10
シンが出発してからすぐに、グレン王子とゲルド団長は、ふたりで共にミリアの小屋を訪れた。石になった草を触り、グレンはシンが言っていたことが本当であることを確かめた。
ゲルドが小屋の扉を開くと、石になったジルベルトとミリアの姿が、未だ変わらないままでそこにあった。
「しかし美人な竜ですね。あいつに任せるのが惜しい」
ゲルドが冗談めかして言うと、王子は笑った。
「お前じゃ無理だろう」
「何をおっしゃいますか。まだまだやれますよ」
「歳がな。そんな話よりも、だ。これは少しまずい事態かもしれない」
王子はジルベルトの様子を見ながら言う。
「ジルベルトはおれを殺そうとしたんだろうな。あの時、馬が暴れたのも何か仕掛けたのだろう。そう考えるのが妥当だ」
ジルベルトの腕や、無数にある肌の傷を指でなぞった。
「腕の断面を見るに、溶断だろうね。おもてに出ている傷だけでも、ただの鞭やナイフじゃない、もっと効率的に苦しみを与えるためだけに作られた道具を使っている」
「ここまでやられて生きているのが不思議ですな」
「生かされたんだろうさ。お前も分かるだろう?」
「ええ、まあ、生死の自由を奪うのは拷問の基本でしょう。私が言いたいのは、よく無様に生き延びたな、ということです」
ゲルドは少しばかり怒りの色をあらわにした。それは、拷問をした相手にではなく、口を割ってまで生き延びようとしたジルベルトに対してである。
「我ら蒼翠の槍ともなろうものが、自分の命を優先してどうする」
「その辺にしておけ。今さらどうにもならないことを言っても仕方ない。ジルベルトが何を喋ったかの方が重要だ」
「ジルベルトには竜のことを?」
「話していない。お前とシュウとデントくらいのものだ」
ふたりはしばらく黙って考えていたが、王子が重々しく口を開いた。
「どれだけ考えても、ジルベルトが持っていた情報なんて、わざわざ拷問して得るほどのものじゃない。だとすれば、他に聞きたいことがあるか?」
「蒼翠の槍の内部事情、もしくは……」
「技術か」
「かもしれません」
ゲルドはため息をついた。
ジルベルトも蒼翠の槍の一員であり、ゲルドやシュウ、デントよりは後になるが、デトルトで隠密としての修練を積んでいる。
もともと、四人はグレン王子の母親、ゼタ・エルド女王の側近であった。蒼翠の槍となる前は『スゥ・ラ・シン〈竜の牙〉』という名の隠密部隊で、人数も今より多く、彼らの前にはたくさんの同志がいた。
しかし、アゴルニアとの戦争でその多くが死に、当時まだ小さかった四人だけは身分を隠して生き残ることが出来た。子供だったこともあり、彼らが充分に訓練を経た隠密であることを、ゼタ王女の他には誰も知らなかった。
やがてグレン王子が生まれ、彼らは兄のような役割をしながら、次世代の隠密部隊『蒼翠の槍』として、グレン王子を守るべくさらに鍛錬を積んだ。グレン王子が王位を継いだ時、どんな目的であっても使える裏の力として備えていたのだ。
しかし、ゲルド、シュウ、デントの三人はそうであったが、ジルベルトだけは少し違った。ジルベルトは残りの人生を隠密として過ごしていくことに疑問を持っていたことを、ゲルドに漏らしていた。
隠密の知識を持った者は、死ぬまで隠密であり続けなければならない。大義もなく、ただ主人の命令に従う手足であり続けなければならない。ゲルドは子供のころにそうやって習い、今でもまだそれが正しいと信じている。
だから、ジルベルトの軟弱な考えが許せなかった。その認識の違いから、いつしか、溝が生まれていたのだろう。ジルベルトがいつから拷問を受けていたのか、何を思って皆と一緒にいたのか、今となっては知る術がない。
「さて、ジルベルトは誰の下についたかだけど、これも明白だ」
「ミオゼルガ王子、ですか」
「だろうな。隠密の技術は一朝一夕で使えるものではないが、紛い物であっても一般人には脅威だろう。それで、知識を搾り取ったあとの残りカスが、ここにいるというわけだ」
「ええ。こんな小さなナイフを持って、正面から人を襲うなどということは、我々のやり方ではありません。もう正常な判断ができなかったのでしょうな」
ナイフであっても、もっと目標にも気がつかれずに殺す技をいくつも知っているはずだ、とゲルドは言った。
