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緋色の竜の唄  作者: 樹(いつき)
第二章 緑の竜
29/37

15

 森が深くなるにつれて、辺りに独特な匂いが立ち込め始めた。それはまるで、この世のものではないかのような、感覚をくすぐる匂いである。決して不快ではなく、どこか懐かしい気持ちすらさせる、生命の匂い。

 シンは、少し不安になり、トラッシュの顔を盗み見たが、彼は変わらず温和な表情を浮かべていた。


「この辺りは、不思議な感じがするな」

「そうですね。竜が近いとこういう感覚がするんです。生命力が満ち溢れていますから」

「これじゃ隠れるのも難しいだろう」


 シンがそう言うとトラッシュは笑った。


「あはは、これは誰にでも香るものじゃないんですよ。赤竜、ミリアさんのところって、居心地が良かったとか、そういうことはありませんでしたか?」


 思い返してみると、確かにそのような雰囲気があった。


「心を許した相手にしか出さない匂いなんです。よほど信頼されていたんですね」


 森を進んでいくと、匂いはさらに濃くなり、森の緑もより一層深くなっていった。木の根や幹は苔がむし、岩などはもはや小さな森と呼んでもいいほどに、豊富な生命に覆われていた。

 とても寒さの訪れなど感じさせない空間である。

 人の侵入を拒むような、入り組んだ植物の絨毯を抜けると、今度は次第に緑が薄くなり、シンもよく見たことのある実をつけた木がそこら中に生えていた。


「竜の実だ……」


 ミリアのところで見た竜の実とは少し形が違い、発光もしていないが、特徴や大きさはよく似ている。


「これは、デキュラの実です。デキュラと言うのは、エルファイン語で、同志や仲間という意味ですね」

「竜の実とは別物なのか」

「ええ。ですが、彼らの遺体が木になって実を結ぶので、性質はほとんど同じです。彼らはこれを食べて暮らしています。ちなみに、僕たちが食べるとお腹を下しますから、食べないようにしてくださいね」


 デキュラの木が、まるで果樹園のように生っている場所を抜けると、遠くに灯りが見え始めた。

 空を見上げると星が見える。ずっと暗い森の中を進んできたため、夜になっていることに気がつかなかったのだ。


「ここが、蛙人たちの集落です。長老に挨拶をしに行きましょう」

「急に行って大丈夫なのか?」

「蛙人は急に襲ってきたりしませんよ。例え僕たちが悪人であったとしてもね」


 集落の中心では土で出来た簡素な家が何軒か、中央にある大きな焚き火を囲うようにして建っている。夜であるためか、どの家も戸口を閉めており、人が外に出ている気配がしない。


「皆、眠っているのか?」

「いえ、こちらの様子を伺っているんです。人間が来ることなんてまずありませんから」


 そう言われて土の家の扉をよく見てみると、扉の中央に小さな穴が空いていることに気がついた。そこから覗いているのだろう。

 トラッシュは、長老の家に行くと言い、その不気味な家々の中央を抜け、小高い丘になっているところへ向かった。

 そこへ来ると、周囲には木がなく、集落を一望できる見晴らしの良い場所になっていた。

 長老の家は、他の家に比べると少し大きかったが、それほど差はなかった。他の家と同じように、室内にも灯りはなく、戸は閉ざされている。

 トラッシュが扉をノックして、シンには分からないエルファイン語で、何かをささやいた。すると、扉がゆっくりと開き、中からローブを着た大きな蛙が姿を現した。正確には、人間の子供ほどの大きさのある蛙が二足歩行をしている、奇妙な容姿である。

 人としては小さいが、蛙にしては大きい。そんな蛙人をシンは初めて見て、嫌悪感は抱かなかったものの、少し表情を強張らせた。


「この人が、長老のフォン・ニルワ・ベル・ダウロンさんです」


 トラッシュは長老にシンを紹介したようで、長老は赤い目をぎょろりと動かして、シンを見つめていた。その目が何を見ているのか、何を考えているのか、シンには全く見当もつかず、ただ不気味であったが、言葉の通じない蛙人にどう話しかけたらいいものか、と考えていた。

