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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第一章 出会い
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2

 湖のそばにある小屋の中で、王子をベッドに寝かせたシンは、どういう処置をしたらいいものか分からず、立ったり座ったりと落ち着かない様子で、あの赤髪の少女が帰って来る瞬間を待っていた。

 薬草を摘んでくると言ったのだが、どれほど時間がかかるのかは分からない。その間に、王子の容態が変わらないことをひたすらに祈った。


「戻りました! その人を見せてください!」


 息を切らせて小屋に入ってきた赤い髪の少女は、手に緑色の葉をいくつか握っていた。シンには目もくれず、王子の様子を見て、体を何か所か触り、足を触った時の王子の痛みに歪む顔を見て、折れていることを把握したようであった。さらには、背中にある大きな擦り傷が熱を帯びていることにも気がついていた。


「なんて酷い……。あなたは服を脱がせておいてください。私は薬草を煎じます」


 シンが何か聞く前に、少女は手際よく、薬草をすり合わせ始めた。


「なあ、その薬草があれば大丈夫なのか?」


 シンの問いに、少女は少し怒気をはらんだ声で返した。


「あなた、なぜこんなになるまで放っておいたのですか? その人は死にかけてます。もう少し遅れたら危ないところでした」

「じゃあ、助かるのか?」

「助けます。こんなところで死なれては困りますから」


 一心不乱に薬草を擦る彼女を見ているうちに、シンは涙を流していた。

 自分の不甲斐なさや悔しさは置いておいて、ひとまず王子が助かることが分かって、安心したのだ。その結果、なぜだか涙が溢れてしまった。まさか自分でも泣くとは思っていなかった。

 顔をあげた彼女は、驚いた顔をして、手は止めずに伺うようにして言った。


「あの、ちょっと、なんで泣いているんですか」

「よかった……。もう、死んでしまうかと思った……」

「まだ終わってませんから! 泣くのは全部終わってからにしてください!」


 少女に体を揺さぶられ、シンは積極的に彼女を手伝った。湯を沸かし、暖かい湯で傷口を拭いて、薬草を練り込んだ軟膏を塗った。足には添木をし、動かせないよう布で何週も巻く。

 そこまで終え、彼女はひとまず落ち着いた。シンは慣れないことに疲れていたが、片づけを行う彼女をひとりで放っておくわけにはいかず、最後まで手伝うことにした。


「何があったのですか?」


 道具を水で洗いながら、彼女は聞いた。シンは言っていいものか少し考えたが、命を救ってくれた恩人に隠し事をするのはよくないと思い、正直に話すことにした。

 怪我をしている男が、アゴルニア王国の第一王子であると知って、彼女は目を丸くしていた。


「あの人、いえ、あの方が王子だということにも驚いたけど、あの崖から落ちて、擦り傷だけで済むなんて、あなた余程運がいいのね」

「いや、運が悪い。僕が代わりに怪我をしていたなら、こんなことにはならなかったのに」

「あら、あなた王子に介抱させるつもりだったの?」


 彼女は口元に手を当てて、くすくすと笑った。シンは慌てて訂正して、そういえば、と話題を切り替えた。


「名前、聞いていなかったね。僕はシン。王子の私兵をやっている」

「私はミリア。ここに住んで長いけど、誰かに会ったのは初めてよ」


 言われてから、改めてシンはこの場所がどこにあるのか頭の中で思い浮かべた。外に通っている街道を逸れて、わざわざ森の中に入り、ここまで歩かないと彼女に会うことは出来ない。丸一日かかるほど遠くはないだろうが、正面から行くよりも、崖から飛び降りた方が近いくらいである。

 ミリア、と名乗った彼女は、特徴的な赤い髪をしているが、それよりも怪しく美しい金色の瞳をしており、シンはその眼を見ているだけで、吸い込まれそうであった。

 道具の洗浄が済み、二人は暖炉を囲う形で木の椅子に座り、休んでいた。しばらく無言であったが、やがてシンが口を開いた。


「ミリアさんは、どうしてここに住んでいるんだ?」


 ミリアは黙って右手の指をトントンと鳴らした。その少し言葉を選び悩む様子を見て、シンは失礼なことをしてしまったと反省した。


「ごめん。話したくなかったら、話さなくていい。気になったことをつい聞いてしまう癖があるんだ。悪い癖だ」


 ミリアはかぶりを振って、答えた。


「……私が自分に課した、決まりごと、かしら?」


 その表情があまりに儚げだったため、シンは聞いたことを後悔し、踏み込んだ質問をしてしまったことを恥じた。


「あまり詳しくは話してあげられないのだけど、私は理由があって、ここに住んでいるの」

「寂しくないのか?」


 そう言うと、ミリアは驚いた様子で言った。


「寂しいだなんて、考えたこともなかったわ。だって、今まで話し相手がいたことないもの」


 彼女は静かに笑った。楽し気に笑う彼女を見て、シンは聞いたことが間違っていなかったことに安心した。


「ねえ、アゴルニア王国の王都に住んでいるのよね?」

「王宮の敷地内だから、王都に住んでいると言うと少し違うけど、そうだね」

「街の話を聞かせてほしいの。私、ここから出たことなくて、人がたくさん住んでいる街を見たことがないから……」


 ミリアは本当に長い間、ここだけで暮らしていたのだろう。誰もいない湖の傍で、ただひとり、毎日木の実や果物をとって生活しているとすれば、そこに他人の介在する時間はない。