「赤竜のことは知っていたと思うか?」
「だったら、ミオゼルガ王子も彼に任せないでしょう。おそらく、独断で彼女の首を持って帰るつもりだったのではないかと」
しかし、帰ることは叶わず、ここで彼女と共に石になっている。彼にとっては、このままここで石になっている方が、幸せなのかもしれなかった。
「しかし、これはどうやったら解けるのでしょうな」
「さてな。まあ、竜の力だろうから、博士に聞くのが一番手っ取り早い」
「では、シュウと連絡を?」
「時期が来たらね。今はまだミオゼルガの警戒が強すぎる。余計な刺激を与えるのは愚策だ。それに、まだシンが弟子と接触して解決策を掴んでくるかもしれないからね」
「それもそうですね。しかし、ミオゼルガ王子の手がシンに届くのも時間の問題では……」
「まあね。でも、あいつは頑丈だ。体力だけはその辺のやつと一線を画す。素人同然の隠密に追われても逃げられるだろうさ」
シンには、本人が自覚出来ないところで隠密の技術を叩きこんである。彼はおそらく自分を傭兵か何かと同じだと思っているのだろうが、無意識にでも人から隠れる術や、人を追う術を使えるよう育てたのだ。
「そんなに心配なら頃合いを見て助けに行かせよう」
「それがいいかと思います。これ以上蒼翠の槍の団員を減らすわけにはいきませんから」
「将来のためか」
「次の世代を育てるまで、自分が生きている保証はありません」
「今が踏ん張り時だからね。竜と対等の関係を結べるように、おれたちが動かないと。敵対も、支配も、おれの主義に反する」
それを聞いて、ゲルドは笑った。
「平和主義ですか?」
「平和が一番だ。そうだろう?」
王子の言う平和が、広義の平和とは少し違うことにゲルドは気がつきながらも、再び笑った。
「さて、おれたちは彼女がミオゼルガに見つからないようにしなくてはならないが、何か案はあるか?」
「周辺の環境を見て、考えてみましょう。ジルベルトがここに辿りついたのも、偶然ではないと思います」
「……そうか。ジルベルトはおれが落ちた場所を知っている。おれが何かを見つけたという推測のうえになるが、周辺を探せばこの小屋を見つけるのは簡単だ」
彼がその答えに行きついたのなら、猶予がないことも分かる。
二人がとるべき行動は、とにかくミオゼルガ王子にこの場所を探させない方法を探すこと。もしくは、この場所をまるまる隠してしまうこと。そのどちらか、またはどちらもである。
長期間隠し通すことは、両方共に現実的ではなかった。ミオゼルガ王子が今は竜博士の捜索に尽力しているとはいえ、そのうちに王子の息がかかった者が竜博士を守っていることに気がつくだろう。 そのあとに待っているのは、徹底的な洗い出しである。グレン王子の行動を、彼は追うだろう。なまじ優秀なのだから、それくらいはやってのけるはずだ。
この場所を隠してしまう方法も、人手が足りない。いっそ小屋ごと湖の底にでも沈めてしまうのが良いのかもしれないが、それで赤竜が死んでしまっては元も子もない。行うとすれば、本当に最後の手段である。
ふたりにできることは、とにかくミオゼルガ王子の気を出来るだけ長く引き続けることであった。
「今日のところは一度戻ろう。あまり宮殿を空けるわけにはいかなくなったしね。デント、居るか?」
グレン王子が森に向かって声をかけると、デントが影の中から姿を現した。
「この小屋を見張ってくれ。怪しい人間が来たら、素性を調べて、そのうえで、消せ」
「ミオゼルガ王子が来たらどうする?」
「その時は不慮の事故にでもあってもらおう。そうだな、足を滑らせて湖に落ちるかもね」
王子は、先に手を出したのはむこうだ、とでも言いたげな様子であった。
それを聞いて、デントは苦笑した。
「平和主義が聞いて呆れるね」
「頼んだぞ」
「お任せを」
デントがまた気配を完全に消したところを見て、ふたりは帰路についた。これから、ミオゼルガ王子を翻弄するための作戦を、王子と共に考える必要がある。時間稼ぎが目的だが、相手からの行動があれば、それを利用させてもらおう。
しかしあの頭の回るミオゼルガが、グレン王子という不確定要素を放置して、ただ手をこまねいているとは、ゲルドには到底思えなかった。