 しばらくすると、長老は踵を返して家の奥へと入って行った。


「フォン長老もシンさんを敵ではないと認めたようです」

「それは、味方とも思っていないと?」

「まあ、そうです。でも気を落とさないでください。彼らは緑竜の許可がなければ人を信用することもできないのです」


 そんな会話をしていると、長老が柄の先に光る釣鐘型の花がついた植物を持って、二人の前に現れた。


「すごい植物があるんだな」


 シンは感心して言った。


「『ヒュラ・コォ・ソニ〈白灯草〉』という植物です。深緑の竜ジオルグが生やしたものですね。自然に生えているものではありませんから、探しても見つかりませんよ」


 竜とは、それほどのことができる生き物なのか、とシンは少し恐ろしくもなったが、同時に深い興味も沸いた。自然現象を操ることができるということは、自在に新しい性質を持った生物を生み出せるということなのかもしれない。

 フォン長老は、トラッシュに向かって一言呟くと、背中を見せてゆっくりと歩き始めた。


「緑竜のところへ案内してくれるそうです。行きましょう」


 フォン長老は振り返ることなく、家の真裏から続く道を歩き始めた。道とは言っても獣道であり、長老が難なく進んでいけるところも、体の小さいトラッシュはともかく、ひとりだけ体の大きいシンには障害に思えた。

 真っ暗な道を進むと、やがて、地面が淡い光を放つ一帯に出た。先には大きな湖があり、視線を奥へ向けると、暗闇の中に六つの赤い目が光っている。

 フォン長老が湖へ近づくと、水面が光り輝き、奥で四肢を折りたたんでこちらを見つめる、緑竜の姿が浮かび上がった。

 竜は、蛙に似た柔らかで粘液に覆われた皮膚をしていた。大きさのバラバラな赤い瞳が三対になっており、口はまるで縫い合わせたかのように、上下の皮膚が格子状に繋がっていた。

 長老は緑竜に一礼すると、ふたりから少し離れたところに立った。


「久しぶりだな、小僧」

「賢竜ジオルグさまもお変わりなく」

「して、隣りの者は誰だ? 断りもなくこの地に足を踏み入れさせたのだ。どうなるか分かっておるだろうな?」


 シンは一歩前に出て、ジオルグに向かって言った。


「僕は、アゴルニア王国、グレン王子直轄部隊『蒼翠の槍』の一員、シンです」

「言葉などいらぬ。どれ、もっと近くに寄るが良い」


 シンの言葉を遮るようにして、ジオルグは言った。

 湖の淵に立ったシンの目を、六つの赤い眼が真っ直ぐに見つめた。しばらくすると、ジオルグはゆっくりと瞬きをして、大きく息を吐いた。


「ここ数百年で一番の驚きだ。貴様、稀代の馬鹿者だな。竜と交わるなど、考えられん」


 ジオルグは驚きと呆れが入り混じった言葉を吐いた。

 すかさず、トラッシュは彼に言った。


「彼は、大きな前進を果たしました。素直に喜びましょうよ」

「喜べ? 馬鹿を言うな。我がいつ人間と仲を深めたいと言った? それもあのアゴルニア人だ。我の眷属を大勢殺した、あの憎き人間共だ」


 口調は穏やかであったが、シンは身を硬くした。以前、グレン王子から聞いた、人間に虐殺された蛙人たちの話を思い出していたからだ。


「昔の話は忘れようと言ったのはあなたではありませんか」

「思い違いをするなよ、小僧。だからと言って、手を組むとは考えていない。争いを避けるには徹底した不干渉しかない。かつて古の竜たちがそうしたように、我は我の眷属を守るため、そうしなければならない」

「あなたに出来なかったことを、赤竜がやろうと言うのです」

「出来るものか。あのような若造に」

「認めたくないのでしょう? でも今は、彼に協力してあげてください。結果は、誰にも分かりません」


 ジオルグはそっぽを向いた。竜が人と交わることを恐れている様子であった。

 シンはどう答えたらいいものか考えた。しかし、考えただけで、竜の眼には伝わってしまう。口を開く前に、ジオルグは言った。


「我とこやつがなぜ言葉を交わしているか、分からぬようだな。こやつは竜に考えを読ませぬ術を持っておる。腹立たしいことだが、こやつら『ストフィアン〈監視者〉』はそういった生き物だ。何代にも渡って竜を調べ尽くそうとするなど、正気ではない」

「そんな大げさなものではありません。僕なんてただの人間ですから」


 トラッシュがおどけてそう言うと、ジオルグは諦めたように答えた。


「……竜の石化に、共通する解き方というものはない。だが、解く方法はすでに貴様が持っている」

「持っている?」


 シンには意味が分からず、オウム返しに聞き返した。


「人間とは愚かなものだ。だから、知恵のある者に尋ねなければ、自分の手元さえ見えない。その懐にある竜の実を貴様が食せば、石化の力はお前のものだ。かけるも解くも自由自在だろう。しかし、人であることをやめなければならない。その覚悟はあるか?」


