって弾いた。すぐに、もう一本も弾こうと手を動かすが、直感的に間に合わないと分かった。


(こんなことをする羽目になるなんて!)


 シンは咄嗟に左手の甲で刃を受け、そのまま甲を滑らせて、柄の先端を掴み、剣で切り飛ばした。


「小僧め!」


 騎兵のふたりはすれ違うシンたち相手に、体勢を戻すことが間に合わず、罵声を浴びせる。

 さらに後ろのふたりも抜き去るため、シンは剣を構えた。左手はとめどなく血を流しており、動きが鈍い。しかし、興奮しているため、ほとんど痛みはない。

 気を失わずに済んでいることに感謝して、シンは右腕だけで槍を防ぐため、剣を真っ直ぐ構えた。


(さっきやったことをもう一度やるだけだ。難しいことじゃない)


 そう自分に言い聞かせて、距離を詰めていく。雨粒が顔に当たる。剣と槍が触れ合う、その瞬間であった。

 騎兵の胴を、何かが貫いていた。それが蒼い刃を持つ槍であることに気がつくまで、数秒がかかった。そして、それが誰のものであるか、すぐに分かった。


「ゲルド団長!」


 シンは思わず声を出した。騎兵の後ろに、蒼い槍を構えるゲルド団長の姿があった。

 ゲルドは乗っていた馬から飛び降り、雷鳴のごとく叫んだ。


「馬を止めるな! 王子は小屋で待っている! 早く行け!」


 その声に、シンは剣を捨てて手綱を握った。ゲルドの方を見ずに、シンは王都へと一直線に走った。


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