 決して、シンもそれを哀れに思ったわけではない。自分のつまらない話であれば、いくらでも聞かせられる。しかし、それでいいのだろうか、とシンは思った。


「だったら、街に行こう。話を聞くよりも、その方がずっといい」

「行きたいのよ、私も。でも、駄目なの。行けないの」

「なぜなんだ。ただここから出て行くだけだろう。それに、移り住めって言ってるわけじゃないんだ。街に行って、満足したら、戻ってきたらいいじゃないか」

「それは――――」


 彼女が言葉に詰まったところで、となりの、王子が寝ている部屋から声がした。


「シン、あまり女性を困らせるな」


 グレン王子の声に、シンは驚き、ベッドのある寝室へ駆けた。王子はベッドの上で体を起こして、二人の方を見ていた。


「王子! 目が覚めたのですか!」

「うむ。助かった。そちらの娘が助けてくれたのか?」


 ミリアは王子には近づかず、ひざまずいて言った。


「わたくしは、しがない山の民でございます。不得手ではございますが、あまりにも酷い怪我でしたので、簡単な手当をさせていただきました」

「そう謙遜するな。なかなかに良い腕をしているぞ。娘よ、面をあげよ」


 ミリアの赤い髪にかかった金色の瞳を見て、王子が目を細めた。


「ほう。なかなか、美麗な娘ではないか。名は何と言う?」

「ミリア、と申します」

「ミリアよ。王宮へ来る気はないか?」


 先程もシンの誘いを断った彼女であったが、王子の命令とあれば、断るわけにもいかないだろう、とシンは思った。彼女もやはり、返答に困っているようで、しばらく思案したあと、口を開いた。


「申し訳ございません。恐れながら、わたくしにはここを離れられぬ事情がございますゆえ、その申し出をお受けすることはできません」


 王子は黙って彼女の様子を見ていたが、やがて声をあげて笑い出した。


「いや、実は先の会話を聞いていたのだ。命の恩人に、そう無理強いは出来ないな。戯れが過ぎた。もう良いぞ、もっと楽にしておけ。おれはこういう堅苦しい雰囲気が苦手なんだ」


 ミリアは戸惑いながらも立ち上がった。グレン王子の砕け過ぎた物言いを初めて見た者はほとんどがこうなってしまう。


「それに、ただの戯れってだけじゃないさ。君はさっき決まりごとと言った。それが単なる感情だけのもの、つまり、強制力のないものならば、王子の命令という大義名分があれば、諦めることも出来ただろう。それをしなかったということは、その決まりごとの内容に、個人の意思では曲げられない、不可抗力的な内容があるということではないか?」


 ミリアは答えなかったため、王子は続けて話した。


「ああ、言えないのだったな。よいよい、おれもそこまで追及する気はない。何なら、ここで出会わなかったことにするのがいいだろう。こんな辺境に住んでるやつがいるなんて、親父に知れたら面倒になるだろうし、な」

「そうしてもらえると、助かります」

「だが、ただ放っておくということは出来ない。君が悪人であるとは言わないが、身元が何も分かっていないのだからね。――――そうだ、定期的にシンが様子を見にくるというのはどうだ? 全く知らない他人よりは、信用できると思うが」


 彼女はシンの顔と王子を交互に見比べた。シンもそういう役目をもらえることはそれほど苦ではない。それに、他の誰かに任せたくない、とも少し思い始めていた。


「ええ、構いません。でも、絶対にひとりでしか訪れないことを約束してください」

「いいだろう。彼も経験を積む良い機会だ。シンは、それで構わないね?」

「僕は命令とあれば何だってやります」

「よし、だったら、成立だ。さて、いつまでもここに居るわけにもいかないな。もし捜索隊でも来たら、台無しだ。すまないが、君に荷物の処分を任せてもいいかい? おれたちはこれから真っ直ぐ街へ向かって歩く」


 立ち上がろうとする王子に、ミリアは慌てて言う。


「足が折れているんですよ!?」

「こいつが背負って歩くさ。おれの私兵団『蒼翠の槍』はやわな鍛え方をしてない。見ての通り、おれは大怪我をしているけど、彼は元気にしてるだろう?」


 シンは文句ひとつ言わず、王子を背負うと、ミリアに礼をした。


「今回のお礼はまた改めて伺わせてもらう。本当に助かった」

「あの、本当に大丈夫なの? 王都まですごく遠いのよ?」

「鍛えてるから、大丈夫。それに、こういう時に役に立てなくて、いつ役に立つっていうんだ」


 シンはそう言って、王子を背負い、湖をあとにした。ミリアはそんなシンの姿が見えなくなるまで、不安そうに見守っていた。


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