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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第二章 緑の竜
30/37

16

 シンは、家の屋根を叩く雨の音で目を覚ました。家の中にトラッシュの姿は無く、不思議に思ったシンは、立ち上がって外へ出た。

 薄布のように優しく降る雨の中、たくさんの蛙人たちが一様に森の方を見ていた。その一番後ろに、トラッシュが居る。その表情は硬く、緊張しているようであった。

 彼はシンが起きて来たことに気がつくと、強張った表情のまま声をかけてきた。


「シンさん、おはようございます」

「これはいったい何の騒ぎだ?」

「森に何か良くないものが入ったようです。ジオルグが雨を降らせましたから、ここまでたどり着くことはないと思いますが……」


 そう言って、トラッシュはまた森の方へ視線を戻した。

 この雨の中で、あの入り組んだ木々の間を真っ直ぐに歩くことは難しい。待っていても身を守れるだろう。

 シンは、自分を追って、衛兵たちが迫っているのだと考えた。木の根についた僅かな足跡や、踏み倒された草から人を追う方法はそれほど難しくない。それも、悪人を追うことに長けている衛兵たちである。大罪人が森の中に逃げ込んだとあれば何人かで追ってきていてもおかしくない。

 自分のせいで、静かに暮らしていただけの彼らが怯えている。そう思うと、居ても立ってもいられなかった。


「たぶん、僕のせいだ。僕がどうにかする」

「どうにか出来るんですか?」

「……やる。何があっても、ここは守る」


 自信があるわけではない。シン自身の実戦経験は皆無だ。それでも、森の中で奇襲をかけられるならまだ分がある。


「本当に大丈夫ですか?」

「僕に任せてくれ。いざとなれば捕まってでもここは守る。その時は、代わりにミリアを頼む」

「……分かりました。でも、ミリアさんのことは自分でやってくださいね。僕がやったんじゃ、竜と人との繋がりにはなりませんから」

「ああ、それもそうだね」


 シンは剣が邪魔にならないよう背に装着し直した。抜きづらいが、木々に当たって音をさせないためには仕方ない。

 蛙人たちに見送られながら、森へ足を踏み入れた。来る時とは違い、今ならこの周辺の環境がよく分かっている。自分が通った軌跡を回り込むようにして、シンは歩き出した。

 少し進み、耳をすませ、足音を探る。森の自然音ではない違和感が見つかるまで、それを何度も繰り返した。

 雨が降っているとはいえ、人の足音、それも狩人でもない人間のものは、とても騒がしいものである。何の警戒もなく、落ちている小枝を踏み、獣道をかき分ける。その音を探知することは、シンにとって至極簡単であった。