 シンは、悩むことなく即答した。


「僕にできるものなら、何だってやります。人でなくなったとしても、それは変わりません」


 それを聞いて、ジオルグは笑った。


「まったく、変わった人間だ。普通は躊躇するものだが。……我の話は冗談だ。あの若造の作ったような弱い実では、一粒や二粒で大きな変化など起こらぬ。石化を解くことくらいはできるが、せいぜいその程度だ。特別、お前自身の性質が変わるということはない。しかし、お前の魂は赤竜の眷属になる。それは、命を赤竜に縛られるということだ。赤竜が死ねば、お前も死ぬ。まあ、お前には苦ではないだろうがな」


 ジオルグはそう言って、エルファイン語で長老に何か言うと、赤い眼を閉じた。すると、地面や湖の光も消え、灯りは長老の持つ白灯草だけになった。

 フォン長老は、またゆっくりと帰路を辿り始めた。全く、シンやトラッシュに個人的な興味は抱いていないようであり、それはシンにとって有り難くもあり、不気味でもあった。


「さっきは、何て言っていたんだ?」

「歓迎するように、って言ってました。今日はここに泊まって、明日帰りましょう。ジオルグは、シンさんのことも気に入ったみたいでした」

「彼は、優しい竜だったな」

「ええ。優しすぎて、傷ついてしまった竜なんです。本当はすぐにでも帰ってほしかったようです。きっと、シンさんとミリアさんがこれから、いえ、今も巻き込まれているいざこざに関わりたくないんでしょう」


 目を見て、王宮で起きていることも察知していたに違いない。だから、協力することに躊躇したのだ。

 竜を探している王宮からすれば、竜さえ見つかれば誰でもよく、ジオルグがそのやり玉にあげられることだって、充分に有り得た。

 シンは、そのことに対して少し申し訳ない気持ちになりながらも、同時に感謝していた。突き離さず、ちゃんと答えてくれた優しい竜に報いるためにも、自分に出来ることを考えなければならない。それが、ミリアを救うことに直結しているのだ。

 来た道をたどって、三人は集落へと戻った。フォン長老が『ヒュラ・コォ・ソニ〈白灯草〉』をかざして、くるくると回すと、それぞれの家から、ほとんど同じ姿、同じ背丈の蛙人たちがぞろぞろと出てきて、焚き火の周囲で宴の準備を始めた。

 彼らが何を話しているのか、表情の細かい動きなどは分からなかったが、敵ではないと認められたような気がしていた。シンは、彼らに導かれるまま、焚き火の前に座った。

 次々に運ばれてくる食事は、一体どこから出してきたのだろう、と心配になるほど迅速であった。料理の内容は、ほとんどが山菜や薬草のものであったが、焼き魚などもあり、彼らは自分たちが食べないにも関わらず、それらの調理法を知っているようだ。

 周囲を物言わぬ彼らに囲まれてとる食事の味は、到底美味しいとは言えないものであったが、シンにとっては久しぶりに暖かい食事であったため、涙が出そうになるほど嬉しかった。

 料理を食べ、薄い味の酒を飲み、宴を楽しんだシンは彼らに礼を告げた。言葉こそ通じなくても、気持ちを伝えたいと思ったからである。

 彼らの表情は読めないけれども、少しばかり微笑んだような気がした。シンにとっては、それで充分であった。

 寝床は、家を一軒まるまる借りることとなり、トラッシュとふたりでその家の床に寝転がった。その時初めて分かったのだが、床が温かいのだ。


「地面に温度がある……」

「蛙という生き物は冬眠をします。一定の温度が無ければ生活できません。この集落の中央で燃えている大きな焚き火も、この冬の間に活動するため、必要なものなのですよ」

「温度を上げて、無理矢理活動しているのか」

「ええ。これも理由があって、蛙人の体は、冬眠には耐えられないのです。世代を重ねるうちに、蛙と人との境界が曖昧になっていって、どちらの性質も失われつつあります」

「それって、弱っていっているってことか?」


 トラッシュは頷いた。


「すでにもう、いくつかの集落しか残っていません。近いうちに、絶滅するでしょう。ジオルグはそれまで彼らを守るために、こうして同じ場所に座り続けているのです。生み出した者の責任、でしょうかね」

「細かい事情は分からないけど、みんなはそれで幸せなのか?」

「さて、幸せの定義なんて人それぞれですから」


 トラッシュとの会話はそこで終わり、シンは今まで考えたこともないような色々なことを考え悩むうちに、いつしか眠りに落ちていた。



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