 木の上から、彼らが通るであろう地点を見張った。すると、思惑通り、追手は現れた。

 五人の衛兵が、厚手の布のマントを被り、雨から身を守りながら進んでいる。どうやらかなり疲労しているようで、苛ついている様子も見て取れた。

 シンは、全く身動きしないまま、彼らを見送った。戦力や敵の状態を判断して作戦を立てるためだ。

 とにかく、疲弊した様子であったことを、シンは喜んだ。可能ならば殺すことはしたくない。疲れているのなら、追い払うこともできるかもしれない。

 後ろから音もたてずに忍び寄り、最も後ろを歩いていた男の右足を、ナイフで小さく切りつけた。当然、彼は飛びあがり、シンの姿を見て、大声で罵るようにして叫んだ。


「いたぞ! この野郎、よくも俺の足を!」


 シンは何も言わず、素早く木の後ろへ身を隠した。彼が追いかけて、木を回り込んでも、そこにシンの姿はない。


「どこへ行ったんだ!?」


 衛兵たちは円陣を組み、全ての方向を見張った。怪我をした男だけが、憤った様子で辺りを滅茶苦茶に切りつけている。


「おいよせ。音が聞こえない」

「知るか! あの野郎、俺を切ったんだぞ! 絶対に殺してやる!」


 どれだけ警戒しても、シンの姿は彼ら目には映らない。深い緑の森と、振り続ける雨のせいで視界が極端に悪く、この景色の中で見つけられるはずもなかった。


「兵たちよ、聞け」


 シンは身を隠したまま言った。


「その男を切った刃物には毒が塗ってある。治療をしなければ三日後には必ず死ぬ。さっさと連れて帰るがいい」

「毒だと!?」


 男の顔から血の気が引く様子が見て取れた。本当は毒などないのだが、シンは、これで追い返せると思った。

 しかし、次の瞬間、衛兵のひとりが、怪我をした男を、何のためらいもなく切り捨てたのだ。

 辺りに飛び散った赤い血が雨に流され、地面を伝っていく。切られた男は糸が切れたようにぴくりとも動かなくなっていた。


「俺たちも、お前を連れて帰らねば首が飛ぶ。切られたのはこいつの不注意だ」

「馬鹿な事を……!」


 シンは彼らには聞こえないよう呟いた。

 ここまでするものなのか、と目を疑った。


「お前がここで大人しく捕まれば、手荒な真似はしない」


 そんな言葉が嘘であることなどすぐに分かる。手荒な真似をしない者が仲間を切るはずがないからだ。

 シンは迷っていた。このまま彼らを放っておくわけにもいかない。足止めして追い返せるなら、それが一番良かった。しかし、彼らの様子を見るに、シンを捕まえるまで帰らないつもりだろう。

 時間さえかければ、いずれは蛙人たちの集落にもたどり着く。それだけはさせられない。

 シンはそっと剣を抜いた。緊張で鼓動が早くなる。目を閉じ、大きく息を吸って、吐く。人を切る、覚悟を決めた。


「どうした。まだその辺りにいるのだろう?」


 兵たちは倒れた男を蹴飛ばし、円陣を保ちながら森の中を進んだ。

 隙のない陣であっても、弱点はある。シンは、木の上から、円陣の真ん中へ飛び降りた。

 一瞬、周囲の四人は何が起きたのか分からなかったようで、声もあげなかった。外ばかりに目を向けていたため、雨音に混じって降りて来たシンが意識に入らなかったのだろう。

 シンは、前を歩く衛兵の背を思い切り蹴り飛ばした。


「貴様!」


 誰が発したかもわからない、そんな声がした。それと同時に、シンは振り返りながら、右の衛兵の腕を切りつけ、後ろにいた衛兵の胸へ剣を刺した。

 細身の剣は胸当てに当たっても弾かれることなく、まるで布きれのように簡単に貫通し、肉体へと沈んだ。殺すつもりはなく、動きを止めるために、内臓を傷つけない位置へ浅く剣を刺した。

同時に、シンは気配を感じて、剣を握ったまま、後ろへと跳ねた。剣の先に血がつき、地面へ飛び散る。

 となりにいた兵が剣を振り下ろし、剣先が地面に当たって、金属音を響かせた。


「罪人め、生きては帰れぬぞ」


 シンが背中を蹴り飛ばした男は気絶しており、切られた者は、ふたりとも、傷を抑えてうずくまり、シンを見てもいない。

 シンは、緊張で口の中が乾くのを感じた。奇襲は成功、四人のうち三人を無力化できた。もう充分だろう、とシンは思い、剣をしまう。

 衛兵もシンへ雑言を投げつけているが、声は震えていた。あっという間に仲間をやられて、最初に浮かぶ感情が恐怖であることは、僥倖であった。これが憤怒であったなら、シンは彼と正面から戦って勝たなければならなかった。

 時間の経過で、彼の感情が変わってしまう前に、シンは声をかけた。


「なぜ、ここまで追ってきた?」

「命令が出たからだ」

「どういう命令だ?」


 彼は少しだけ口ごもったが、答えた。


「グレン王子の私兵を足止めしろ、と」

「足止め?」


 グレン王子の身に何か起ころうとしているのか、とシンは瞬時に察した。しかし、王子の周りにはまだゲルド団長とデントがいる。身を隠させて逃がすくらいのことは難なくできるだろう。


「貴様は見逃してやる。そいつらの手当てをして戻るがいい」


 シンは、これ以上話して戦意を回復されるわけにはいかなかったため、彼に背を向けて、出鱈目な方へ歩き始めた。後ろから襲われることも考え、充分に警戒していたが、その気配もどうやらなく、シンはある程度離れたところで、警戒を解いた。

 歩きながら、シンは考えた。いったい、何が起こっているのか、今分かっていることからは推測できない。

 シンはミオゼルガ王子のことを、凶行におよぶ人物ではないと思っていたため、候補にはあげられなかった。いくら考えても犯人は暗闇の中であり、とにかく、シンは急いで王都へ戻るしかなかった。


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